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石井遊佳「百年泥」

 いやー、薄い小説なのにえらく読むのに時間がかかってしまった。こういうマジックリアリズム的な小説はびっくりしてしまうんである。いや、村上春樹で多少この手の描写はあったが、「百年泥」は唐突に異常な描写が大量に押し寄せてくる。それこそこの泥のように。

 あらすじ。

 主人公の女性は元カレに勝手に名義を使われ、多重債務者になってしまう。困り果てた彼女は不動産や株取引仲介など、怪しげなブローカーをしている元夫に借金を申し込むと、インドはチェンナイの日本語学校の教師の職を紹介される。何の経験もない中、初めてのインドで様々な生徒に振り回され、悪戦苦闘する主人公。そんな中、チェンナイの街を流れる川が百年に一度の大洪水を引き起こす。その洪水はとんでもない量の「泥」をもたらした。積もった泥を掘り返すと、数年会ってない友人や大阪万博の記念コイン、人魚のミイラなどが掘り起こされていくのだった…

 って、本当にわけがわからん。

 著者の石井氏は実際にネパールやインドで日本語学校の教師をしていたそうで、その時の経験をもとに書かれたのだろうか。私小説のようにも見える。しかしながら、圧倒的な「泥」(マジックリアリズム)である。目眩がしてしまう。

いや泥以外にもぶっ飛んだ描写は登場する。例えば、インドのIT企業の役員たちは、交通渋滞を避けるために飛翔用の翼をつけて通勤するという。え!?

 たしかにラッシュ時のチェンナイの交通機関や幹線道路の混雑は想像を絶し、例えばこの会社の重役は全員、ラッシュを避けるために飛翔によって通勤するが、それはチェンナイで暮らしはじめて以来、今では見慣れた光景になった。
 たいてい毎朝九時ごろ、すでに三十度をはるかに超える酷暑の中を私は会社玄関に到着する。その時ちょうど前方で脱翼した人をみると副社長で、
「おはようございます」
 あいさつすると大柄な彼は私にむかって愛想よく片手を上げた。そのまま趣味のよいブルーのワイシャツの襟元をととのえつつ両翼を重ねて駐車場わきに無造作に放り出す。すると翼が地上に到達する直前に係員が受け止め、ほぼ一動作で駐車場隅の翼干場にふんわり置いた。

「百年泥」

 いやいやいやいやいや。

 実はこれには伏線がある。

 主人公はインドに行く以前、大阪から遊びに来たという女の子と知り合うが、その後メールで

「おばちゃん、さいきんインド人飛ぶん?いまユーチューブで見たんやけど」

「百年泥」


 という文を女の子から送られ、「ああ大阪風味のボケか」と思った、というのだ。
 いやいやいやいや。清水義範なら本当に法則性のあるパスティーシュにしてしまうだろうが、不思議と主人公が日本語学校の教師として苦しむ部分は、私小説的な感じで異常なリアリティなのである。この、リアリティとマジックリアリズムの混濁した感じは、そうだ、何かにトリップした感じか。もしかして私は夢でも見ているのではないか…。


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