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日本ぶどうの栽培歴史②


こんにちは。
愛媛県西条市でぶどう狩りとみかん狩りをしております。

戸田果樹園でございます。

ご覧いただきありがとうございます。

励みになります。


前回の続きになりますが、日本葡萄の栽培技術の続きでございます。

③戦後のぶどう
⑴概要
昭和30年代ぶどうの作付面積が急速に増えました。
理由は高度経済成長と食生活の変化です。

昭和40年代には、栽培面積が22600ha
生産量は224700t
私の親世代が昭和30年代なのでその頃に葡萄がたくさん収穫し始められたと思うと感慨深いです。

昭和40年代には、経済が低迷し葡萄の生産も伸びが少なかったです。

昭和50年代により低迷しました。
キャンベルアーリー
デラウェア、ベリーA


赤字になってしまいました。

50年代には葡萄が飽和してしまいました。

1970年代に作れれていた品種ランキング

1位デラウェア


2位キャンベル


3位ネオマス


開発された技術を列挙すると
・ハウス栽培
・ジベ処理
・短梢剪定
・葉分析
・欠乏症の診断と対策
・土壌改良
・化学調整剤
・花ばるい対策
・黒とう病の防除
・晩腐病の防除


⑵品種
①品種の変化

昭和20年には、甲州、デラウェア、キャンベルアーリーがメイン
コンコード、ナイアガラ、まだベリーA、ネオマスも栽培されてました。
20年代の半ばからネオマス、ベリーAが増えました。


デラウェアは昭和35年に種無し栽培、ビニール被膜栽培が普及
そのことにより面積が増えました。

40年には
デラウェア5.6万t
キャンベルアーリー4.9t
ネオマス、ベリーA2.6万t

最近人気の特徴は
①色が鮮やか
②大粒
③甘味が濃い

私たちはピオーネがその特徴にあたります。


以上ここまでご覧いただきありがとうございました。
ぶどうにご関心がある方の少しでも参考になれば幸いです。

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