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"News diet"と"デジタルミニマリスト"の読書感想文 ~ ニュースもSNSも基本無意味で害悪~

1.ニュースは基本無意味なのでみない方が良い (参照:News diet)

薄いニュースは害悪で、自分の能力外の情報は無意味なのでメディアの流すニュースは見ないで、世の中の複雑性を伝えるものに触れ、自分の頭で考えるようにしようということを伝える本。

ニュースは砂糖が体に及ぼす影響と同じような影響を精神に及ぼす。

と著者はニュースは害悪であるというポジションだ。

メディアは専門家の言葉を引用するか、意見を戦わせるプラットフォームを提供するかどちらかの領域に属している。

コロナ元年だった2020年、テレビに映る語り手の顔を眺めたり、ソーシャルメディアで論争をしたりして、みな何百時間もコロナのニュースのために費やした。ただ、コロナで明確になった通り、メディアは本当に新しい「見識」を生み出せない。

「自分がコントロールできないもの」について心配しても、何の役も立たないし、ほとんど馬鹿げているとさえ言っていい。それなのに、物事の大部分はそちらの領域に属している。

コロナのニュースでわかったように、世の中のニュースは基本自分でコントロールできない領域の話。

新聞を広げたり、ニュース・ウェブサイトに飛びついたり、あるいはどこかのニュースフィードを購買したりする前に、あなたはまず自分個人の「能力の輪」を明確にしなくてはならない。「能力の輪」が明確になれば、あなたに関連のあるものとないものを区別できる。その輪の内側に入るものはあなたにとって関連があるが、それ以外は全てあっさりと無視してしまって構わない。「能力の輪」の外側にあるニュース記事を消費したところで、あなたが得るものは何もない。

そして、自分の「能力の輪」を意識して、その外側のものは無視するようにすべき。

バフェットはこんな人生訓を持っている。「自分の能力の輪を知り、その中にとどまること。輪の大きさはそれほど大事ではない。大事なのは輪の境界がどこにあるかをきちんと把握することだ」
IBMの初代社長トム・ワトソンはこの主張の正しさを裏付ける生きた証拠だ。ワトソンは、自身についてこう述べている。「私は天才ではない、私には所々人より優れた点があって、そういう点の周りからずっと離れないようにしているだけだ」

と各大物もこれをこれを地で行っている。

「ニュース」の対極に位置するのは、長い形式のもの、新聞や雑誌の長文記事、エッセー、特集記事、ルポタージュ、ドキュメンタリー番組、本などだ。何より大事なのは、世界の複雑さを伝えられるだけの能力や情報を持ち、事実を尻込みせずに伝えている雑誌や本を読むことだ。

ではニュースではなくて何かと言うと、長い形式のものに触れ、複雑な物事を自分の頭で考えることだ。

ビルゲイツはマイクロソフト社を創設して以来ずっと、年に2回、丸一週間の思考期間をとっているという。その時間は「考える週」と呼ばれていて、ひと束のメモ用紙と本をいっぱいに詰め込んだスーツケース一つを持って、人気のない島にこもるのだそうだ。

ビルゲイツもそれを意識的に実施している。ただこれは難しいことだ。

脳は"どぎついニュース"に過度に反応する。

からだ。これは人間が古来から自分を守るための特性だ。テロリストに殺害されるリスクは、自ら命を絶つリスクのわずか3000分の1だが、自殺よりもテロリストに怯える。

規模の大小に関わらず、ニュースメディアはどの媒体も、私たちの脳を過度に反応させるような記事の作成方法に全幅の信頼を置いている。感動的な話や、どぎつい写真や、衝動的なビデオや驚くような "事実"で私たちの注意を引きつけようとする。そうしなければビジネスモデルが成り立たないからだ。

人間の脳の特性を生かして、注意を引いて、広告収益を得るのがメディアのビジネスモデルだから、ニュースは複雑で本質的な問いかけは投げ込まない。

読者の大多数はたった一本の深く掘り下げた記事よりも、一口サイズのニュースを10本消費するほうを好むからだ。

薄くてインパクトがあるニュースの方が人間を刺激する。緊急の医療措置や企業再建や戦争地域での救助活動については報じても、それらの出来事が起きるのと防ぐための行為は報じない。

ちゃんと自分の能力の輪を知り、その中のものを掘り下げながら、関係のないものを遮断するようにしようと思わせてくれる本。

2. SNSは害悪 (参照:デジタルミニマリスト)

SNSの登場により、主体性が脅かされてると警鐘を鳴らし、「こいつはスロットマシンなんです」という。facebook初代CEOのショーンパーカーも

「社会的証明のフィードバックループ・・いかにも私のようなハッカーが思いつきそうな手法だね。人の心理の弱点を食い物にするわけだから」

という。心理の弱点とは、人が渇望する、共同体に属しているという感覚だ。特にこれらは"いいね"機能誕生後に加速した。

"いいね"機能誕生の背景は地味だが、その後、フェイスブックを支える土台に成長した。それまでユーザーが時折チェックする愉快な娯楽でしかなかったものがデジタルスロットマシンに変身し、ユーザの注意と時間を独占し始めたのだ。このボタンはランダムなタイミングで届く社会的欲求のシグナルの豊かな流れを新たに作り出した。アカウントを何度でもチェックしたいという、抵抗がほぼ不可能な魅惑的な衝動を生み出したのだ。

自分も通知が来る度に見てしまう。こういった主体性からの逸脱はいろんな弊害があるそうだ。ピッツバーグ大学の研究より。

選挙期間中の世論調査でランダムにサンプルを抽出する際と同じテクニックを使い、19歳から32歳までの成人を全国代表サンプルとした。そして、被験者に対し一連の質問をして、被験者自身が認識する社会的孤独(PSI)ーいわば孤独指数ーを計測した。また人気のあるソーシャルメディアサービスを11種類選び、それぞれの利用頻度と利用時間も尋ねた。回答を集計したところ、ソーシャルメディアを利用すればするほど、孤独指数は上昇する傾向にあることがわかった。ソーシャルメディアの利用頻度と利用時間が多い方から1/4までに属する被験者は少ない方から1/4に属する被験者に比べ、孤独しすうはなんと3倍高かった。
「全体としてフェイスブックの利用と幸福度の間には負の相関があることがわかった」例えば、"いいね"やリンクのクリック回数が一標準偏差増えると、心の健康レベルは一標準偏差の5~8%低下する。

ちなみに、研究は肯定的なものと否定的なものがあったようだが、否定的なものはソーシャルメディアの全般的な仕様に焦点を当てていて、肯定的なものは特定の行動に的を絞ったものらしい。

必要なのは自分の根本をなす価値観に基づいた、妥協のない "テクノロジー利用に関する哲学"だ

といっている。きちんと思想を持った上で、手段としてソーシャルメディアに向き合うことが大事だ。そうやってソーシャルメディアに飲まれるのではなく、自分の思想を叶えていくように使うべきだろう。

取り急ぎ、1) スマホのアプリを半分くらい消して、2)つい見てしまうアプリは2スクリーン目にフォルダを作ってまとめた(SNSアイコンタップまでに、ホーム画面起動して1スライド2タップ必要なところまで遠ざけた)、3) 通知を必要なものだけにした。

仕事と私生活の境界線が曖昧になり、仕事の負荷が増え、コミュニティの伝統が薄れていくにつれ、人々はアリストテレスが人の幸福に不可欠とした質の高い余暇活動に没頭するゆとりを失っているので、それを取り戻したい。



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