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村上春樹「女のいない男たち」

 2021年の日記。
 公開中の映画「ドライブ・マイ・カー」を見てきたのだが、なかなか感想が難しく、書きあぐねていた。その間、原作である村上春樹の短編集「女のいない男たち」を読み終えてしまい、こちらのほうが感想がまとまりそうなので、こちらを先に書く。

その前に、村上春樹の短編について。

 村上春樹の短編集で、既読なのは「中国行きのスロウ・ボート」だけである。感想を書いてないのは、内容がいまいち頭に入らなかったからだ。それからというもの、村上春樹の短編は読まず、長編だけずっと読んできた(苦行のように)。ファンですか、といわれると難しい。というのが私の立場である。 

「女のいない男たち」

 収録されているのは「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」「女のいない男たち」の6編。「女のいない男たち」は単行本描き下ろしで、後は「シェエラザード」は翻訳家の柴田元幸氏が編集長を務める「MONKY」、残りは全て文藝春秋に書かれたものである。

 いずれの作品も、静謐で硬質なのは村上春樹らしいが、何らかの形での「別れ」が描かれているのではないかと思う。

 村上春樹はまえがきで、

この本は音楽でいえば「コンセプト・アルバム」に対応するものになるかもしれない。

村上春樹「女のいない男たち」

 と、語っており、一つのテーマを様々な場所、人物、表現で見せてくれている。

 「ドライブ・マイ・カー」

 他の男と寝ることを繰り返していたらしい妻が癌でなくなり、同時にみさきという女性運転手と交流することとなる「家福」の妻、そして妻と寝ていたと思われる「高槻」との別れ。


 「イエスタデイ」

 東京生まれなのに関西弁を勉強したという不思議な友人・木樽、木樽の彼女という栗谷えりか、そして「僕」の奇妙な関係。付き合いながらも彼女と触れ合うのは苦手という木樽、木樽のその性格を嫌い別の男性と体を重ねたえりか、そしてそれを心配しながらも傍観する「僕」。その数年後にえりかと僕は再会を果たすが、彼らの心の中には冷たい風が吹くばかりである。


 「独立器官」

 所帯を持たず様々な女性と付き合う独身貴族(死語か)の度会、それを心配する「私」、度会の秘書であるゲイの「後藤」。しばらくして度会が謎の死を遂げ、その最後の様子を後藤は「私」に語る。そして「どうか度会先生のことをいつまでも覚えていてあげてください」と涙を流しながら語る。


 「シェエラザード」

 性交渉の度に物語を語る謎の女性「シェエラザード」(あだ名)と、外に出ることができず「ハウス」という施設に隔離されている羽原という男性との不思議な交流。この話だけ明確な「別れ」は描かれず、シェエラザードの「物語」の中で別れが描かれる。


 「木野」

 妻が自宅で自分以外の男性に抱かれているのを見てしまった木野は、親戚の持っていた喫茶店を改装しバー「木野」を始める。ある日、「ふつうのスコッチ」を頼む不思議な男性「カミタ」が現れる。しばらくして木野の周囲から猫が去り、蛇が現れ始める。木野は「ここから離れたほうがいい」と奇妙なことを告げられ、そしてビジネスホテルを移動する逃避行を始める。ここでは木野と自身の店「木野」、そして「カミタ」との別れ。この話も神話的で、このまま書き続ければ長編になっただろう、という気もする。


「女のいない男たち」

 「ある日突然、あなたは女のいない男たちになる」という台詞とともに、 これまでの話の総括的な言葉が語られる。

 どの作品も好きだが、ベスト3は「木野」「シェエラザード」「ドライブ・マイ・カー」かな。


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