社会授業ネタ【歴史】1~200まとめ

はじめに
今まで発信してきた社会科授業実践やアイディアのまとめです。

普段の授業の中に少し取り入れることで、生徒の知的好奇心を育てたい、多様な視点をもち、自らの社会について考えてほしいという願いを込めて作成しています。
私自身が日々の授業でどうすれば生徒の主体的な態度を育てることができるのか悩み、考えています。同じように授業で悩み、目の前の生徒を成長させたいと考えている先生方の力に少しでもなれたら幸いです。

私にできることは【アイディアの提供】です。
最後は、先生方の目の前の生徒にあわせて使っていただくのが1番いい方法だと思っています。


【社会授業ネタの使い方】
単元ごとにまとめてあるので、目次から見たい項目をタップしていただくと、その項目をすぐに見ることができます。社会授業ネタを確認していただけたら、担当している生徒をイメージしていただきたいです。生徒が楽しんでくれる。深く学ぼうとしてくれる。また違った学びがあると感じていただけたら、授業の中に取り入れてみてください。

①古代~安土桃山

【原始・古代】人類史の進化


『先生が習った時』
最古の人類はアウストラロピテクス
『今』
最古の人類はサヘラントロプスチャデンシス
なぜこんなにも変わったのだろうか?

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正解は
人類の祖先がどんどん発見されており、
人類史上の新発見が次々とされているから。
歴史は現在の全てが正しいのではない。
新たな発見によって教科書も変わる。
時代に合わせた柔軟な思考を持てるようにしたい。

【古代文明】四大文明:栽培が始まったもの

メソポタミア文明では、現代でも飲まれている飲み物が作られるようになったと言われている。その飲み物とは何か。
またそれは何を原料として作られているだろうか?
ヒント:先生は好きです!

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ビール。原料は大麦

メソポタミア文明やエジプト文明では麦。中国文明では最古の稲栽培。インダス文明ではイモ類や稲というように現代でも主食になっているものが栽培されるようになる。
食料を管理するために王や都市が生まれ文字が必要となる。文明が発達するには【何が必要だったのか】考えさせたい。

参考文献:世界地図から食の歴史を読む方法 辻原康夫 KAWADE夢新書

【古代】始皇帝の国づくり


次のうち中国を統一した始皇帝が定めたことに次の4つがある。
それぞれ何のために統一したのか。
またこのことから始皇帝はどのように国を支配しようとしたのか。
①漢字の書き方
②長さ、量、重さの単位
③馬車の車輪の幅
④貨幣

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①文字を統一して、正確に命令を伝えるため。
②穀物や武器、兵の身長を正確に測定するため。
③素早く兵を動かしたり、命令を伝えるため。
④正確に税金などを徴収するため。
始皇帝は
【多くの民を正確に素早く支配するために多くの統一事業を行った。】

【古代】七夕と絹


七夕は、はた織りの女と牛飼いの男が川を隔てて引き離され、年に1度だけ会う事ができるという中国の伝説が伝わったと言われている。
はた織りの女は養蚕を。牛飼いの男は農業を暗示している。古代に蚕のまゆから取れる生糸で作った物を西方へ運ぶ交易路を何という?

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答えはシルクロード。
紀元前から中国では蚕が飼育されており、そのまゆから取れる生糸を使ってシルク(絹)が生産されていた。
この中国産の絹は西方への交通路を通って運ばれたため、この道を「絹の道」。シルクロードと呼ぶようになった。

【古代】ギリシャ・ローマ:始まりの場所

古代のギリシャやローマでは現代に
つながる文化が多く生まれた。
例えばどのようなものが生まれたでしょうか?クイズです!

①ギリシャ軍の兵士が戦いでの勝利を伝えるために走ったことが由来とされるスポーツ。

②紀元前776年に始まったとされゼウス神にささげる競技の祭

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一つ目はマラソン。
二つ目はオリンピック。

そしてまた古代ギリシャで起こったといわれているものが【民主政治】

成人男子の市民が自主的にポリスを防衛しており、今より2800年ほど前からすでに民主政治の原型があった

ただ現代の民主政治とは違いがある。どのような違いがあるか探してみよう。

【古代】ギリシャ・ローマ:民主政治を考える


ギリシャとローマの文明
①資料からポリスと現在の民主主義の違いについて考える。
②なぜ政治に参加できなかった奴隷が「ギリシャとローマを支えた」といえるのか。資料や文章から考える。
③奴隷制度はどうなったか予想し、民主政治に必要なことは何か考える。

文化の発展の裏には奴隷による労働があり、市民が自由な生活ができたことで哲学や芸術が発展した。
さらに多くの奴隷を確保するために戦争を行い、領土を広げるために必要な道路などを整備するためにも奴隷が使われた

奴隷による反抗ももちろん起こる。
本当の民主政治とは何か。もう一度考えさせたい。

【古代】銅鐸とシカ

弥生時代に作られた銅鐸。この銅鐸はどのように使われていたでしょう?

最初は楽器として使われていたが時代とともに祭りで使う「みる銅鐸」になっていった

銅鐸にはシカが描かれている事が多い。弥生人が最も食べたのはイノシシ。なぜシカの絵が多く描かれているのだろう?

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稲作が広まったこの頃、シカの血に種をまくことで、稲の種がよりはやく育つという信仰があった。

鹿の角は、春夏秋冬で生え変わる。ここから生命の循環を古代の人は感じていたのかもしれない。

もののけ姫にでてくる生命を司る存在である「シシガミ」も鹿。

【弥生〜古墳時代】土器のリアル


弥生土器と須恵器では焼く温度が違うため、低い温度で焼かれた弥生土器は赤っぽく厚手、やや軟質。須恵器は青灰色で硬質。
実際に触れた時や、割れ口にどのような違いがでるか、予想しよう。

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軽く叩くと須恵器はカンカンと高い音がする。
触ると弥生土器はザラザラ。須恵器はツルツル。
切り口も弥生土器は鋭い。
予想した後に実物を触らせてあげると、焦げ目がついてるなど新たな発見もある。
埋蔵文化財センターから借りて本物を触らせると、みんな感動していました!

【古代】邪馬台国論争をしてみよう!(様々な説)

邪馬台国があった場所は北九州にあったのか、それとも畿内にあったのか未だに決着がついていない。

これは邪馬台国が、ヤマト王権とおなじ流れをもつ勢力なのかどうかにも関わる大きな歴史上のミステリー。資料などをもとに、説得力のある自分の意見を考えてみよう!

①魏志倭人伝をどう読み取るか
 倭人伝に書いてある【方位と距離】に従うと九州のはるか南の海の上になってしまう。距離が正しいとするなら畿内。方位を信じるなら九州
②畿内説
・畿内には今までの墓よりはるかに大きい箸墓古墳など有力な古墳がある
・魏からもらったと思われる銅鏡が
多くでている.

・卑弥呼の宮殿跡とも考えられる大型の建物跡が纏向遺跡から発見
③九州説
・佐賀の吉野ヶ里遺跡が、魏志倭人伝にある卑弥呼の都としての描写に
あっている。
・戦うなら鉄の武器がいる。畿内より北九州で、より多くの鉄の武器が出土している
・福岡の遺跡から男王と巫女(みこ)王の墓が見つかった。

これらもいろんな説のごく一部。出土品や資料をどう読み解くかで歴史は変わってくる。

過去に先生たちが学んだ教科書の歴史と現在学んでいる歴史も異なる。
こういったことを読み取り、古代の人々の暮らしをしろうとすることも歴史を学ぶ楽しさの一つ.

【古代】邪馬台国論争(実践)

邪馬台国論争をしよう!(実践編)
①邪馬台国のあった場所が未だに決着がついていないことを説明する。
②資料や教科書をもとに自分の意見を作る。
③反対意見の人から、反対意見を聞く。
④【自分の意見をサポートするような根拠】を資料などから探す。

ただ資料からよみとって、意見を作るだけでなく、相手の意見にツッコミを入れることで【批判的思考】を育てる。
批判されないためにはどうすればよいか、根拠をもった自分の意見を作る【論理的思考】を育てる。

論理的な意見を作るには邪馬台国について【深い理解】が必要になる。
一石三鳥の活動。

【古墳時代】言葉の違いで違う!

古墳時代、日本の奈良盆地周辺から地方支配を進めた政権を【現在は】何というか。

1.大和朝廷

2.大和王権

3.ヤマト王権

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正解は3.ヤマト王権、もしくはヤマト政権。

古い教科書や、ワークには【大和朝廷】との表記があるが、【朝廷】は、天皇を政治の中心とする言葉であり、ふさわしくないことから変わっている。
また【大和】も中国における日本の総称を意味するためカタカナ表記。
わずかな違いにも多くの意味がある。

【古代】白村江の戦い:日本の転換機!

663年【白村江の戦い】
倭国(日本)が百済を助けようと朝鮮半島に援軍を送る。
しかし白村江において唐(中国)と4回戦って、4回とも負けてしまった。

このあと倭国は国内を大改革していくことになるがそれはなぜだろう?

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【唐という強大な先進国に侵略されるのを恐れたため】
白村江の戦いのあと、倭国は
・守りを固めるために大宰府や山城を作る。
・服装や都の作り方、また「律令」という国の体制を変えるものを大陸から取り入れていく。
実は白村江の戦いは【黒船来航】と同じくらい倭国にとって大きな出来事であった。

参考文献:日本史のツボ 本郷和人 文春新書

【古代】蘇我氏と聖徳太子

「聖徳太子と蘇我馬子は協力して新しい政治を行いました。」と教科書に書いてありますが、

◯有力豪族だった蘇我氏にとって、大王中心の政治は都合が悪いものだったのではないでしょうか?

蘇我馬子は聖徳太子が行っていた政治をどう思っていただろう。

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◯系図→蘇我氏と親戚関係にあったことからつながりの強さがわかる。

◯冠位十二階、十七条の憲法
→大王中心の政治や家がらにとらわれない。→蘇我氏は自分の血縁関係を広げたいはずでは?

◯では協力したいと思っていた部分はどこか?
仏教?これを広めたい思いは同じだった。

全て納得していたわけではなくとも、様々なつながりを考えると協力した方がメリットが大きかったのではないかと考えられる。

政治は様々な人間関係、国同士の関係がからみあってくる。

このような複雑な関係の中で、政治を進めるには全体を見通す力と相手が求めているものを知る力が必要になる。

【古代】疑問をもつ

◯白村江の戦いのあと、博多湾の前に水城や大野城が作られた。何のために作られたのでしょうか?

生徒:唐や新羅から大宰府を守るため。

◯水城には長さ1.2km以上の土塁を作ったり西日本には各地に山城を作った。この頃の日本は唐や新羅のことをどう思っていたと考えられる?

生徒:それだけ唐や新羅に攻められるのを恐れていた。

◯そうかもしれないね。日本はこのころ遣唐使を派遣するようになる。
遣唐使を派遣した目的は?

生徒:唐の政治や文化を学ぶため。

◎そのように教科書には書いてあります。でもここで何か疑問に思うことはありませんか?話しあってみよう。

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生徒:そんなに怖がっていたのに急に学びにいくのか?違う目的があったのかな?

◯初期の遣唐使は、唐と戦ったらまずいと思っていたから、ご機嫌うかがいしていたかもしれない。そのあと倭国は律令国家になっていくにつれて学びの要素が強くなっていった。

常に【疑問をもつ】姿勢は大切にしたい。

【奈良時代】本当に重すぎた税

①租は3%の稲を納めるだけでなく
(   )もする。
当時はきねやうすを使うので大変な作業だった。
②調や庸を運ぶ移動費や(   )も自己負担。これが足りず、帰りに亡くなる人もいた。
③ある村では成年男子42人中(  )人が 
 村から逃げた。

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①精米。現在と違い機械がない。全て手作業であった。
②食料。移動費と食料を自分で調達できない人は、故郷まで帰ることができない。
③8人。税から逃れるには、逃げるか僧になるしかなかった。

このような状況が続いたため
朝廷は【墾田永年私財法】を作った。しかしこれにより土地の私有化が進む。

【奈良時代】木簡は何に使われた?

奈良時代の都などから、
1文字も重複せず1000個の漢字が使われた「千字文」という詩が書かれた木の板(木簡:もっかん)が見つかっている。
当時、この木簡は何のために使われていたのでしょうか?

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【役人が漢字を学ぶ練習】として使われた。

なぜ漢字を練習する必要があったのか?奈良時代には【戸籍や税などを記録して管理する】必要があった。そのため役人には漢字を読み書きできる能力が必須であった。
ここから律令国家における農民の暮らしへとつなげていきたい。

【奈良時代】公地公民を色んな視点で

◯奈良時代の戸籍にはどのようなことが書かれているか書き出してみよう。
•住所•名前•性別•年齢など

◯これだけの情報をこの時代の役人が全て管理する事は本当に可能だっただろうか?
可能か不可能か理由を含めて考えよう!

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現代でも戸籍を管理する事は難しい。ましてやこの時代に文字を読める人は少ない。

そう考えると【管理するのが難しかったため】班田収授法から開墾したものに土地を与える墾田永年私財法に変わっていったのではないか。

このように歴史は【様々な見方ができる】ことも一緒に考えたい。

【奈良時代】東大寺の大仏への思い

◯東大寺の大仏の高さはおよそ何メートルでしょうか?
A:約15メートル
◯東大寺の大仏殿を完成させるにはどれくらいかかったと思う?
A:約4年

◯なぜ大仏を「15メートル」という大きさにしたのでしょう?

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華厳教の「十」には「無尽」という意味があり、基本的な仏像の大きさを十倍することで無限の宇宙を表現している。

大仏建立において、無理な租税の取り立てを禁止した命令からも、大仏によって人々の不安を取り除きたいという思いや、当時の人々の仏を信じる思いが伝わってくる。

参考:東大寺公式HP

【平安時代】関白…やってない。


藤原道長が摂政の役職についたのは一年だけ。関白にはなっていない(頼通はなった。)
このことからわかる摂関政治において道長が権力を握るために一番重視していたことは何か?

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【天皇のおじいちゃんになること】
摂政や関白になるよりも、地位としては道長は多くの機関を内覧(天皇が目にする文書の管理)左大臣(人事決定権をもつ)についていた。
政治の実権が弱い摂政や関白になるより政治の最前線である地位と天皇の祖父となることで政治を自分の思い通りにしようとした。

【中国地方か平安時代】呼び方はどのように決まった?

中国地方はなぜ「中国」というのでしょうか?次の3つから選びましょう。
① 中国に近いから
② 国の真ん中辺りだから
③ 中間の国という意味

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正解は③ 中間の国という意味

平安時代に「中国地方」という呼び方が
生まれたと言われている。

では何の「中間」なのか?
それは日本の中心との中間。
平安時代の日本の中心といえば京都。
また西の中心は太宰府。この中間の国なので中国。
中国地方の導入で使うか、平安京の場所の確認に使うか悩む教材ネタ。

【平安時代】なぜ密教っていうの?

平安時代はじめ、空海は密教を学び、真言宗を開いた。
一般の仏教が(①)を使って人々に教えを説くのに対して密教は①では表現できない「②」を伝えるものである。

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①言葉 ②仏のさとり

「言葉」では伝えることのできない「仏のさとり」を伝える方法が、一般の人々の理解を超えているという意味で
【秘密の教え→密教】という。

ちなみに空海が手に持っているものは
三鈷杵(さんこしょ)といって煩悩や災いをはらう密教の法具。実物見たら、めっちゃ大きい。

【平安時代】女の争い


紫式部は、和泉式部と清少納言のどちらがキライでしょうか?
和泉式部に対して
「とても上手に和歌を作りますが(中略)
でもこちらが恥ずかしくなるほどの歌人ではない。」
清少納言に対して
「清少納言こそ、得意顔をして偉そうにしている人だ。」

理由まで考えよう。

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答え
おそらく清少納言。
天皇争いとは実はあまり関係ないが、あとから宮仕えした紫式部は、清少納言と比べられたり、夫の悪口を言われたためと言われている。

【鎌倉時代】御恩と奉公


一生懸命と一所懸命の違いはなんでしょうか?

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一生懸命とは、何かに全力で取り組むこと。
もともとは武士が命がけで所領を守る「一所懸命」からきている。

蒙古襲来では、命がけで戦ったのにほとんどほうびがもらえなかった。

武士が大きな不満をもつのも無理はない。

【鎌倉時代】御恩と奉公と地頭

源頼朝の家来となることを誓った武士=御家人は幕府のために命がけで戦うことで新たな領地をもらおうとした。

しかし本当に武士が望んだものは自分が本来持っている土地を【保証】してもらうことだった。頼朝はどのようにして武士たちの土地を保証したのだろう?

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地頭に任命することで土地を守るという【地位】を与えた。

元々、自分の土地は自分で守るという自力救済から生まれた武士。地位を幕府が責任持って保証することで武士たちも命がけで戦った。

国には警護を司る守護をおき、武士と
幕府の利害関係を一致させることで鎌倉幕府は支配力を強めていった。

【鎌倉時代】政子が伝えたかった事

1221年に起きた承久の乱における
①政子が伝えたかった御恩とは何か。
②その言葉に対する奉公は何か。
③②をした武士に対する「新恩」は誰から奪ったか。
④その結果、西国はどうなったか。

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①頼朝からの官位や土地など。
②幕府側に武士がついて戦った。
③上皇側に味方した貴族や武士から奪った。
④幕府に味方した武士に西国の土地が与えられたので、幕府の支配が西国まで広がった。
承久の乱では、【御恩と奉公のシステムが上手く機能】し、幕府はより支配を強めることになった。

【鎌倉時代】禅宗:形だけにしない!

鎌倉時代には、心を落ち着かせることができる座禅を取り入れた【禅宗】が戦う武士の間に広まった。

しかし、室町時代になると師匠にゴマをする僧が偉くなる仕組みになってしまう。これに怒った人物がいた。
それは誰でしょう?

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正解は一休宗純(いっきゅうそうじゅん)
とんちで有名な一休さん。
一休さんはルールに逆らって飲酒肉食などし、木で出来た大きな刀を持って出歩いたりした。
一見奇妙な行動も、形だけになってしまった仏教界から【一度だけでなく二度出家】して一般の人として生きようとした。

参考文献:日本史のツボ 本郷和人 文春新書

【室町時代】南北朝への導入!

1221年の承久の乱のあと、幕府と朝廷の力関係は、どうなっていただろう?
次のことから考えよう。

◯天皇を誰にするか朝廷だけでは決められない。
◯元寇に対して、元の使者に返事を出さないと決めたのは執権の北条時宗。

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政治における人事も外国とのやりとりも全て幕府が実権を握るようになった。
承久の乱で上皇に味方したものからも土地を取り上げ、全国支配を進めていた幕府。
そして幕府から【権力を取り戻そうとした】のが後醍醐天皇。ここから幕府を倒す戦いを起こす!

【南北朝時代】あの機関の仕事

蒙古襲来の後、鎌倉幕府の政治が上手くいかない時に、幕府を倒そうという計画を立てたのが後醍醐(ごだいご)天皇。

何度も幕府を倒そうとする後醍醐天皇と戦った【鎌倉幕府が京都においた機関】は何だろう?

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答え 六波羅探題

六波羅探題の仕事は
・京都の警備
・西国(さいごく)の武士の統制
・朝廷の監視
幕府を倒そうとした朝廷(後醍醐天皇)を迎え撃つために20万8000騎という大軍を送った。

一度は退けたものの、悪党や御家人を味方につけた後醍醐天皇に最後は滅ぼされる。こうして鎌倉幕府は滅亡した。

【室町時代】発達は、繋がっている


室町時代にはトイレの普及により、糞尿が肥料になる→( ① )の生産力が高まる→すると( ② )の種類が増える。→すると ( ③ )が増え、  ( ④ )が発達する。
①〜④を考えよう!

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①農業 ②職業:自給自足しないで済むため、様々な仕事ができる。③定期市:仕事が増えると売るものも増え、市の回数も6回になる。④交通:売るものを運ぶ必要があるため。
室町時代には、農業が発達したことにより人々の生活は大きく変わっていく!

【室町時代】チャンプルーな文化


沖縄料理について
①ラフテーや沖縄そばに使われる豚肉は、ある国の使者をもてなすためのものであった。ある国とは?
②現在は、ファーストフード化が進んでいる。どこの国の影響か。またなぜか。

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①明
琉球王国時代に、明の使者をもてなすために豚肉が、よく使われ、現在も使われる。
②アメリカ
基地が作られてから、ハンバーガーなどが広まった。
中継貿易により、東南アジアの文化が入っていること。他国の文化を取り入れやすいことが確認できる。

【室町時代】本当にむなしい…


応仁の乱の年号の覚え方は
【人よむなしい1467年 応仁の乱】ですが
実際に応仁の乱は結果としてむなしい面がある。
教科書から探してみよう。

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応仁の乱では11年もの間、戦いが続いたが、どちらが勝ったのかもよくわからないまま終わった。
また戦った守護大名も、応仁の乱の間に力をつけた家臣に実権を奪われてしまう【下剋上】が起きた。
まさに頑張ったのに…となる。
人よむなしい1467年 応仁の乱。

【安土桃山時代】有言実行の男


誰もが全国統一できなかった、この時代に統一まで限りなく近づいたのが織田信長。
なぜそこまでいけたのだろう。
①(   )の意志を示した。
②新たな(   )を効果的に使用した。
③(   )政策を行いお金の動きを活発にした。

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① 天下統一
戦国大名は領地を広げようとはしても天下統一という目標を掲げるものはいなかった。信長は岐阜で天下布武を宣言する。
②武器
当時の鉄砲は連射できず射程距離も短かったものを、大量に使用することで無敵の武器に変えた。
③経済
関所の撤廃や楽市楽座など、経済的な感覚も持ち合わせていた。

【安土桃山】「桃山」ってどこ?

「安土桃山時代」の安土は、信長の城があった滋賀県の安土。
では「桃山」とは、どこのことだろう?

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桃山は秀吉が拠点とした伏見城があった場所に桃の木がたくさん植えられたことから「桃山」と呼ばれるようになった。

安土=信長、桃山=秀吉。ここを押さえることで、安土桃山時代のイメージがよりはっきりする。安土桃山ってなんだろう?という流しがちな疑問をしっかり受け止めたい。

【安土桃山】茶器の価値

2016年には「油滴天目」(ゆてきてんもく)という茶碗がオークションで約12億円で落札され話題になったが、安土桃山時代の人々にとって茶器は何と交換できるほどの価値があっただろう?
① 金
②城
③国

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正解は③の国。
所領の代わりに茶器を与えるようになり、少しずつ価値は高まっていった。
特に信長の頃になると
「所領より、茶器が欲しい…」という大名もいた。
千利休が広めた茶の湯は、文化的な意味だけでなく、経済的な意味も持っていた。

【中世】名誉革命・フランス革命:人質をとる理由

◯現在のイギリス国王はだれ?
A:エリザベス女王

◯イギリスでは国会が始まる時に国王があいさつをする。そのあいさつが終わるまで、国会議員の1人は人質としてバッキンガム宮殿に入る。
これはなぜだろう?

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イギリスでは歴史的に国王の権力に人々が挑戦する事で権利を得ようとしてきた。
そのため国王が無事に議会から帰ってくるまで人質をとるという伝統がある。今は対立していないので国会議員はお茶を飲んで待っているだけ。 

議会政治の振り返りで歴史的事象が現在につながっていることを実感させたい。

参考文献:14歳からの政治入門 池上彰 マガジンハウス

【中世】何を求めて人々は戦ったのか。

人が生まれながらにして持っている権利を「人権」という。現在も国際連合により世界人権宣言が採択されているが、ここで第一条に書かれているのはどのような権利に関することでしょうか?

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【自由と平等】

数百年前のヨーロッパでは、国王の言うことは絶対であり、身分制度もあった。
イギリスにおける議会政治やアメリカ独立戦争。フランス革命などがきっかけとなり、人々が権利を求めてきた結果、今がある。
何を求めて人々が戦ったのかを明確にすることで近代化の流れをつかみやすくする。

【経済と世界史】株式のはじまり

株式とは、何か事業をはじめようとする時、多くの人から必要なお金を集めるもの。
その考え方は【     】時代にはじまりました。
ヒント:コロンブスの頃!

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当時のヨーロッパは
【大航海時代】であった。

この頃は航海で大金を稼げる可能性もあったが資金の無い船長も多くいた。

そこで多くの人から資金を集める。航海が成功しアジアの貴重な品を運んだ利益を資金を提供してくれた人に分け前として渡す。これが【配当】
株式会社の基本的な考え方になっている。

②江戸〜近現代

【江戸時代か食文化】だしの違い

N社のカップうどんのスープのだしは西日本と東日本で違う。
東日本ではカツオだし。西日本と北海道では昆布だし。
なぜ西日本と北海道で昆布だしなのだろうか?
ヒント:江戸時代の交通

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正解は江戸時代に【西廻り航路による北前船で、北海道の昆布が大阪へ運ばれた】から。
江戸時代に整備された西廻り航路によって、北海道の昆布が大阪へ早く運ばれるようになり、文化として広がっている。
食文化から生徒に対してアプローチをかけることで、歴史と現代の知識をつなげることができる。

【江戸時代】貿易統制の2つの意味

初めは朱印船貿易を奨励していた江戸幕府だがスペイン、ポルトガル船の来日を禁止。
①なぜオランダ、中国、朝鮮は貿易を許されたのか。
②①以外の貿易統制の理由は何か。
ヒント:九州大名に対する幕府の誤算が 
    あった。

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①中国、朝鮮、オランダはキリスト教の布教をしない。オランダは布教しないことを、幕府と約束していた。
②九州大名が貿易で利潤をあげていることは誤算【大名の財力を削りたい】幕府は貿易独占をしたかった。
基本的な部分ではあるが、前時とのつながりや幕府の思惑はきちんと押さえておきたい。

【江戸時代】元禄文化は誰に売る?


「燕子花図屏風」などを描いた尾形光琳は、裕福な家庭に生まれた。最初は働く気もなかった尾形光琳は、得意の絵をあるものに描き、それが大ブームになった。そのあるものとは?

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答え
うちわ

尾形光琳は、金ピカのうちわに黒ずみで橋を描いた。それが粋だと、江戸でブームに。その後、国宝の燕子花図屏風を描くまでになった。
元禄文化は【町人】をターゲットに、マーケティングすることで自分の名前を売ることができた。まさに町人の生み出した文化。

【江戸時代】松尾芭蕉は千利休に学ぶ


松尾芭蕉の有名な句に「古池や かわず とびこむ 水の音」があるが、当時はカエルの( ① )を美しいとよむのが普通だったが、芭蕉は水のかすかな音により( ② )を引き立てた。①と②に入るのは何か。

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①鳴き声 ②静かさ
母の墓参りのために地元に帰ったときに千利休の「わび」にふれ、静かな寂しさの中に美を感じる心を見つけた。松尾芭蕉も、別の偉人から取り入れ、新しいものを作ろうという気持ちを感じる。

【江戸時代】朱子学の考え方


徳川綱吉が大切にした学問の考え方は
◯(①)関係はあるもの。
◯目上や年上の人を(②)すること
◯(③)を大切にする!
①は上下関係。②は尊敬。③は礼節。

この学問を【朱子学】といいます。
なぜ徳川綱吉は朱子学を大切にしたのでしょうか?

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身分制度を大切にする朱子学の考え方は、安定して制度を維持しようとする江戸幕府によって都合が良かった。
(このような朱子学のとらえ方を批判する学者もいた)
平和になりつつあったこの頃、綱吉は戦いとはまた違う方法で、多くの人々をまとめようとした。

【江戸時代】享保の改革

この時代、江戸幕府にとって「米」はどのような状態が1番都合が良かっただろう?

①米の収穫量少ない、価格安い。

②米の収穫量多い、 価格安い。

③米の収穫量少ない、価格高い。

④米の収穫量多い、 価格まあまあ高い。

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①は財政危機であり、大名にも年貢を払わせる上米の制を行う。
②になると苦しむのは武士。米を売って生活できない。新田開発して年貢率も上げる。
その後享保の大飢饉が起き③になる。
治安の悪化、打ちこわし増。そこで世界初の先物取引市場、大阪の米市の公認。米に振り回された吉宗、享保の改革。

【江戸時代】最も現代的な田沼意次


徳川吉宗は(①)からの年貢を増やす。

お金を節約する(②)を進めた田沼意次は
(③)からの税収を増やそうとした。
額面の決められた銀貨を作り、
(④)の流通を円滑化しようとした。
経済発展を進めたのはどちらだろうか?

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①農民②質素倹約
米中心で、お金を使わない!
③商人④貨幣
お金は使うことで、経済発展する!
貿易も進めて、外貨を獲得しようとした。
天災によりうまくいかなかったが、田沼意次は現代的な経済感覚があった。

【江戸時代】自ら作った制度で…


江戸時代には船のマストの数が制限されていた。
本来であれば3本マストが良いのだが、1本しか立ててはいけない!というルールがあった。なぜだろう?

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1本マストだと遠くまで船で行けないため。
3本マストの方が、長距離航海には良い。しかし遠くに行って欲しくない幕府は、マストは1本まで!とした。しかしこの結果、マストは折れやすくなり、大黒屋光太夫やジョン万次郎などの漂流民が生まれた。結局はそれが外国との交流のきっかけになる。

【大塩平八郎の乱】


きっかけは天保の飢饉。7年間の大凶作。庶民は苦しむ。
大阪(①)で働いていた大塩平八郎
幕府は米をださず豪商は金を貸さない状況から1837年に乱を起こした。
反乱は(②)日で鎮圧されたが
幕府はこの事件に強い衝撃を受けた。
幕府が衝撃を受けた事を2つ考えよう。

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①町奉行所 ②1日

1:大阪という幕領(幕府の領地)の中でも大都市で起きたという事。
2:幕府の元役人が反乱を起こすという今までに考えられない事件だったこと。

反乱は1日で鎮圧されたが大塩平八郎の人気は高く、ここから乱や一揆が
相次いだ。これに対応しようとしたのが水野忠邦の天保の改革。

【江戸時代】江戸幕府とアメリカのアピールの違い

1854年にペリーが2度目に来航した時、日本とアメリカは贈り物を交換しあっている。アメリカは(①)の模型。日本は(②)を贈った。またそれぞれ、国の何をアピールしようとしていたか?

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①蒸気機関車の模型、他にも時計や電信機などで【文明】の進みをアメリカはアピールしようとした。
②日本は、米。それを力士に運ばせ、口にくわえながら運んだり、宙返りしながら運ばせることで、【武力】をアピールしようとした。
贈り物から両者の思惑の違いがわかる。

【江戸時代】幕府滅亡へ


桜田門外の変では江戸城へ向かう途中、大老の井伊直弼が水戸藩や薩摩藩浪士に暗殺された。
井伊直弼の住んでいた屋敷から桜田門までは、どれくらい離れていただろう?
またこの事件から当時の幕府はどうなっていたことがわかるだろうか?

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【約400m、幕府は平和に慣れきって危機感は弱くなっていた。】
400mの間に当時の最高権力者が暗殺されてしまう。今で言えば内閣総理大臣が襲われるようなもの。護衛もいたが、中には逃げたものもいる。このような状態ではアメリカに対抗できるはずもない。ここから倒幕へ加速していく。

【江戸時代】黒船来航の理由!

ペリーが日本に開国を迫った理由の一つには鯨(くじら)を捕るための港として利用したかったという事がある。
この鯨をアメリカは当時、何に使っていただろう?

鯨の(①)を(②)として使っていた!
ヒント:アメリカは産業革命の最中

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正解
鯨の①油を②工場の灯りとして使っていた。

イギリスではじまった産業革命は、当時アメリカでも進んでいた。

生産量を上げたかったアメリカは昼夜問わず工場を動かすための灯りとして鯨の油を使った(電気はまだない)。

日本はアメリカだけでなく、世界全体の動きの一つとして開国を迫られていた。

【江戸時代】幕末へ:天皇の権力の変化

江戸時代における天皇は
① 外出するには幕府の許可が必要。
② 将軍がかわる時は改元するが天皇がかわる時には改元しないことも。
③武士たちに役職を与えられない。

このことから天皇と将軍、どちらの方が権力をもっていたと考えられるだろうか?

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A:将軍

ここまで存在が小さくなっていた天皇。しかし幕府が外国とうまく交渉できなかったり身分制度に苦しんだ人達から、天皇を大切にして外国を追い払えという【尊王攘夷】の考えが広まった。
幕末では将軍と天皇の力関係を把握しておくことで、大政奉還や王政復古の大号令が理解しやすくなる。

【明治維新】廃藩置県になぜ抵抗しなかったのか?

明治新政府は自分たちが強い権限をもつために藩を廃止し、かわりに府・県をおく廃藩置県を行った。
これには藩主たちの抵抗も予想されたが、ほとんど抵抗はなかった。
これはなぜだろう?
ヒント:ほとんどの藩主たちは
【  】に困っていた。

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答:借金

江戸幕府自体が中期以降、よく赤字になっていた。地方の藩ではさらに厳しい状況になるところも多かったため新政府が借金を肩代わりすることで抵抗なく進んだ。
本来であれば自分の領地であった藩がなくなるという革命的な出来事。しかし廃藩置県により日本は近代的な中央集権国家になっていく。

参考文献:社会科 中学生の歴史 指導書 (下巻) 帝国書院


【明治維新】名字で変わる生活


江戸時代は、特権階級のものであった【名字】。
明治4年 名字と名前での表記が決定
明治5年 (①)禁止令
明治5年 (②)禁止令
明治8年 苗字必称(③)令
ヒント:全て名前に関係ある
なぜここまで新政府は名前にこだわったのだろう?

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①複名禁止 通称と本名を使用していたのを1つに!
②改名禁止 勝手に名前変えない!
③義務   名字は義務!

平民も名字を使うことで、身分制度を廃止し外国の習慣に合わせようとした。
名字ひとつから、明治維新は人々の生活まで変え、欧米諸国と対等になろうとした大改革であったことがわかる。

【明治維新】レンガで文明開化


※教室にレンガを持っていく
◯日本最初のレンガ建築は何でしょう?
→反射炉。質の良い鉄を作るのに必要。
◯文明開化の様子を描いた絵を見て!
 建物は何でできてる?
→レンガ。当時は近代建築=レンガ!
◯でも現在はレンガ建築があまりない。これはなぜ?

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文明開化のときにもてはやされたレンガ建築。
しかし1923年の関東大震災で壊滅的な打撃を受けた。
環太平洋造山帯に位置し地震の多い日本ではレンガ建築は根付かなかった。(現在は様々な補強技術がある)

レンガで
反射炉→文明開化→関東大震災→環太平洋造山帯と知識をつなげつつ文明開化の導入をはかる。

【明治維新】文明開化②



以前学んだように、この時代に西洋の文明を取り入れたことを「文明開化」といいます。

またこの頃になると「箸置き」が全国で人々に使われるようになりましたが、それはなぜでしょう?

ア 海外のお客さんをおもてなしするため
イ 1つのテーブルで家族が食事するようになったため
ウ 昔は神事で使われた箸置きの重要性が認められたため

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正解はイ
西洋の【1つのテーブルでみんなで食事をする】という文化が広まり、その際に衛生面を考えて、箸置きが使われるようになった。文明開化では海外の【技術】だけでなく【文化】も取り入れられた。
このあと銀座通りの絵を見て、西洋から伝わったと考えられる「技術」と「文化」を探す作業に入る。

【明治】文明開化の影響

明治維新によって、欧米の文化や生活様式が取り入れられ「文明開化」が進んだ。しかし文明開化の影響を受けたのは「人」だけではない。
明治初期に多かった犬の名前は「クマ」「トラ」「ムク」など。
では明治中期になると犬の名前は
どう変わるだろうか?

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明治43年犬の名前人気ランキングでは
1位「ポチ」2位「ジョン」になっている。

西洋のものを取り入れていくという考え方が人々の生活の細部にまで入り込んでいた。
文明開化では生活につながる話が多いが、日本が大きく変化したことを実感できる内容を伝えることで政治や外交の変化も捉えやすくなる。

参考文献:犬たちの明治維新 ポチの誕生 仁科邦男 草思社

【明治時代】最後の武士 西郷隆盛


1877年に起きた西南戦争。
これを機に日本から武士がいなくなった。

最初、内乱を起こす気はなかった西郷隆盛はなぜ西南戦争をはじめたのだろうか?

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明治維新における「廃刀令」で不満を持った士族たち。
西郷は最初、士族の不満を解消するために私学校を作った。
しかしそこが反政府の思想へと傾き、士族たちは不満をおさえきれなくなり、西郷はリーダーとして戦争をはじめた。

自害するときも飼っていた犬たちを逃がすなど、最後まで漢気を見せた。

【明治維新】蝦夷地と琉球:名前の由来

明治新政府は、琉球王国を沖縄県。蝦夷地を北海道と改称した。
沖縄県と北海道の名前の由来はなんだろう?
またなぜこのように名前を変更したのだろうか

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沖縄は「沖」にある縄場(漁場)を意味し、北海道は名前の候補に「北加伊道」があった。北にある加伊(アイヌの人々が自分たちの土地をそう呼んだ)。「道」は五畿七道からきている

明治新政府は近代化にあたって海外を意識し琉球も蝦夷地も【日本の土地である】という主張をするために改称を行った。

【明治維新】条約改正できない理由

世界と対等な立場の国家となるため条約改正を主な目的とした岩倉使節団。しかし法制度などが整っていないことを理由に断られてしまう。

当時の日本には
国の最高法規としての(① )がなく、またなにが犯罪になるのかを示す(② )がなかった。

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①憲法 ②刑法
領事裁判権を撤廃しようにも
外国に【自国民が日本の整っていない法制度で裁かれるのはイヤ】という理由をもたせてしまう。
そのためまずは国内の整備に力をいれようという意見が生まれてくる。
岩倉使節団により、海外との差を感じることができたことは1つの成果と
いえる。

【近現代】自由民権運動はなぜ広まった?


①板垣退助:民選議員設立の建白書を政府に提出。立志社を作る。
②江藤新平:佐賀の乱を起こす。西郷隆盛:西南戦争を起こす。
①②ともに明治政府に対する士族の不満を訴えようとしたものであるが、やり方はどのように違うだろう?
またこの後、【自由民権運動が広まった】のはなぜか。

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①は国会を作り、政治を通して【言論】で要求を通そうとした。
②は【武力】で要求を通そうとした。
しかし結局、佐賀の乱など多くの乱が
鎮圧され、また強大な力を持つ西郷隆盛が政府軍に破れた。そのため士族たちは【武力→言論】によって不満を訴えようとし、自由民権運動が広がっていく。

【近現代】自由民権運動

授業の最初に自由民権運動の絵について
「誰が、誰に向かって、何のために物を投げているのか」グループトークをする。
(ここで答えは言わない)

その後、学習をすすめ
【最後にもう一度同じ質問をする】と自分たちだけでかなり伝えたい事に近づいていた。

生徒に任せてそこまでいけたことが嬉しい。

【帝国主義】条約改正:シベリア鉄道を作った理由

19世紀後半からヨーロッパの国々は、植民地支配を広げる帝国主義をすすめていった。

1891年からロシアは【シベリア鉄道】の建設をすすめるが、これは何を目的にしたものか、地図を見て考えよう。

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ロシアは東アジアに進出しようと考えていた。そのためユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道を建設し輸送力を強化することでより軍事的な力を強めていく。

このロシアの動きをみたイギリスは日本と良好な関係を築こうとする。
それぞれの国の思惑の中で日本も条約改正をすすめていく流れをおさえたい。

【経済か条約改正】関税の役割

関税とは簡単にいうと輸入品にかかる税金のこと。

現在、米の値段は平均1キロ700円。
米にかかる関税は1キロ402円(2020年現在)
こうなると同じお米でも国産品と
輸入品のどちらが売れるだろうか?
またここまで高い関税をかけているのは
なぜか?

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輸入品を売る価格に、関税の分も上乗せされるため値段は高くなる。
そうなると売れやすくなるのは国産品。

ここまで関税を上げている1つの理由は、【自国の産業を守る】ため。

関税自主権の回復が、日本にとって重要であったのは、【自国の産業を守る手段がない】ということでもあるから。

【近現代】歴史的に偉大な人

最近、埼玉県深谷市である歴史的人物がアンドロイドとして再現されました。誰でしょうか?
ヒント
①なぜアンドロイドにしたのかと思う。
②日本の資本主義や経済においての
 功績がすごい。
③でもなんでアンドロイド?

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正解は渋沢栄一。
日本で最初の国立銀行を設立し、500社以上の企業を設立するなど、日本の金融・経済の発展を牽引した指導者。

すごい人であることはわかる。
しかしなぜアンドロイドにしたのか…
そこにおける疑問はつきない。

【日本の産業革命】何からはじめる?

当時、欧米型の近代化を進めようとした日本。日本の産業革命はどのように進んだだろうか?
日清戦争前→(   )がないから糸などを作る軽工業が発達。
日露戦争後→(   )があるから鉄などの重工業が発達。
(   )には何が入るでしょう?

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答え(お金)
造船、鉄道、軍隊など欧米型の近代化を進めようとした日本であったが、本格的な重工業をするにはお金がかかる。そこで生糸などの軽工業からスタートし、これがなんと輸出量世界一に!
日清戦争の賠償金も入ったため、重工業が発達し、日本は工業国への道を進んでいく。

【日本の産業革命】◯◯は国家

産業革命以降、国がどれだけ力があるかは、あるものをどれだけもっているかが一つの目安となった。

そのあるものとはなんだろう。
次の言葉に入るものを考えてみよう。
   【   】は国家なり

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【鉄は国家なり】

軍事力の強化、鉄道の建設のために『鉄』は欠かせないものであった。しかし1800年代末から製鉄所が作られたがなかなかうまくいかない。

ドイツから技術者をよび、作られたのが「官営八幡製鉄所」
日露戦争後には38万tに鉄の生産量は増加。日本における重工業の大きな一歩となった。

【近代前半】労働者を守る工場法の成立

日本初の労働者を守るための法律はいつごろできたでしょうか?

A:1911年の工場法

この法律の内容
①12歳〜15歳未満の最長労働時間     【  】時間まで
②休けいは労働時間が6時間をこえたら【  】分
③休日は月【  】以上が基準

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①12時間②30分③2回

現代の感覚でいうと、正直これでもめっちゃしんどいやん!となる。
法律での基準が厳しいということは現状はもっと大変だった。

しかしやっと【働く人を守る】という考えが、政府による調査と人々の訴えにより法律として成立した。これが今の労働基準法の前身にもなっている。

【近代前半】韓国併合:それぞれの思い

日露戦争のあとすすんだ韓国の植民地化に対して日本の人々はどう思っていたのだろうか?

①初代朝鮮総督 寺内正毅の歌
「小早川・加藤・小西が世にあらば〜」
②朝鮮の服を着る韓国統監 伊藤博文
③石川啄木の歌
「地図の上 朝鮮国に黒々と〜」

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①秀吉の頃から支配に向けて戦った朝鮮支配に対する満足感。
②朝鮮の人々に自発的に受け入れてもらいたい。
③他国を支配することを批判。自国を失う悲しみを伝える。

植民地化を軍事的にみた時。政治的にみた時。国民の側からみた時。【それぞれの視点から考えると思いは変わる】

【第一次世界大戦】どちらが勝つ?

連合国(英、仏、露)VS同盟国(独、トルコ、オーストリア)の間で始まった第一次世界大戦。
約6500万人が動員された大戦となったが、最終的にはどちらが勝っただろう?
資料をみて予想しよう。

画像1

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資料はアメリカによる陸軍募集のポスター。

1917年に中立を保っていたアメリカが、ドイツが中立国の船まで攻撃するようになったため宣戦布告。一気に連合国側が優勢に。

1919年にはベルサイユ条約が結ばれるがここからアメリカが世界に対して影響力を大きくする。

大戦では国同士の関係をイメージさせたい。

【原敬が首相になれたのはなぜ?】

1917年には米騒動が起きる。寺内内閣はこれをしずめるために(①)を出動。しかし(②)万人が参加した大暴動。(③)パワーを政府も実感。

当時は薩摩か長州出身の軍・閣僚から首相になる。これでは国民は納得しない。原敬は(④)出身だったため国民の理解を得た!

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①軍隊 ②70万人 ③民衆パワーを実感
④平民出身

米騒動により、民衆の力を知った政府は
【世論を無視できなくなった】
そして平民出身の原敬は、【陸・海・外相以外が政党所属の党員で組織される本格的な政党内閣】を作った。
いつの時代でも強引なやり方では、国民の反乱をまねくということ。

【新安保条約】


戦争にまきこまれることを心配した国民からの反発が強かった日米安全保障条約改定。岸信介(きしのぶすけ)首相は(   )を国会議事堂に引き入れてまで改定を決めた。

(   )には何が入る?
またこの結果どうなったか考えよう。

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答えは警察隊。

【55年体制により過半数を超えていた自民党】は安保条約改定を強行採決した。しかし、このような強引な決め方をしたため国民の大きな反発をまねき【安保闘争】が起きた。
このあと岸信介は退陣する事に。
これをみた次の池田勇人首相は【国民の目を政治から経済へ向けようと】所得倍増計画を打ち出す。

【近現代】世界恐慌の恐ろしさ

1929年に起きた世界恐慌。
「暗黒の木曜日」と呼ばれるほど世界に影響を与えた恐慌であるが、どれだけの被害があったか。
①300億ドルが1週間で消える。
 当時のアメリカ国家予算( )年分
②( )人に1人が失業。
③株価も1週間で( )分の1に。

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アメリカの国家予算10年分が1週間で消え、4人に1人は仕事を失い、株価も1週間で7分の1になった
アメリカでこれだけの被害がでれば世界中に影響する。保護貿易を行い植民地を増やすことで自分の国を守ろうとした。世界恐慌は第二次世界大戦につながる。

参考文献:経済は世界史から学べ 茂木誠 ダイヤモンド社

【近現代】世界恐慌への失業者対策

世界恐慌に対してアメリカでは、ダムを作ることによって公共事業を増やし、雇用を生み出そうとする「ニューディール政策」がとられていた。
実は、古代エジプト文明でも同じように失業者対策が行われていた。どのように失業者対策をしていただろうか?

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正解はピラミッド作り。

1年のうち4ヶ月はナイル川は氾濫する。この間は農地も水につかって農業ができない。このピラミッド作りに参加した給与として穀物などを家族に支給していた。

仕事がない人のために工業事業を増やすという発想は古代からあった。他にはどのようなものがあったでしょうか。

【第二次世界大戦】参戦理由

◯世界恐慌に対して、イギリスでは「ブロック経済」を行った。
ブロックとはどのような意味だろう?

正解は連合。つまり仲の良い国とだけ貿易をどんどんするという事。

◯実はこれが日本が第二次世界大戦に参加する理由の一つになった。なぜだろう?

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植民地の少ない日本・イタリア。また植民地を没収されていたドイツは、新たな植民地を増やす必要があった。

このあと日本は満州を占領するために「満州事変」を起こし、ドイツではヒトラーが現れる

【世界恐慌→ブロック経済→日独伊三国同盟】

までの流れが参戦理由を知ることで理解しやすくなる。

参考文献:社会科 中学生の歴史 指導書 (下巻) 帝国書院

【近現代】バブルはなぜ起きた?

高級ブランド品や高級車がどんどん売れたバブル経済はどのように起きたのか?

アメリカが(①)に怒る→先進各国がプラザ合意で(②)を進める事を決める→円高不況へ→不況だから金利を下げる→お金が(③)やすくなる→(④)を買うのが大流行!

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①日本製品がアメリカで売れすぎた事に怒る。
②円高ドル安をすすめアメリカに日本の物が入ってきても値段が高くなり売れにくくなるようにした。
③金利を下げみんながお金を借りやすくする。
④借りたお金で土地を買うのが大流行。しかし実態がない好景気のため株価と土地の値段が下がるとバブルははじけた。

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