【書評】『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』/世界の仕組み【基礎教養部】


上の本と下の2つの記事を読み終え、私が感じたことをこれから書く。

(ゆーろっぷさんの800字書評、note記事は準備中です。)

本書は因果関係の推定方法について書かれた、計量経済学の入門書である。数式による説明は巻末の付録にまとめられていて本文中に登場することはないし、章末毎に内容のまとめが載っている。とても読みやすかった。計量経済学というワードは本書を紹介してくれたゆーろっぷさんに教えてもらうまで知らなかった。ざっくり言うと、主に統計学を駆使して、実際に社会で起っているあらゆる現象を解析することを目的とした学問のようである。

本書のテーマは、因果関係である。原因と結果。まず、何かしらの結果がある。結果があるというか、恣意的にそれを結果として認識する。そして、その原因を探る。原因を探るのは、この先もう一度その結果を引き起こしたい(or 引き起こしたくない)からである。原因が特定されると、それは結果とペアになってデータベースに収納される。次回以降はそのデータベースを参照して原因を発火したりしなかったりして、望みの結果を引き出す(or 引き出さない)ことができる。データ量が増えるに連れて世界の仕組みが分かってくる。世界の完全攻略は可能か。

この先何を書こうか、考えている。ただ、パソコンの前でうーんと唸っていても進展は無いし、実はこの記事、今日のミッドナイトが締め切りなので、迷いつつも書き進めていく。以下、これまでよりも「私のメモ帳」色が強くなると思う。

今気づいたことで言うと、「なので」とか「だから」で繋がれる二つはいつでも因果関係だろうか。例えば「今日が締切だから、今これを書いている」と言うとき、これを書いていることの原因は、今日が締切であることなのか。確かに、今日が締切で、現時点で書き終わっていなくて、それでいて締切は守らないといけないと思っていて、そうだから、これを書いている。

ん、なんか分からなくなってきた。とりあえず「今これを書いている」ことを結果にする。私が今、パソコンを前にして座っていることは原因だろうか。パソコンに電気が通っていることは。指先でキーボードを特定の順番で叩いていることも。ゆーろっぷさんがこの本を紹介してくれたこともそうだし。これら全てが原因ならば、これまでの全過去と、現在の全宇宙と、そういう全てのことが原因になってしまう。何かトンデモを言っている気もするけど、でも、そうだよね。

例えば、私はいま実家にいて、背後のキッチンで母が年越しそばを準備してくれている。母がそばを作ることは私がこれを書いていることの原因か。「これ」が指している対象が曖昧だ。母がそばを作っていなかったら「母がそばを作っている」という文章は書かれなかったはずである。それでも記事の執筆作業は行なわれていただろう。ただその場合「母がそばを作っている」と書かれた「本記事」とは異なった仕上がりになっているはずなので、「これ」は書かれていない。

「これを書いている」を「記事の執筆作業が行なわれている」と言い換えたとしても、母がそばを作っていない状況下で記事を書いていないので、想像でしかものを言えない。母がそばを作っている状況下で記事を書いている今と、他は寸分違わず全く同じで「そばを作っている」だけが除かれた状況を比較することができない。そばじゃなければそのときはうどんを作っているかもしれない。

因果関係トンデモと言えば、他にどんなものがあるだろうか。未来が過去に影響を及ぼすとか、ですかね。いや、これはトンデモではなくて、そういう話をどこか真面目な場所で見たことがあるような気が。

「年末だからすき焼きを食う」と「暑いからアイスを食べる」は構造的に同じか。

「未来が過去に影響を及ぼす」で思い出したのは、未来は変えられないが、過去は変えられるということ。AをBに変えるというのはAがあって初めてできることだが、未来はまだ白紙なので変えられる対象が存在しない。だから、未来は変えられない。過去はこれから先のあれこれによって、その解釈を変更させられ得る。


「因果関係」に関しては、これからもいくつか本を読んで勉強してきて、そしてまた考えたことを記事にしようと思う。この記事をうまく締められないのは、考えている最中だからである。




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