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火曜日しばらく雑記帳・24:忘却の戦略と戦術とインプリメンテーション

■今年 7冊目の洋書、Brian Christian とTom Griffith の "Algorithms to Live by" を読んでいる途中だ。

今、4章の Caching を読んでいる。副題が"Forget About It"とあってなかなかうまいな、と思った。

カタカナで書けば「キャッシング」だが、現金を用立てる Cashing ではない。キャッシュ・メモリーのキャッシュのことだ。CPU のスペックを見ると L1キャッシュ、L2キャッシュとあるので馴染みのある方も多いことだろう。CPUの処理速度の進化は、いわゆるムーアの法則(シリコンチップ単位面積に集積されるトランジスタの数が1年半で倍になるという経験則)に従って倍々ゲームで速くなってきたが、メモリのアクセス速度はそうはいかなかった。

だから処理部の近くに容量は小さいけれど高速のメモリ・キャッシュメモリをおいて、そこに必要となるデータやコマンドをあらかじめ読み込んでおいて、CPUの処理スピードを落とさないようにしよう、というわけだ。

つまりは机の上の手に届くところに今の仕事に必要な本を積んでおく、ということだ。レベル1、レベル2、とあるのは、机の上の資料がレベル1、椅子をくるっと回して手を伸ばせば届く本棚にある資料がレベル2、そして、壁の本棚にずらっと並ぶ蔵書が主メモリ、という感じだろう。

PCのことを考えてみれば、クラウド上のストレージがあって、ローカルのHDDあるいはSDDがあり、メインメモリ、L2キャッシュ、L1キャッシュと多層になっている。

メモリの容量が大きくなればなるほど、メモリから必要な情報を取り出すのは時間がかかる。手元のキャッシュ・メモリは小さくしておき、その中に格納する資料や情報はできるだけ無駄なくしたい、つまりアクセスする可能性が高いものだけにしておきたい。

では、今必要となる可能性の高い情報は何だろうか。それは最近に見た資料なのだ。資料や情報を、最も直近でアクセスしたものからしばらく利用していないものまで利用頻度で順番に並べていくだけで能率は格段に上がるのだ。

これは野口悠紀雄の「超整理法」で提唱された押し出しファイリングシステムそのものであるが、本書"Algorithms to Live by"でも Yukio Noguchi の名が言及されている。

人間の記憶も同様な階層があると思われ、人がものを忘れる仕組みにも通じるということも論じられ、なかなか興味深いと思った。しかし、現象的には同様かもしれないけれども、人間の記憶方式は、コンピュータの記憶装置とは違うのではないか、と感じている。人間の記憶は、1回路単位で 1情報、というように蓄えられているわけではなく、回路全体で全情報が多重に蓄えられているのではないか、と思うのだ。だから、コンピュータとは違って情報へのアクセス時間は記憶量とはほぼ関係ないのではないかと思っていたのだ。もっとも、容量に限界があるから忘れる必要がある、アクセスされる機会が少ないものから忘れていく、忘れても自分の外部に記憶されている、そういう点では同じではあるが。

Facebookの検索がしょぼいのは、あまり検索が上手いと忘却してしまいたいデータへのアクセスがいつまでも残るからだろう。野口の押し出しファイリングと一緒で、アクセスされないデータをどんどん奥に押しやっていく。奥のほうのストレージは安くて大容量だが低コストにできている、が、アクセスに時間がかかる。雪だるま式に増えるユーザーのデータを低コストで保存しておこうと思ったら、なるべく多くのデータをうまく忘却の彼方に押しやっていきたい。

Facebook や Google Photo その他類似ソフトが面白いのは、定期的に「1年前のこの日の思い出」などと称して過去のデータをおススメ表示してくる点だ。私にはそんなの必要ない。そして「前に、こんな記事書いたっけ?どんなこと書いたかな」と検索したらすぐに答えが欲しい。が、わざとじゃないかと思うくらい検索しにくい。スピードが速いがコストが高いキャッシュ相当のストレージにマイナーなデータをもってきたくないからではないか、と勘繰っている。

では、それで一般の人々のユーザ体験が悪くないようにかっこつけようとすればどうするか。・・・それが「あなたのメモリー」だ。適切なものを選んで先に提示することによって、変なものを検索されて雑多にアクセスされることを防ぐのだ。検索されるよりおススメせよ。先制攻撃だ。

ユーザーがアクセスするトータルの時間は限られている。思い出を適切に選んで提示して過去に浸らせて耽溺させておくことで、自らの意思で過去を検索するエネルギーと時間を削っていくのだ。そのうえでちょっとだけ検索機能をアホにしておけばよい。過去を大事にしているように見せかけて、実は現在のことしか考えていない。実に刹那的だ。

Forget about it! - そんなこと忘れちまいなよ。

どのようにして忘れるのか、どのようにして忘れても問題がないようにするのか、自分のためにも戦略と戦術とインプリの工夫が必要なのだが、ここでも、割り切りと切り捨てと熱い心が大事、とまとめてしまいたくなるところが、イマイチ自分でも納得がいかない。

前にも書いたが、Amazonのデータによればページ数360ページ超、しかも文字がぎっしりだ。中秋の名月の今月中に読了できるか雲行きが怪しくなってきた。毎日会社に行っていれば、片道40分程度の通勤時間があるので、特に問題はないが、週に1回行くか行かないか、そして先週も今週もオフィスにもラボにも顔を出しそびれているので、読書の時間を確保するのは相変わらず苦労している。


■今週も、月曜日・火曜日、と川崎のオフィスと実験室に出社するつもりで両日ともに朝のうちに弁当を作ったのだが、移動時間を確保することができず、結局、先週に引き続き新横浜の事務所(←単身赴任のマンションのこと、念のため)のデスクでPCとにらめっこしてウンウン唸りながら食べることになった。

2022/9/12 弁当
豚と茄子とピーマンのオリーブオイル炒めプロヴァンスハーブ、オクラ、ミニトマト、白瓜、だし巻き、しば漬けに麦ごはん。

時間がなく切羽つまっているときは、PC をキッチンに持って行って、料理をして食事をしながら、聴いているだけのミーティングの参加したりしている。

「参加するだけのミーティングなんて意味ないんちゃう、発言しない人はいないのと一緒でしょ、後から配布してもらう資料を見ればいいだけじゃん」

などという声が聞こえてくる気がするが、話をリアルタイムに聴きながら資料を見ておくのと、後から資料をじっくり見て理解に努めるのと、どちらが効率的かは、トピックによるし、自分の現状の負荷の状況にもよるので一概には言えまい。

Web会議は、その場にいるだけ聞いているだけ、という場合でも参加する敷居が低いので具合がいい。そんな先週の月曜日の晩のトンカツ。

2022/9/5 夕食:トンカツ
普段はウスターソースをかけて食べるが、ちょっと気取ってカボスを絞って、これまた美味い。



夏にグラタンというのは少々暑苦しく季節外れの気もするが、茄子、カボチャ、ズッキーニ、トマト、などグラタンやラザーニャ、ムスカ、にすると具合のいいい野菜が夏に多いので、去年、今年と夏にもグラタンはちょくちょく作った。

先週は坊ちゃんカボチャのグラタン。自然な甘みと旨味がたっぷりでローズマリーが香る、付け合わせはビーツのヨーグルト和えにオクラ。

2022/9/7 夕食 坊ちゃんカボチャのグラタン
カボチャを柔らかく炊いて、鶏と玉ねぎをオリーブオイルとローズマリーで炒め煮にしたものを載せ、さらにペシャメルソース、チーズをのせてオーブンで焼くだけだ。

今年は入手できなかったが、大きな球形のズッキーニがある。これの中身をくりぬいて賽の目切りにし、玉ねぎ、ひき肉と炒めてトマト缶で煮詰める。それを改めて詰め直して、チーズをたっぷりふってオーブンで焼けば見映えのいいズッキーニのグラタンだ。

2021/6/15 夕食 ズッキーニのグラタン
球形のズッキーニ、今年は入手できなかった。残念。
2021/7/22夕食 茄子のグラタン

グラタンは見た目ほど難しいことはないし、オーブンで焼いている間に調理器具の洗い物もすべて済んでしまうし、普通に安定して美味しくできるのがいい。


■先週にひっかかった音楽をいくつか。


1.Paco Versailes、Pacoと名前がつけば Paco De Lucia にゆかりがあるのか、と短絡してしまう傾向にあるが、このバンドの名前もパコ・デ・ルシアにあやかったものらしい。しかし、米国、LAを拠点とするユニットだということだ。

この記事によれば、「アルメニア生まれのフラメンコギタリスト、Vahagn Turgutyan(バハグニ・トゥルグティアン)とサンフランシスコ出身のソングライター兼プロデューサーのRyan Merchant(ライアン・マーチャント)によるプロジェクト」らしい。

フラメンコの要素を取り入れたLAダンスミュージックということで、西海岸の雰囲気たっぷりで好印象だ。先週、 Entangle というタイトルのシングルが出た。

ダンス+フラメンコで Dancemenco というらしい。2021年のアルバム "Dancemenco"。

軽く聴けて気に入っている。フラメンコ?パコ?と眉をひそめてしまう人にはちょっとアレかもしれないが。

2.Sandra Peralta (サンドラ・ペラルタ)と Leandro Cacioni (レアンドロ・カシオーニ) の新しいアルバムが非常によかった。ペルー出身の女性ボーカルとギター奏者のご夫婦のデュオということだ。

また(*1)、アクセス一番乗りしてしまった。

さきほどもチェックしたみたら、まだ私以外誰もアクセスしていないようだ。

サンドラの声に惚れた。どことなく哀愁のある明るい声がどこまでも柔らかく、時に軽く時に力強く、優雅に歌い上げる。レアンドロのギターも柔らかい音色で自然なフレーズ、歌や楽曲を邪魔することなく自然に引き立てる。

ペルーの民俗楽器の縦笛ケーナの加わる彼の地のフォルクローレを、レアンドロのギターに加え、フルート、ベース、パーカッション、といった編成で洗練された音作りで昇華しているようで、聞いていて心地よい。

楽曲は、ペルーの国民的歌手のひとり、Chabuca Granda (チャブーカ・グランダ) のトリビュートということだが、上にYouTubeリンクを貼った "Esa Arar en el Mar" の チャブーカ・グランダの歌を見つけたので貼っておこう。

チャブーカの他の曲もそうだが、この美しい曲も、いろんな人がカバーしているので、それぞれ聞き比べるのも楽しい。

マリアイサベルグランダラルコは、チャブカグランダとして知られ、ペルーの歌手および作曲家でした。彼女はアフロペルーのリズムで膨大な数のクリオロワルツを作成し、解釈しました。彼女の最も有名な曲は「ラ・フロール・デ・ラ・カネラ」です。

Chabuca Granda - Wikipedia



3.そうこうしているうちに、素晴らしいミュージシャンと出会ってしまった。アルゼンチンのラ・プラタ生まれ、ブエノスアイレス育ちだという、Milena Salamanca (ミレナ・サラマンカ)。

アルバムのアートワークも美しいが、ボリビア、ペルー、アルゼンチンあたりのフォルクローレの魅力をたっぷりと残した音作りで、歌心あふれる伸び伸びとした歌声で歌いあげる。

これはもう、惚れてしまった。



4.ブラジルの Patricia Bastos (パトリシア・バストス) の "Yarica" もゆったりと聴かせてよかった。軽くスモーキーな伸びる高音域がよい。

先週、この人にも惚れてしまった。


5.スウェーデンの Tusse の "home" も素晴らしく耳に残った。

Tusse は、"Voices" でEuro Vision 2021で決勝まで進み(結果は14位)、それで知った。

少しストレートすぎるメッセージが私の好みのセンターからは外れるが、コンゴ出身だという彼女、楽曲も力強い明るい声も好きなタイプだ。これからが楽しみだ。


■中秋の名月も過ぎて日も短くなってきた。まだ、セミの声は聞こえるが、黄色や茶色に色づいた桜の葉もハラハラと散り始めて、今年は少し早いのではないかと思ったりもする。毎週土曜日のルーチン、ジョギングの途中、彼岸花が咲き始めているのも見たが、こちらも例年より1週間ほど早いと思う。

白彼岸花
2022/9/10 jogging Y.T.D. 463.9km 計画比:100%
今年の目標 670km に向けて予定通りばっちりキャッチアップできた。 


季節は巡る。



■ 注記

(*1)

スウェーデンのトランペットの Jonas Lindeborgの新曲、"The Pyramid Sessons"も一番ノリだった。約5か月後の今、チェックしてみたら再生回数 10 回。人気ないんだろうか。大衆うけしないだろうし、大向こううけしない、とは思うけれども、もう少しアクセスがあってもいいと思うのだが。


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