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生命の本質としての情報:P. K. Dick, "VALIS"

先週から note に投稿始めてみたのだけれど、最初のエントリーは P.K. Dick の "VALIS"を読んでいる途中で、P.K. Dick の作品の魅力について少し語ってみた。今回はその2回目である。


Against the Empire is posed the living information, the plasmate or physician, which we know as the Holy Spirit or Christ discorporate. These are the two principles, the dark (the Empire) and the light (the plasmate).

Dickは、この世界は狂っていると何度も言う。私たちは、理由もなく生まれ理由もなく死んでいく。いずれ死んでしまうのに生まれてくる。それなのに、人は生きようとし、死んでいく者を悼み苦しむ。死んでいく者を死から救うことはできず、残された私も、救うことができなかった悲しみから救われることはない。

しかし、狂っているなら狂ったままでいいではないか。もとより、なぜ狂っていると考えるだろう。何に対して狂っているというのだろうか?なぜ狂った世界に対峙してつらく悲しみを感じるのか。

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それは、理性があるからであろう。私たちが生きているからには何か目的があり、私たちの日々の活動や、成し遂げたことは無駄ではないはずだ、と思うからこそ、それを無駄にするような出来事や、直面するどうにもしようがない出来事に対して「なぜだ?」「そんなことはないはずだ」「間違っている」「狂っている」と捉えるようになるのであろう。

Dickは、世界は狂った創造主によって作られ、したがって、もとより狂っている、とする。そして、理性が、太陽系外の星系など、どこからかこの世界に侵入しようとしている、と捉えているのである。理性は、我々人類に入り込み、世代を超え、各々の個体を通じて流れ、受け継がれ、この世界に侵入しようとしているのだ。それが "living information" であり、言葉である。

侵入を試みる理性は、預言者や導師のような人物として、あるいは、「ピンクの光に撃たれた」というような個人の体験として、Ying-Yang、あるいはキリスト教の魚のシンボル、映画など、さまざまな形で実体化する。

"living information"、それは言葉であり、言葉によって人間に浸透し、狂った現実と個々の人間は否応なく対峙することになるのである。言語空間・情報空間と現実の物理的な空間とのせめぎあいのなかに我々は生きているとも言える。

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読み進むと、キリスト教の魚のシンボルは、DNAの二重螺旋になぞらえられる。まさしく遺伝子は情報であり、遺伝子の暗号を解いて形成された蛋白質による生命は、情報そのものとも言える。遺伝子は親から子へ、子から孫へ、とコピーされて引き継がれていく。私は私であり、情報の流れの中で、現在を生きているわけだが、過去を生きているともいえる。そして未来を生きているとも言える。遺伝子を通じて、私たちは永遠に生きているとも言えるのだ。

個体としての人間は、理由もなしにこの世の中に放り込まれ、成長し、老いて、理由もなしに死んでいく。試練があってもなくても、つらいことばかりでもラッキーなばかりでも、関係はない。みな、死んでしまう。が、しかし、情報は受け継がれ広がり、実体として永遠の生命を手に入れようとする。


では、VALIS とは何か。理性が侵入を試みるために、矛盾に満ちた世界にもたらされた言語空間:Vast Active Living Intelligence System なのである。


遺伝子を通じて私たちは永遠に生きているとも言える、と上に述べた。さらには人の記憶の中に、あるいは記念碑の中に、物語の中に永遠に生きていくこともできる、といわれる。では、私は私の妻の物語の一部として生きているのだろうか。私の娘の物語の一部として生きているのだろうか。そうかもしれない。

さて、いずれ、太陽が膨張して地球を飲み込んだすえ、崩壊して数十億年後には白色矮星になる。それを逃れて太陽系外に出て行ったとしても、いずれは、この宇宙は膨張し続けて冷え切るか、どこかで収縮に転じて一点に収縮してしまう。そこには何の目的もなく必然としてそうなってしまうだけだと考えられている。そして、そのような時間軸と空間のスケールを考えたときには、無限小の私たちである。生命は、たまたま、宇宙のエネルギーの流れのなかで、銀河系の片隅にできた一瞬の揺らぎの渦でしかないのだろう。

それでも VALIS は生きのびるのだろうか。宇宙に広がる星間物質の集まりが意識を持ち言語空間を維持することになるのだろうか。

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さて、まだ60% 程度まで読んだところだ。一週間に 30% 程度、ということは、10 page / 日、思ったより時間がかかっているが、1 page あたりの文字数が多いようでしかたあるまい。写経 ー 言うまでもなく、書き抜きのことだ ー などしながら、今月中には読み終わる予定である。



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