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「好きだ」という感情は何物にも代えがたい

 ここ最近悟ったことがあって、「好きなものは好きなだけで良い」ということである。何を言っておるのやらとお思いのあなた、最後まで見てください。
 つまり、何かの分野を好きになって語りたいが、それを専門的に勉強したわけではないし…と口ごもる必要はないということだ。

 例えば、私は幻想絵画が大好きなのだが、美術について専門的に学んだわけではない。ただ「こういう感じの絵」が好きだな、とぼんやりと考えていたら、それがたまたまそのジャンルだったというだけのことだ。細かくなるが象徴主義とか、世紀末とか、ダダイズムとか、シュルレアリスムとか、とにかくあのへんがすごく好きである。というだけだ。その他にもただ好きだというだけでそれをnoteに書き散らしているのだが、書いた次の日ぐらいに後悔しては削除する、の繰り返しであった。専門家のような口調で半端者が失礼なことを書いてしまった。恥ずかしい。という感じで。

 それが最近、「いや、好きだからいいんじゃないか」と思うようになった。きっかけは「文人趣味」の本を読んだ時である。文人とは中国で生まれた概念で、官僚が詩や書画などを他人の評価や名声などを求めず「自らの楽しみ」としたことをいう。それはつまりアマチュアリズムであり、おおげさにいえばオタクの走りだったのかもしれない。私は文人に憧れを感じ、それと同時に「好きなら好きでいいじゃん」と納得してしまったのである。プロであろうがなかろうが、好きだという感覚は何物にも代えがたい。大きな間違いやデマの拡散はいけないけれど、「自分はこれが好きなんだ」と大声で叫ぶ行為は、悪いことではないだろう…と思うのである。

 あるいは、例えば茶道とか香道とか、「習い事」についてもそうだ。
 一時期、香道や煎茶道について知人を通して体験する機会があった。いずれも会費の高さや、住まいから教室までの距離の問題で、本格的に学ぶ前に断念せざるを得なかったが、SNSの周りを見渡してみると「そういうのを習っていないが、趣味で自己流にやっています」という人はかなりいるのである。良いか悪いかについては議論が有るだろうが、私は「個人で楽しんでおり、自己流と書いているのだから良いのでは」という考えである(その逆で、流派を名乗ってお金を取っているというのは問題だと思うが…)。

 アマチュアで良いのだ、というと、「それは諦めなのか」という問いかけが同時にやってくる。いや、確かにそうかも知れないけど、それが好きだから、楽しんでるから、それでいいんじゃないか、という話です。

参考

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