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vol.014「意見を表明すること、続き:相手のタイミングで見てもらう。その瞬間のためだけに書きためておく」

ある方のアドバイスを受けて、「定期的に書いて発信」をはじめたのが2014年8月のことでした。以来、「SNSの使い方」についてはけっこういろいろ考えたり試したりしている。
過去のメモをもとに、整理して書き出してみます。
 

■投稿内容の方針を決める

 
Facebookで「(ほぼ)1日1回投稿」を始めるとき、最初におよその方針を整理した。
 
(1)本業の内容には触れない(守秘義務)、
(2)愚痴、陰口は書かない
(3)日記、引用(のみ)ではなく「考えたこと」を付加する
の3点だ。
 
本業ではとうぜん守秘義務もあるし、違反すれば罰則なり処分の仕組みもある。それを抜きにしても、仕事内容を不特定多数に公開する、愚痴や陰口を書いていたら、読む人の受ける印象はかなり悪くなる。
わざわざ時間(コスト)を割いてマイナスポイントを稼ぐ」と、なにをやってるか分からなくなるから、このあたりは最初に決めた。
 
それと、私用のSNSで「方針」を定めている個人は少数派のはずだから、そのぶん有利に働くだろう、とも考えてのことだった。
 
難しいのは、③「自分が考えたこと」を付加すること。
単なる日記、「今日は職場の忘年会でした〜」「どこそこのお店で美味しかったです」だけの投稿はしない、といったことだけど、時々くずれそうになる。特に「引用」の魔力に負けそうになる
たとえば読んだ本が素晴らしかった!というとき、その主題/結論か、もしくは「特に印象に残った内容」をサマリして、「感動しました」「おすすめです」としたくなる。つまり「紹介+感想」であって、付加価値がついていない。
(※ここでいう「付加価値」は、「すごく価値の高い内容」のことではなくて、「投稿者が付け加えた差分」ぐらいの意味だ)

「読んだ内容を踏まえて、自分はこう考えた、そこからこんな連想をした」「別の著者も同様の話をしている、共通点を見つけたので整理した(抽象化)」といったことをかならず書くようにしてるが、それでも引用のボリューム(箇所の数)はつい膨らんでしまう。

素晴らしいのはその著者なのに、「気づいた、発見した」と(無意識に)自分の功績に脳内変換している。または、「列挙しておかないと、このあと読んだ人が見落とすかも」「手に取る気にならないかも」と、頼まれていないのに余計なおせっかいをしている。
そういったことが原因だと考えている。

とはいえ、自分の検索用にも使いたい。そこである時期からは「厳選(?)したポイント+記事本文+さいごに『付箋した箇所すべて』」の構成に変えている。
 
(3/20追記)「引用の魔力」について。「自分が紹介する意味がそこにあるかどうか」かなと思い当たった。どれほど良書、どんなに素晴らしい情報でも、「他の人が紹介しても似た内容になるのなら、その投稿(紹介)は意味が薄い」といったニュアンスだ。
 

■「SNS心がけ7か条」を考えてみた


Facebookを使いはじめてしばらくして、「SNS での心がけ7か条」なるものを考えた。
  
     『SNS での心がけ7ヶ条
① 友達登録申請の際はメッセージを送る。承認してもらったらお礼のメッセージを個別に送る(タイムラインへの書き込みではなく)
② 「見られている」という観点を常に持つ。自分のストレスを発散させる場ではない
③ 「美味しかった」紹介を投稿する。「美味しくなかった/まずかった」投稿はしない
④ 自分より実績/信望のある人に対して、上から目線でコメントしない
⑤ コメント欄には、相手の記事に関係のあることを書き込む。無関係なあいさつや自分の宣伝をしない
⑥ 経済・政治・歴史・宗教(信仰)等の話は、「自分の友人に直接の当事者がいるかも」という視点を持つ
⑦ 人のタイムラインはその人の所有物。「よそ様の家(庭,敷地内)にお邪魔している立場」の前提に立つ
 
 
主にfacebookを想定して書き出したものだけど、「なにが正解か」は「状況」と「目的」によって変わる
 
状況の例:
たとえば「友達申請の際にメッセージを送る」は、若い世代ではなじまない感覚(かえって不自然で不要)かもしれない。
 
目的の例: 
量よりも質、得点よりも失点を防ぐことを目的にするなら、上記の7か条は有効だと思っている。
だけど、量を重視する・得点を稼ぎたい場合、たとえば「twitterでバズりたい」なら、また違った行動原理に変わるはずだ。
 
 
SNSでの失敗は、仮に投稿を削除しても、見た人の印象に強く残りやすい点で、ダメージが大きい。
だから、【すこし味見してみる→突っ走り出すまえにポリシーを決める→通常運行開始する】のステップはおすすめだと思ってるものの、結局は人それぞれの考えだ。
たとえば「様子見する」は私の行動の癖だけど、「全力で振り切る」価値観の人には合わない(そのふるまい自体が反感を買う)かもしれない。 
 
 

■「ITは能力差を増幅する」説

 
感覚的で、例外もあるのを承知で:

(1) 現実の生活で基本マナーが出来ている人は、SNS上でも同じように振る舞える
(2) えらい人ほど、SNS上でも謙虚である。セルフコントロールが出来ている

 
という傾向があると考えている。
スポーツ界の著名なスター選手で、プレイや言動が賢い人は、SNS上の発言、行動も賢い。
 
前述の「7か条」も、「目の前に相手がいる」「周囲を知り合い、または大勢の見物客にかこまれている」と置き換えたら、やっていいことの線引が直感的にわかる。
ということは、「現実とSNSとで相関がある」と言えそうである―。
 
 
なぜそうなるのか、要因を考えてみた。
 
おそらく、あらゆる道具の中でも、特にITが、
「その個人の、弱みを打ち消すものではなく、強みを強調するもの」(現実世界を仮想空間に再構築するもの)
だからだ。

「個人間の、能力の差を埋めてくれるのではなく、むしろ増幅するもの
と言い換えてもいいかもしれない。

残酷だけど、事実に近いように思っている。
 
 
(考えがまとまったら、もう少し書き足し予定)
 
 

■天は、残念ながら 二物を与える


 
Facebook毎日投稿もふくめて、ここ十年ほどの取り組みテーマ、「言語化」。
人より下手だから、人より練習する。成長の4段階でいえば、まずは「有意識有能」を目指す。
何かを成している人で、言語化してない人はいない。例外なく、考えて、準備している。
 
そして、年齢とともに、瞬発力・暗記力・五感・体力は衰える(仮説)。 
・だとすれば、何をするにせよ、自分でない誰かに働きかけて、動かす。手伝ってもらう、助けてもらうしかない。
・次に、自分で増やせるのは「経験の総量」「経験の種類」。それに「累計の練習時間」だけだ。(※「経験」と「累計」は減ることがない。誰かが奪っていくこともない)
 
掛け合わせると「人を動かす、練習量を増やす。同じく、実戦の場面を増やす」以外にない。
 
 
成果結果を出し続けている人たちは、たぶん、暇さえあれば考えて、人に話して、を繰り返している。だから言語化できている。
 
トップアスリートは、語彙が少なくいてほしい。
一流の芸術家には、偏屈、頑固であってほしい。
有名スターは、舞台を降りたら傲慢に違いない。
成功している料理人は、口下手であってほしい―。
 
つまり「天は二物を与えないでほしい」。さもなくば、「持って生まれた才能の差のせいだ」と思いたい。
 
結果を出してない/行動を起こしてない、自分の言い訳がなくなってしまう」ことからくる、無自覚の願望であり、偏見だ。
 
現実には、彼ら彼女らは二物以上を持っている。ただし、それらは、天から与えられたわけではない。
 
成功体験か、失敗や挫折か。
とにかくある時点で気がついて、リスクを取り、投入コストを費やし、練習して、試して、フィードバックの仕組みをつくって、微調整を繰り返している。それが、人の目を見張らせる成果を生んでいる。
 
せめて真似できる部分、「意識する」「練習する」「実戦で試す」「変更する」を、やっていく以外にない。
刃物とおなじで、どんな材質、グレードでも、研がないよりは研いだほうが切れる。
 
 

■相手のタイミングで見てもらう。その瞬間のために、書きためておく


 
再び、ちきりんさんからの引用:
・「フォロワーなんて買って増やせますよね?」と言う人は、AIが「買ってきたフォロワーか、それとも発言が興味深いから自然に増えたか」判別できないと思っているのか。
・今後、「自分が何を考えているか」を発信しない人の思考ログはゼロになる。
(『「学歴より SNS が大事」の本当の意味』https://chikirin.hatenablog.com/entry/20171219より)
 
 
毎日投稿を続けているうちに、徐々にかたまってきたコンセプト(目的)が、
 
(1)手間のかかる、面倒なことを継続することができる人間である
(2)仕事の裏話や愚痴でない。最低限の信用はおけそうな気がする
(3)疑問を持ち、自分で調べる習慣・考える習慣がある人間である
とアピールできること、
 
だ。
 
これらを、 
①こちらの都合のいいタイミングで
②満足いくまで説明
しようとすると、持ち時間が足りない。時間をもらえない。
 
時間をもらえたとしても、相手の興味関心の度合いがわからないまま(温度があたたまらない状態で)、空回りぎみに、"説明させて頂く"ことになる。
かつ、押しつけがましい。ウソくさい。宣伝臭がする。
これは相当な不利になる。「やらないほうがマシ」なことさえある。
  
ブログ等に書きためておけば、友達申請を交換するだけで、
③相手の都合のいいタイミングで
④コマ切れの時間で、勝手に見てもらう
ことができる。

見たい人が見る。見たくない人は見ない。
「相手の自発的意志で、その興味関心度に応じて見せられる」は、その逆に比べたら、ものすごく有利な状況だ。
 
もっとも単純で有効なのが、「同じく何かの情報発信をする人が見たら、一瞬で判断できる効果」だ。
 
過去の投稿を一つ一つ読まなくても、ぱっと見で(=文字量やジャンルや写真やタイムスタンプで)
『うわ~、面倒なことを、長く続けているな』
と伝わる。
 
ここで、SNSを始めたときに決めた、「本業の内容には触れない。愚痴と陰口は書かない。なにか付加価値をつける」が活きてくる。(と、後で気がついた)
「本業に触れないという制約つきで、とにかく続いている」ことは、「制約を解除したら、同じかそれ以上の何か(仕事)をしそうだ」と思ってもらえる、といったことだ。
 
これらの効果に期待して、「一つ一つは中身がすごく有益でなくても、"数百~数千のかたまり"として見られる」ために書き続けている。
ただし、ちきりんさんの指摘する「人工知能が一瞬で判断できる」は、まったく考えがおよんでなかった。
 
facebookの投稿日時は、以前は後付けで編集できていた。いまは機能修正されたのか見当たらないようだ。
どちらにしても運営側(メタバース社)は「実際の投稿時刻」を保存しているし、前から見てくれている人には分かってしまう。にわかに、多数の/継続的な情報発信をしているふりを装おうとしても出来ない。
 
考えがおよんでなかったけど、結果として、人工知能による判別にも耐えられる(書き溜めてるのは事実だから)。
 
あのときのアトバイスを真に受けて、
「いつ、何に活きてくるかはわからないけど、投稿しておこう」
と続けておいて、とりあえずは良かったと思っている。

= = = = =

新しいことをはじめたとき、すこし試運転してみる。
気づいたことを整理して、なんらかのガイドライン(自分の行動ポリシー)を決める。
そして、定期的に見直し(改善)、または意図的に変えてみる(変化)。
 
ものすごく有効だと考えてて、わすれずにやっていきます。

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