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インナーチャイルドをみつけた

娘から
「これは、~しておいた方がいいよ。」
と言われるとモヤモヤする。

とても嫌なモヤモヤだ。

私の何かが反応しているんだろう?

ようやく分かった。


インナーチャイルドの感情を癒す

私の中にいるインナーチャイルドが
その言葉に反応している。
おそらく、怒っている。

「~した方がいいよ。」
この言葉は、
私が散々、母親に言われてきた言葉であり、
8歳の娘にも私が言ってきた言葉。

これが嫌なんだ。

この言葉を聞くと
「ほっといてくれよ!
私は、私でやるし大丈夫なんだよ!
自由にさせてくれぇ!」
とインナーチャイルドはイライラしている。

大人の私は、
私の中のインナーチャイルドに声をかける。「嫌だよね、イライラしちゃうよね。
分かるよ~。」
すると、インナーチャイルドは、
話し始める。
「いちいち、こうしろ、ああしろと
口出しするなよ!
私は、私でやるし大丈夫なんだよ!
自由にさせてくれぇ!
お母さんが、いちいちいう言葉に腹が立って怒ってんの!」
ものすごい勢いだ。
大人の私は、ただ聴く。
そして、問いかける。
「それは、嫌だったね。
あなたは、お母さんにどうして欲しかったの。」
「私のことを信じて欲しかったの。
最後まで自分の思うように
させて欲しかった。
私のことを信じて欲しかったの。」
怒っていたインナーチャイルドは、
号泣し始める。
それに合わせて、私自身も涙が止まらない。

そう。
幼い頃の私は、
失敗してもうまくいかなくても、
ただ信じて見守っていて欲しかった。
そのままを愛して欲しかった。
それが叶えられなくて、
悲しくなり、やがて怒りへと変化していた。

それが、
「~したらいいよ。」の言葉に反応していたインナーチャイルドの本当の姿だった。

大人の私は、
インナーチャイルドを抱き締める。
我が子が泣いた時のように
泣き止むまでただ待つことにした。

そして、
インナーチャイルドに再び問いかける。
「ねぇ。私にしてもらいたいことはない?」
「お母さんに謝ってもらいたい。」
私は、イメージの中で両親を呼び出し、
インナーチャイルドの思いを代弁する。
そして、両親に謝罪させるのだ。

すると、インナーチャイルドは、
頬に涙をつたわせたままキラキラ笑う。
両親に抱き締められ、私に手を振る。
そんなインナーチャイルドを
私は涙を流しながら見守る。


価値観を解放する。

そう。
私は、誰かに言われたことは、
やらなくちゃいけない。
私の為にしてくれたことは、
受け入れなければならない。
そう思って受け入れてきた。
「もう嫌だ。」とは言えなかったのだ。
本当は、思うがまま自由にやりたかった。

じゃあなぜそれを今まで押し殺していたか。

それは、
「よかれと思ってしてくれていることは、
受け入れるべきである。」
という価値観があったからだ。

この価値観は、
幼い頃、母親の言う通りにしてきた私が、
「大好きな母の言っていることをきかなければ、母を悲しませる→母に嫌われる」
そう思い込んできた私の古い価値観。

本当は、
「自由にしたい。」
その願いや思いを塞き止めていたのだ。
それがインナーチャイルドとなって、
大人になった私の中に潜んでいた。

そこで、大人の私は考える。
「よかれと思ってしてくれていることは、受け入れるべきである。」
この価値観は、必要か?正しいか?

相手の思いはありがとうと受け入れる。
しかし、
自分の考えと違う場合には、
言われたようにする必要はない。
そして、
断ったとしても嫌われることはない。
嫌われることを恐れる必要もない。
断ったとしても死ぬこともない。

じゃあ、この価値観は、
今の私にはもう、必要ではない。

今まで私を守ってきた価値観に感謝して
手放そう。
ありがとう。

私の中に潜んでいた
インナーチャイルドを癒し、
それを閉じ込めていた価値観を解放した。


ダメな自分を受け入れる

「自分の思うようにやりたい。
自由にやりたい。」
とはいえ、
不器用で、危なっかしい子どもの私は
それがやりきれただろうか?
ダメな自分を愛してくれないと悲しんでいたインナーチャイルドに聞いてみた。
「あなたの何がダメなの?
何がダメだから悲しいの?」
「だって、うまく出来ない。」 
「そうだよね、
幼い君には出来ないことがいっぱい。
だからダメだった。
それが悲しいよね。
それを分かってもらえないことも悲しい。」

我が子をみていればそれが分かる。

幼い頃の私には、
まだまだ出来ないことがあって
ダメな自分がいたんだな。
ダメで出来なくて、悲しかったなぁ。


ふりかえり

「私の思うようにやりたい。
自由にやりたい。」
今回、
インナーチャイルドに出会えたのは、
長女のおかげだ。

モヤモヤさせられ
ネガティブととらえる出来事が、
インナーチャイルドを癒すきっかけだった。

長女は、その役目を大抵引き受けてくれる。

本当にありがたい存在。

私も彼女に言ってきた
「~した方がいいよ。」
これ。もう、言う必要ないな。
彼女は、そんなこと言わなくても
自分でできる力を持ち合わせている。
それを私が一番よく理解できる。
自分のことを信じてもらえないという
悲しさも。

嫌だなと思える出来事に出会える度、
「私はまだまだ成長できる。」
そう思える。

ありがとう。

このきっかけで、私はどう変わるだろう。
ちょっと楽しみだ。