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vol.052「師を選ぶ意味:自分では作り出せない空気をまとっていること。」

何度か紹介しているMFJ(マインドファッションジャパン、政近準子代表)の課外授業の一環、というには大きすぎる、樺沢紫苑さん『Web心理塾』での講演に、短時間登壇 兼 アシスタントとして参加しました。
事前の準備段階から、気づき・学び・自省・棚卸し、、、と、得たものの量、経験の種類が多すぎて、翌日まで頭がぼうっとしているのに冴えている、という変な感覚が、しばらく残った。


1.「準備が できています」の価値。

◆学校では教わらないこと。

政近さんの講義は「学校でも会社でも誰も教えてくれないのに、生きるうえで超重要なこと」の代表例だ。
講演中、どよめきがたびたび湧く。「その内容を一言では説明できないのが一流の講師」と思っているのだけど、しいていえば「ファッションというものに対する概念をまるで変えてしまう講義」だろうか。

「ライブ」の醍醐味は編集や加工が効かないこと。「お客さまは嘘をつかない」からだ。
政近さんの講義は、「感性と計算の両輪」または「アドリブとリハーサルの両立」とでも呼べるもので、起こる笑い声、感嘆の声。"関係者"ながらちょっと感動で震えてしまう。もちろん、"樺沢先生がお招きした大物ゲスト"に、礼儀として笑う部分はあるだろう(無かったらおかしい)。だけど、ゥワンッ と湧く感じ、どよめく/唸る声は、とっさに思わず出ていると伝わる。

◆「本番」はかならずやってくる。

学校で座学、プラス昨冬にはブラックタイパーティーに参加していても、「ボウタイを、大勢の皆さまの前で、かつ自分ではなく 誰かに、その場で結ぶ機会」が、こんなに早く訪れるとイメージできてなかった。
けれども、本番、MFJ学校の言い方でいう「いざ」は、かならずやってくる。しかも当人が想像しているよりずっと早く、突然やってくる。もちろん「人生は毎日が本番」なんだけど、そんなのは理想というか理屈で、いつわりない実感です。
特に今回は、少人数編成、アシスタントは2人のみ。前回までの生徒参加型プロジェクトは5名~10名規模だったから、1人あたりの「見られる度」がちがう。お客さまに提供できる、「質感、濃度」が問われる。
自分でいうのも変だけど、それなりに準備をして臨んだ。

◆「私は準備ができています」の価値。

今回 少人数枠に参加させてもらえたのは、まず、運がよかった。そして運を引き寄せたのは、「意思表示したこと」、「準備ができていたこと」だと考えている。

意思表示する・・・著書『アウトプット大全』の影響で、noteでの毎日投稿実験→長文の定期投稿をはじめた。SNSで読書感想を題材に記事を書いたこともある。政近さんのタイムラインに樺沢紫苑さんとの記事が投稿されたとき、大きなリアクションで、具体的な描写で反応する。著書を読んでいることを報告する。確認すると樺沢さんの著書は6冊購入/拝読していた。

準備する・・・「本を読んだ、とは内容を人に説明できることである」と著書で指摘している人(樺沢さん)に、「私、ファンです!」と名乗っておいて、感想を聞かれたらポイントを言えない、では話にならない。本棚と、Kindleから引っ張り出し、目を通しなおす。そこまでの会話になるかどうかはまた別の話で、「起こらないかもしれないが起こったときに差が出ることに備える(ベットする)」ことはとても重要だ。SNSのアウトプットを現在も続けており、万一タイムラインを見られたとき「直近の投稿は2年前です」ということのないようにもしている。言っていることとやっていることの整合性があること。そのこともあって、講演会の3週間前から、「ほぼ毎日投稿」を再開した。

この「私は準備ができています」、readyであることは非常に大切で、有効だ。講演のなかでも登場した樺沢さんの表現をお借りするなら「居る人は、居るべきときに居合わせる」だと考えている。

賢者は、時に驚くほど言うことが似通う。


2.何をもって貢献するのか

◆ブランディングとはなにか。

今回の講演会全体のタイトルは『輝く個性を発信する! パーソナルブランディング大全』だった。
講演に先立っての準備ミーティングでは、政近さんから「ブランディングとはなにか」についての講義があった。
詳しい内容に触れることは避け、あえて要約するなら、『ブランドとは自分の価値ではあるが、それを決めるのは他者である。自己申告ではない』ということ。有料の授業(MFJマスターコース)以上の内容で、この話を無償で聴いたということに、得した感覚はもちろんだが、ちょっと畏れを感じる。

◆問い、問い、問い。

「何を着て死にますか?」
ほとんどの人は、何を着て死ぬか、なんて決めていない。その問いを立てたこともないだろう。
しかも「この人にはお葬式で何を着せよう、は周囲の人が考え、決める。自分じゃない」 「ということはそういう評価、印象が残らなければ白装束を着せられるだけ」と。つまり、死ぬために、死後に評価されることを考えて、生きることが必要になるのだ。
政近準子という人は、とにかく問う。クローズド型の半年続く"学校"でも問うし、1回90分限りの、一期一会の講演でも問う。
講義では「生着る」、「衣識革命」という概念が紹介されたのだけど、その瞬間、会場に ざわっと静かな衝撃(小声、唸り声)が走っていた。

イントロの段階で、温度が上がる。


◆「生徒のプロフェッショナル」。

参加型イベントが終了すると、必ず振り返りがある。政近さんが毎回が必ず言われるのが、「既に(良い意味で)過去であり、私は次の仕事に向かってます」というメッセージ。生徒にとって「文化祭的な"感動体験"イベントだ」という感覚がどこかであることと、「流れていく時間軸の中で続くビジネスであり、プロの試合の一つだ」という定義との大きな落差が、そこにはある。
「また次がある」ことと「毎回真剣勝負」は両立する。試合中は全力だが、終わった瞬間に次の試合のことを考える。F1レースやテニスの年間ツアーのイメージ。一試合ごとに組まれる点では、ボクシングの試合がいちばん近いのかもしれない。検量に向けて体を仕上げきる、本質的に孤独であり、たとえチームであってもリングに上がるのは本人だけであることも。※この理解度、温度ギャップは、毎回課題になる「イベント当日は頑張った私たちへのご褒美ではない」につながる。
ギャップを少しでも埋めるために考えたのが「生徒のプロフェッショナル」、という概念だ。

◆生徒ならではの、発揮できる役割。

概念、というと大げさに聞こえるけど、「事前の身内での準備の課程は、当日の来場客には関係がない」、「学校の生徒と名乗った瞬間に、政近のパーツの一部として見られる」という感覚を持つこと。
たとえば今回の樺沢さん講演では、先方の事務局の方からは「アシスタントが二人同行している」と受けとめられていたと思う。受付時の名乗り、入室から室内での立ち振舞い、言葉遣い、横柄になっていないか等、「政近準子ブランド」として鑑定され、評価される。
実際、途中の各種業務連絡やタイムテーブルの確認などを受ける場面もあり、スタッフとして見られていることを実感した。話を聴く、確認する、説明する、交渉する。仕事をするということは何かの貢献、作用をなしていることだから、個人としては非常にお得な体験だったけど、もっとスムーズに/もっと印象よく、もっと落ち着いた対応ができたはずで、次回へと引き継いでいきたい。


自分ではイケてるつもりで堅い表情。このあと政近さんのツッコミが入り 空気ごと変わった。

◆生徒だから発信できるメッセージ。

講演のなかで、自己紹介的なプレゼンと、参加者お一人の装い変身をお手伝いする、「生徒の登壇パート」があった。
私はボウタイを相手の襟に手結びするパートを担ったのだけど、事前練習は、安全ラインを目指すのではなく、大幅超過ぐらいに訓練してちょうどいい、と身をもって体感した。やり過ぎ、やり込んで、「冷や汗かきながらも何とか見れたレベル(空気感)」になるのだ。
プレゼンの原稿を何度も書き直すのもそうで、推敲を重ねることで、「微妙に変えた何パターンか」が頭に入っていく。当日直前の再修正にも即応できるし、本番で「暗記でなく意味で話せる」効果が出る。今回の参加全体通して、数えきれないほどの気づきを得たが、この実演体験は非常に大きかった。
一方で、「生徒だから発信できる情報」は確かにある。実演は、「学び途上の一般人である教え子たちが、どこまでやってくれるの?」が見どころでもある。反復練習で精度をあげることは大切だけど、初々しさ・懸命に誠実にやっているオーラを失ってもいけない。そうすることで、出来上がったときの納得感、身近さ=自分にもできそうだ(自分ごとだ)というある意味での説得力が生まれる。「政近準子本人では絶対に担えない役割」をやれることが、私たち生徒が舞台に上がる意味だ。


ボウタイを緊張してつけるシーン。



◆コラム:頂いた質問と、"準備した"回答。

懇親会では、質問をたくさん頂きました。自分の振り返りをかねて、「質問のトップ2と、回答した内容」をシェアしておきます。

Q.政近さんの(有料の・継続開催コースの)授業では何を教えているのか。
A.今日の講義と根本は変わらず、何倍も濃い/幅広い内容。「ファッション」なのだけど、全体を百段のピラミッドだとしたら、服(例:ボウタイはこの色がいいよ)は一番上の最後の積み石、という感覚。
そこに至る、自身の客観視、自分が主役になればいいわけではない、無難な褒め合いでなく指摘コメントができるか、「自分という商品」を20秒で説明できるか、言語化・表情・声・時間厳守、哲学や歴史etc.、一言で説明できない広さです。
隔週土曜日の20時から、告知では22時半までの2時間半。だけど0時、1時まで続く。みんな面白くなかったら抜けるだろうけどほとんど抜けない。大幅延長してもタクシーと違って料金メーターは上がらない。めちゃくちゃお得な講座だと思います。

Q.なぜ政近さんの講座に入ろうと思ったのか。
A,学ぶ分野を選ぶときの基準を、①学校で1秒も教わらなかったのに社会に出たら生きるのにめちゃ重要なこと、②賞味期限が長くて、考え方を学んだら永く使えるもの、としています。「お金」や「対人関係」と同じく「装い(外見の管理)」もそれだと考えてはいた。
一般人向けの学校を開設するよ、と聞いて説明会を受け、「装いも当てはまる」ではあるけど想像を超えた内容で、「言ってることの全部をいま理解できてないけれど、この人は多分とてつもなく有益なことを言ってるな」とだけはわかって申し込みました。


「想定して準備する」は私の武器のひとつで、この問答は、一定の自信、確信を持って話すことができた。ひとつには、「正確な知識」ではなく「自分の主観」だからだ。

懇親会の終盤まで、今回のアシスタント(私ともう一人)にも、ありがたいことに多くの参加者の方が話に来てくださった。挨拶会話だけでなく後半までずっと続いていたから、(ゲストへの気づかいおもてなしはもちろんあるけども)プレゼンと実演が一定は伝わった結果だと思う。そして「政近準子の教え子だから、話を聞きたい」効果だ。自分たちの独力でたどりつける場所地点ではなく、心得違いをしないように重々気をつける。

【余談】行きの飛行機でクラスJを取ってみたところ、CAさんから装い(ボウタイ)を指して「素敵ですね」と褒められた。とっさに、「ありがとうございます。これから講演会【なものですから】」と、ウソではないけど、言い過ぎなコメントをしてしまったことを告白しておきます。

ドレスコードは樺沢先生にちなんで「ラベンダー」。


3.「師を選ぶ」。

◆リスクを取り続ける人。

装い変身モデルの方には直前に依頼。実演するのは自分ではなく学び途上の生徒ふたり。予告無しの「師弟対決」宣言。しかも弟子はホスト役の樺沢紫苑さんの装い担当。会場は盛り上がり、空気がさらに熱くなった。リスクを背負っていることが観ている側にもわかるからだ。
この「リスクを取る姿勢」は、政近さんの、人を惹きつける魅力のひとつだ。自分ひとり安全に逃げ切り態勢に入るということがない。特に、「ファッション教育」「あとに続く世代を育てる」ことに関して、一時的なリターンを捨ててでもベットする。賭ける。我々生徒に向かい合う姿勢、かまおうとする濃さ、費やすエネルギーも異常と言っていい。

◆「師を選ぶ」意味。

そして、教わる相手、師を選ぶ意味がここにある。
前に、「学ぶ分野は二種類ある、『有益だとわかっているもの』、『理解しきれないもの』の二つだ」という意味のことを書いた。
後者とやや似た軸として、『自分では作り出せない空間、境地に在るかどうか』がある。
現在の自分にはたどり着けないステージに立っている人。志の高さを持っている人。空気感をまとっている人。純度の高い、高潔な人。清濁を知り尽くしている人。挑戦し続ける人。
そういう人を選ぶことだ。同じ人生の時間を使って師事するなら、「知識やスキルや知恵」と同時に「生き方や価値観や行動のモデル」を学べるのがいい。
極端にいえば、「何を勉強するか」のテーマ、分野すら"二の次"としていいほど重要な要素だ。

◆お金では買えない価値。

沸騰した湯を冷ますことはできる。濃すぎるものを薄めて使うことはできる。高い気圧を抜いてやわらげることはできる。純度に混ぜものをして下げることはできる。しかしその逆は無い。自分より熱いもの、濃いもの、高圧なものを、人は作り出せない。
だからそういう人を探して、門戸をたたく。師事する。そうすることで、こんな価値観が存在するのだ、人間業でたどり着けるのだ、と知る。知れば、そのまま真似ることはできなくても、縮小コピーしたり一部を切り取って試すことができる。
「お金では買えない価値」とはそういうことだ。お金では買えないから、そこらに売ってないから、代価としてお金と、時間をつぎ込むのだ。自分に出来ること、能力を提供するのだ。こちらも何かで貢献することを考えるのだ。


直前までプレゼン内容を見直す。隣は今回ペアを組んだエリカさん。スーパービジネスウーマンであり、とてつもなく面白くユニークな人。



書店の本棚から手に取るところからはじまって、セミナーに申し込んでみる。本格的に入門して、それが長く続く。「誰それさんのもとで学んでいる」と堂々と言いふらせる。いくばくか信用を得る。信頼関係ができる。学べることに終わりがない―。
決して、多く起こることではない。

そういう人たち、師に出会えていることは、とても幸運なことだと思う。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。



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