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百合とバーチャル美少女の共通項

バーチャル美少女ねむ『メタバース進化論』に、メタバースでは70%以上が実際の性別に関わらず女性アバターを使っていると書かれていて、その理由として「可愛くなりたい」「感情表現をしたい」「相手と距離を縮めたい」という3つを挙げていた。

女の子になりたいと男性がよく言うのを聞く。この言い方だと少し“ないものねだり”な感じがして、女性からは、私は男性で生まれたかったわと返されることもあるが、そういう話ではない。「女の子になりたい=美少女になりたい」であり、その理由として上の3つの理由があるのだと思う。特に2つ目と3つ目には激しく同意出来る。1つ目の「可愛くなりたい」はメタバースならではだと思っていて、例えばそれはSNSで美少女アイコンを使っていたとしても(私もだ)あまり自分が美少女になったという感覚はなく、どちらかと言うと「可愛くみられたい」という傾向にあると思う。メタバースだと本当に自分の神経と自分のアバターが繋がっているような感覚で操れるらしいので(私はやったことがない)、可愛くなっている実感を得やすいのかな。

2つ目や3つ目について。
そういえば私も小学生の頃はネカマをしていたもので、しかもそれは別に女性になりたいという願望があるわけではなくコミュニケーションがしやすいからっていう面が大きかったからだと思う。自分が招待されたグループが女のオタクばかりだったので、自分も女として振る舞った方が馴染むかなあ、というだけの理由だった。いつからかLINEに「オープンチャット」というものが出来ていて、たまに「女子のみ!雑談グル」みたいな所を見に行くんだけど、やっぱり完全匿名だとあんまり性別とか気にしなくなるのかな〜というのは実感している。
究極、「美少女になりたい」というわけではなく、密接なコミュニケーションをしたいというのが私としては一番の欲。美少女化はあくまで手段としてね。そういえばリコリス・リコイルでも女の子の制服姿は都会の迷彩服だとかなんとか言っていたね。

百合漫画も似たような理由で好き。つまり私にとって百合漫画は性別の違いを気にせずにお互いの愛の繋がりを確認出来る、身体の接触も出来る1つの世界なんだよな。なんの抵抗もなく恋愛漫画を楽しめる。恋愛だけじゃなくていわゆる日常漫画の方が顕著にその良さが出ていて、具体的に言うと私は男と女が部屋で2人きりになったらえっちな展開しか想定できなくなるので、その空間には『ゆゆ式』のようなものは一切見出せない。だけど女の子同士なら間違いは起こりにくいので、安心して、嘘に包まれているかもしれないけど「嘘のない世界」が見れる。男女で夏の暑い部屋に2人きりなのに勉強してかき氷食べて帰るなんて嘘の塊なので。

この、嘘に包まれているかもしれないけど「嘘のない世界」が見れる、っていう私のあまりにも独りよがりな表現が『メタバース進化論』には分かりやすく書かれていた。
曰く、美少女は「枯山水」だそう。枯山水とは水を一切使わずに石や砂の配置によって水の流れを表現する日本庭園に様式のことで、つまりそこにないものに「思いを馳せる」ことが必要になる。
「人形浄瑠璃」も例に出していて、人形浄瑠璃って人形を動かしてる黒子が後ろに見えているのにそれを見てがっかりすることはない。
男性がバーチャル美少女として活動するのはある意味騙しているようにも捉えられるけど、それは野暮なことで、「ないはずのもの(水、生きたように動く人形)」を「あるものと見立てる」ように見るのが良い。
百合漫画でも女の子しか出てこないアニメでも、それが現実にはない嘘だと分かりつつ、それによって見えてくる深い部分に目を向けれるのが面白い。

この「性別を気にしない」ってことが私の思う一番の百合漫画の醍醐味だ。いつの間にか百合漫画の話になっちゃったけど。まあ百合漫画というより「日常系百合漫画」の話で、百合姫的なものよりきらら的なもので、それは舞台装置としての美少女、迷彩服としての美少女、という意味。


ホモ・サピエンスが獲得した一番大きいものは「仮想概念(バーチャル)を理解する能力」なので、外部デバイスを自分の身体の一部のように操れるんだけど、メタバースで美少女になる、魂だけ移動させて器を変えるっていうのはまさにそれを利用した「進化」に近い。

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