岡崎署における勾留障害者暴行死事件について考える

留置所で、これほどまでに凄惨な事件は聞いたことがありません。

・規則に違反し、140時間、ベルト手錠・捕縄で拘束。
・身動きができず、尻に褥瘡ができる。
・尿や便が垂れ流し状態で、保護室が汚物まみれ。
・持病の糖尿病の薬を飲ませない(失念していたと供述)。
・5日間食事がとれない状態で衰弱。
・拘束された状態の当事者を、蹴る・ひきずる。幹部職まで加担(蹴る)。
・和式便所に頭が入った状態で放置し、そのまま水を流す。

報じられる一連の恐ろしい行為を聞き、戦前の特高警察の拷問を思い浮かべてしまいました。こうした行動からは、暴行死というよりも、拷問死という言葉が想起されます。警察関係者の方には酷ですが、「拷問によって殺された」という表現が適切と思ってしまいます。

当該警察官や警察署の組織対応には全く同情の余地がなく、最も強い言葉で非難しなければなりません。しかし、単に感情的に批判することは無意味な議論ですし、避けます。

大事なことは、なぜ当事者が亡くなってしまったのか。これが明らかにされなければいけません。以下、本事件の要点・論点を整理しつつ、考察したいと思います。

なお、本稿は、ソーシャルワークの視点、当事者の人権尊重、権利擁護やエンパワーメントの概念から、当該事件を考察していきます。警察の治安維持の視点とは異なりますのでご了承ください。また、法律的な解釈は、私は力不足ですので、法律家に任せます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?