吹奏楽部の死人

顧問が亡くなったのは私が入部して、退部した数ヶ月後だったと思う
混乱していたから記憶が定かではないけど、すぐだった。
当時は今より更に子供だったから思い込みがずっと激しくて視野もずっと狭くて
『自分が退部した所為で顧問が自殺した』という考えに囚われて恐怖で毎晩悪夢を見た。汗でパジャマが信じられないほどずぶ濡れになっていたのを覚えてる。漏らしたのかもしれなかった。
とにかく睡眠がありえないほど長くなったりしていた気がする。その頃には既に遅刻の常習だったので特別な目立ち方はしなかった気がするけど確かに体調がおかしくなり始めていたと思う。
身近で関わりのある人の死というものを受け止めきれず霊柩車が学校の前を通る時全校生徒が並んで見送った。吹奏楽部員はもちろん男も女も教師も涙ぐみある者は鼻をすする男しゃくりあげる誰かの声があちこちから聞こえる。
それでも私は関係なかった。退部していたしヒステリックな指導の印象が刻まれたまま茫然と強い人物の死を眺めることしかできない。
喜怒哀楽どれでもない巨大な出来事としてその日が記憶に横たわり、歩んだ足取りの先が無く崖になったような宙に浮いた感覚がして、何もかも見失った心地がしていたような気がした。
目覚めるのが困難な深い眠りの中で毎晩譜面に閉じ込められる夢を見る。音符が追ってくる。迫ってくる。
二度と音楽を聞かないし近づいちゃいけなくなったんだと、一生罪を背負っていかなければと本気で考えた。顧問は病気で死んだと聞かされたのに自殺だと決めてかかっていた。
どんなふうに周囲には写っていたんだろう。もしかしたら変わったと思ったのは私だけで何も変わっていないように見えていたかもしれない。それが今にも続いているかもしれない。
その後数年あらゆる音楽を避け続け、よくわからない後ろめたさから人の気配や声に過剰に反応するようになったのもその頃だったと思う。確かメンタルクリニックに通い始めたのもそのくらいの年齢だったと思う。夢が怖くて、人が怖くて、全部怖い。部内であったこと。やめたきっかけは怒号が飛び交うスパルタ的指導についていけなかったことだけでなく自分がいるべきでないと思ったからだ。
8月、野球部の試合の応援席で暑さと頭痛でふらついて転倒した際に本番用の楽器を地面に落とし、へこませ傷をつけた
ホルンが地面に落ちる大きな音の方向に振り向き私を見た部員たちの視線、その気配と感覚は今でも神経に深く刺さっていて思い出しては心臓が締め付けられる。
県大会金賞を連発し、全国を目指していたであろう部だった。合宿費の集金なんかもあって、人数も多かったしよく覚えてないけどいい値段だったろう。周囲とは別格に低知能な私でもなんとなく大勢の圧は感じていた。母に集金についてのプリントを渡したらびっくりするくらい渋られたのを覚えている。そんなこともあって、まもなく何の実績も手応えもなく上記のようなことが夏にあり辞めたので、私は部に害を成した仇みたいな存在なんだろうと勝手に思い込んだ。
退部届を提出する際、顧問は私を引き止めていた。多分どんな生徒にもそう対応していたんだろうけど私は自分が部に損害を出し仇を成したからだと思った。その時から集団と認識したものを過度に恐れたままできたと思う。

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気持ちの整理のために書き出したが、収集がつかなくなってきたし嫌気がさしたので尻切れトンボだけどもう思い出すのはやめようと思う。でもつい最近まで私はこんなあまりにも古い記憶に囚われていた。
だけどそれもようやっと過去形になり始めているからこそ自分だけのためにみっともない形でも書き出せたのかと思う。
インターネットだからこそ雑で無責任でも罪悪感がない。よかったなと思う。
ようやく私はここに肩の荷を下ろす。

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