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裕福な人が富み、労働者が貧しくなる理由

21世紀の資本論を読んだ。現代の教養といっても過言ではない名著だが分厚くて避けてきた本。「裕福な人 (資産を持っている人) はより裕福になり、労働でしか富を得られない人は相対的にいつまでも裕福になれない」ので、資産課税しようよというのを18世紀から現代に至る数字を用いて提案される。

資本主義の第一基本原則はα(国民所得の中で資本からの所得の占める割合) = r(資本収益率) × β(資本 / 所得比率)で示され、r(資本収益率) > g(経済成長率)という構図は基本変わらないことを産業革命以降の複数国のデータを用いて論証される。これは労働者の幻想を粉々に打ち砕く。

1.格差が経済成長によって収斂するのは幻想

世界の格差は下は1人辺り所得が月額150-250ユーロの地域(サブサハラ・アフリカ・インド)から、上は2500-3000ユーロの地域(西欧・北米・日本)までの開きがある。つまり最高は最低の10倍から20倍高い。世界平均は中国の平均と大体同じで、月額600-800ユーロだ。

2013年に発行された本なので、インドや中国は現在のポジションは異なる気がするが、実態格差は大きい。

一般的に世界の所得分配は産出の分配よりも格差が大きい。なぜなら、一人当たり産出が最高の国々は、同時に他の国の資本も持っているはずなので、一人当たり所得の低い国にある資本からのフローの一部を受け取る可能性が高いからだ。

富裕国は"自国の生産量が多い"のと、"外国にもたくさん投資している"いて、2重で豊かなので、格差が広がる。

古典派経済理論によると、このメカニズムは世界レベルでの資本の自由なフローと資本限界生産性の均等化に基づくもので富裕国と貧困国との収斂につながって、いずれは市場の力と競争を通じた格差縮小をもたらすはずだ。

と反論も世の中には存在するが、一人当たりの産出の収斂があり得るだけで、一人当たりの所得が収斂するということにはならないことはわかる。実際に自給自足が繁栄をもたらしたことは歴史上一度もないようだ。

日本、韓国、台湾も全て投資を貯蓄から捻出した。また自由貿易からの利益は主に、知識の普及と国境開放で必要となった生産性向上からくるのだ。
国際レベルでも国内レベルでも、収斂の主要なメカニズムは歴史体験から見て、知識の普及だ。言い換えると、貧困国が富裕国に追いつくのは、それが同水準の技術ノウハウや技能や教育を実現するからであって、富裕国の持ち物になることで追いつくのではない。

日本のようなシンデレラストーリーは教育と生産性向上の自力での立ち上がりであり、外部資本によるものではないと。

2.年率1%の経済成長は異常

1700-2012年で世界の産出は年率平均1.6%で成長したが、そのうち0.8%は人口増加の分で、残り0.8%が一人当たり産出の増加からきている。

近年の成長は産出の増加と同水準で人口増加が要因なので分解が必要。

そして、年間経済成長率1%以下はどうでもいいと無視され、3-4%以上でないとという風潮があるが、そもそも歴史上年率1%でも異常な成長である。

年率たった0.2%の成長ですら、1700年も続いたとすれば世界の人口は紀元0年にたった2000万人だったことになってしまう。だが今手持ちの最高の情報によれば、実際の人口は2億人以上だったはずで、そのうち5000万人がローマ帝国領内に住んでいた。歴史的な情報源やこの二つの時代に関する世界人口成長率が0.2%以下だったのは絶対確実で、ほぼ間違いなく0.1%以下だったはずだ。

経済成長は人類の歴史の大半を通じてほぼゼロだった。

3.人口が伸びない or 経済成長停滞は資産をより強くする

横ばいの人口またはそれよりひどい人口減だと、先代が蓄積した資本の影響は高まる。同じことが経済停滞についても言える。さらに低成長だと資本収益率は成長率より大幅に高くなることも考えられ、そうした状況こそが「はじめに」で述べたように、長期的な富の分配格差へと向かう主要な要因だ。
伝統的農耕社会と、第一次世界大戦以前のほぼすべての社会で富が超集中していた第一の原因は、これらが低成長社会で、資本収益率が経済成長率に比べ、ほぼ常に高かったことだ。

人口や経済成長がなされないと、資本収益率が優位になる。成長社会では、新規技能の入れ替わりが激しく、エリート層の入れ替わりが急速になるので、資産相続の価値が下がるが、低成長だと各所の専門活動は世代ごとにほとんど変化なしに再現され続けるからだ。

世界の技術的な最前線にいる国で、一人当たり産出成長率が長期にわたり年率1.5%を上回った国の歴史的事例は一つもない。
過去数十年を見ると、最富裕国の成長率はもっと低くなっている。1990年から2012年にかけて、一人当たり産出は西欧では1.6%。北米では1.4%、日本では0.7%の成長率だった。

歴史を見ても、一人当たり産出の成長率1%くらいというのは実はかなりの急成長であるのでそのうち停滞は起こるだろうし、そうなったら再度資産が強くなるのも想像できる。

4.停滞した社会で作用する資本主義の第二法則 β = s/g
β : 資本/所得比率、s : 貯蓄率、g : 成長率

極度のショックを説明できないし、資本/所得比率に対する短期的ショックも説明できない。だが、ショックや危機の影響が亡くなった時に資本/所得比率が長期的に向かう潜在的な均衡水準は教えてくれる。

とあるが、この方程式は、たくさん蓄えて、ゆっくり成長する国は長期的には莫大な資本ストックを蓄積し、それが社会構造と富の分配に大きな影響を与えることを示す。

β=s/gの法則が有効なのは、人間が蓄積できる資本に注目した場合だけだ、国民資本の相当部分が純粋な天然資源なら、βは蓄積の恩恵を全く受けなくても、非常に高くなる。
β=s/gの法則が有効なのは、資産価格が平均で見て消費者物価と同じように推移する場合だけだ。不動産や株の価格が他の物価より急速に上昇すると、国民資本の市場価値と、国民所得の年間フローとの比率βは、新たな貯蓄が加わらなくても非寿王に高くなりかねない。

というように必ずしも使える方程式ではないが、参考にはできよう。

マルクスの考え方については断言はしにくい、だが論理的に一貫性を持ってマルクスの思想を解釈する方法が一つある。動学法則β=s/gを、成長率gがゼロ、あるいはほぼゼロである特殊な例の場合について検討することだ。

ちなみに、マルクスの原理も世界が成長しない前提で考えると成立する様子。

マルクスの脳内では、ロバート・ソローによる1950年代の成長研究以前の19世紀および20世紀前半のすべての経済学者と同様、永続的かつ恒久的な生産性の成長が突き動かす構造成長という考え方自体、はっきり特定されてもいなかったし、定式化もされてなかった。
当時、暗黙に想定されていたのは、生産性の成長、特に製造業産出の成長は主に産業資本の蓄積で説明できるというものだった。つまり、産出が増加したのは、個々の労働者を支える機器と設備が増えるからで、生産性自体が増加したからではない。
現在では長期的構造成長は生産性の成長がないと無理だとわかっている。だからマルクスの時代には、まだ時間も十分に立っておらず、優位なデータもなかったので、これは明らかではなかったのだ。

現代に至るまでは、生産性の成長があったからこそ、マルクスのシナリオは起こらなかったとも言える。逆に停滞した世の中ではマルクスのシナリオが復活することはあり得る。

5. 富の再分配を実現するには資本にメスを入れる必要

産業革命以来、格差を減らすことができたのは世界大戦だけだったことがわかる。
20世紀のフランスにおける格差の減少は、不労所得生活者の減少と、高資本所得の崩壊でほぼ説明できる。

と、1913年から1948年の間に起きた、二度の世界大戦、大恐慌などの複数のショックが重なった期間は例外だった。というのも、不動産や金融資産の価値が極めて低くなったからだ。

二回の戦争が財政と政治に与えた打撃の方が、実際の戦闘よりも大きな破壊的影響を資本にもたらした。

1.革命による収用と、非植民地化プロセス、2.外国資産を売却すること、3.株主や債権保有者が相次ぐ企業破綻。の三つが作用した。実際は、外国ポートフォリオの崩壊・貯蓄率の低さが減少分の2/3~3/4、企業の混同所有と規制が減少分の1/3~1/4を占めていたと想定されるようだ。一方、

戦時中は経済活動が減少し、インフレが上昇して、実質賃金と購買力が下落し始める。しかし、賃金分布の底辺の賃金は一般的に増加するし、最上位に比べるとインフレから少しはしっかり保護されている。
労働者はある種の社会正義と公平性規範の考え方を共有しているため、最貧層の購買力急落を防ぐための努力が行われる一方で、もっと裕福な同志たちは戦争が終わるまで需要を我慢してくれといわれるからだ。
1970年、最低賃金は平均賃金に公式に連動するようになり、1968年から1983年までの間、政府は騒然とした社会政治的状況の中で、ほぼ毎年最低賃金を「引き上げ」ざるを得なくなっていた。おかげで1968年から1983年にかけて、平均賃金は50%しか増加していないのに、最低賃金購買力は130%以上増大し、賃金格差は大幅に減少した。

とあるように、戦時中は裕福な人は搾取の対象に、最貧層は保護されるので格差は減る。これらの歴史踏まえ、

果てしない格差スパイラルを避け、蓄積の動学に対するコントロールを再確立するための理想的な手法は、資本に対する世界的な累進課税だ。

ここがピケティが言う解決策。インフレや緊縮財政は根本解決しないと論じている。

70%以上の税率を試してみた最初の国は米国だった。まずは1919-1922年の所得税で、そして1937-1939年には相続税だ。

今では信じられないが、米国も高所得者や資本に対して課税をかけた歴史があり、事例も参照できる。

1980年代以降、金融やグローバリゼーションと、国家間の資本競争の激化の影響で、イデオロギーの風向きが激変し、資産への税率は低下し、場合によっては全く課税されなくなった。

しかし、今や戦時中に行われていたことは、今はかなり緩和されてしまっている。

資本税は新しいアイディアなので、21世紀のグローバル化した資本主義に適合させる必要がある。この税の設計者たちは、どんな税率表が適切で、課税対象資産の価値はどう評価され、資産所有者についての情報がどうやって銀行から自動的に提供され、国際的に共有されるかについて考えねばならない。

経済はグローバルしているし、税回避のタックスヘイブンなども存在するので、資本税の設計はグローバルでやらなければいけない。これが一番難しそうだなぁと思う。

自分の勉強のために5つのポイントを抜き出したが、読むたびにポイントが変わりそうなほど重厚な本だった。


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