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8歳との約束

三男、8歳。
この8歳は、ちと厄介だ。
厄介とは、失礼ではあるが、私=母の想像を絶することばかりなのだ。
今日は、毛糸をダイニングテーブルのまわりにぐるぐると巻き付けていたので、私は激怒した。きれいに巻き付けていたらまだしも、あちこちに引っかけながら巻き付けていた。おかげで外すのが大変だった。
ちょうどそれが、食事の時間で、食事の時間に手伝いもしない、末っ子の食事はひっくり返す。食事が始まったと思ったら、豆腐ハンバーグにケチャップを溢れるほどかけている。
予想外のことばかりで、先ほどの激怒からの激怒、それを通り越して、悲しくなった。

「伝わっていない」

私の悲しさは、伝わっていない悲しさだった。
何度言っても聞いてもらえない。
伝わらない。
自分のふがいのなさ。

食事が終わって21時を過ぎたのに、大声を出している。

「この子がかまって欲しいのはわかっている、でも、親として、しつけなくちゃいけない」

こういう気持ち。
この、親の威厳的な気持ち。

こういう気持ちになると、必ずと言っていいほど子供を突き放してしまう。

8歳は「にやけ顔」で聞いている。
その「にやけ顔」に、またしても、怒りがこみ上げてくる。
怖い時、ごまかそうとして、にやける癖がある。

怒りの裏には「心配」と「不安」がある。
人の話を聞けないと、
いつか、独りぼっちになってしまうかもしれない。
見捨てられてしまうかもしれない。
その心配と不安。
ただ怒っているんじゃない、心配だからこそ、怒っている。
私は、泣くことをこらえながらも、流れてくる涙を止められず、そして、鼻水はつららのように垂れ、それをエプロンで拭きながら、8歳に説教していた。
8歳は私の鼻水を見て、布団をかぶって、笑いをこらえていた。
それにつられて、笑いそうになったけれど、私は親の威厳を守ろうと必死だった。
最後まで、怒り通さないと。
そんな気持ちで8歳に「なぜ怒っているのか」を説明したのだった。
「大人になった時にあんたが困らないように、あんたを思って怒っているんだよ。」
布団の中から時々顔を出して、こちらを見ている。
その目には、涙が浮かんでいた。
「だからね、人の話は聞かないといけないんだよ。」
8歳は、珍しくうなずいた。
心の奥の方では「ごめんね」と言っている私がいる。







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