あなたの支えになりたくて

「放課後等デイサービス」というワードでグーグル検索をかけてみる。求人サイトであったり起業支援のサイトが出てきたりはするが、僕が知りたい「そもそも放課後等デイサービスって何?」という疑問に答えてくれるページにはなかなかたどり着かない。やきもきしながらスマホの画面をスクロールするもやっぱり良さそうなページを見つけられそうにないので、「もうここでいいや」と適当な起業支援サイトを開いてみる。そこには大きく「年々事業所数も増えており利益率も高い事業です!」と目立つフォントで高々と掲げられていた。もののついでに求人サイトも開いてみる。そこでは「未経験者歓迎!!」「学歴・資格不問!!」というメッセージが前面に押し出されていた。
それからしばらくググってようやく見つけた「放課後等デイサービス」の説明には「児童福祉法に基づき、行政の指定を受けた事業者が、障がいのある子供たち(6歳~18歳の就学児)を放課後や夏休み等長期休業日に、生活能力向上のための訓練および自立に向けた支援を継続的に行う施設です。障害のある子どもへの療育の場、居場所の役割とともに、家族に代わって一時的なケアを行うことで、家族へのレスパイトケアといての役割も担っています」とあった。
ともすれば周縁に追いやられ居場所を失くしてしまいがちな子どもたちを対象としたサービスである。説明文を読むかぎりでは意義のある社会になくてはならないものに見える。私自身、障害があるわけではないが子どもの頃にあまりいい思い出はない。安心できる居場所がない、その寄る辺なさは身体感覚としてわかる。このようなサービスに救われた子どもたちも多くいることだろう。それだけに、はじめに「放課後等デイサービス」と検索して出てきたサイト群の存在は気にかかる。それらは儲けが出るということを強調し、誰でも働けるかのような印象を抱かせるものだった。
果たしてそうだろうか?
儲けが出るのは事実かもしれない。働く人のことを考えれば儲けは出なくてはならない。だが、そこはこの類の事業が目指すべき場所とは思えない。
働く人は誰でもいいのだろうか? 絶対にそんなことはないはずだ。その人間性は問われて然るべきだ。それが資格や学歴で測れるものとも思えないが、少なくとも応募者の倫理観や自覚に訴求するような求人でなければならないような気はする。人が集まらなければ成り立たない事業であることも理解できるのだが、それが応募へのハードルを下げることに直結していいとも思えない。


なぜ放課後等デイサービスについて調べていたかと言うと話は単純で、以前に傍聴した裁判の被告人の職業がそれだったからだ。この被告人が起訴されていたのは「大阪府青少年健全育成条例違反・児童買春・児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律」の3件の罪状だった。
被告人は被害者(犯行当時中学生)とTwitterで知り合い、その後LINEでやり取りをするようになった。LINEでのやり取りをはじめてから約1ヶ月後、2人は直接会う約束をして被告人は当時住んでいた東京都日野市から大阪在住の被害者に会いに出かけた。
そして2人は大阪市内のカラオケボックスで性行為をした。被告人はSNSでやり取りをしていた時から被害者が18歳未満であることを知っていた。性行為の際、被告人はその様子をスマートフォンで撮影していた。
その後も被告人はだいたい月に1回のペースで大阪に通い続けた。2回目以降、2人でカラオケボックスに一旦入店し被害者のスマートフォンをそこに置いてから近くのホテルに移動して性行為をする、という流れになるのが常態化した。被害者のスマートフォンに入れられているGPS機能で被害者の保護者に行動を把握されるのを防ぐためである。ホテル内での性行為はほとんど毎回、被告人のスマートフォンで撮影されていた。また、被害者の身体にマジックで卑猥な言葉を落書きした上で撮影した動画や画像も被告人のスマートフォンには多数保存されていた。「児童買春」でも起訴されているのは、はじめに会った時に被告人が50000円の現金を被害者に渡していることが発覚したためだ。
起訴事実を見ると単に性慾に突き動かされての犯行に思える。そこに何かしらの語られるべき動機があったようには思えない。だが被告人は公判の場で「犯行動機」を語っていた。その犯行動機は次のようなものだった。
「彼女を救いたい、と思ってやりました」

被害者の母親の供述によれば、当時14歳だった被害者は学校でのイジメなどにより抑うつ状態にあり、中学校にもほとんど通うことができなくなっていた。
「まだ未成年で、それも精神的に不安定な状態にある娘を自分の欲求を充たすために利用するなんて…ありえない。最大限の処罰を求めます。そして今後、被告人には養護関係の仕事に就くのは絶対にやめてもらいたいです」
被告人からは示談を持ちかけられたが両親はそれを拒絶した。
被告人が逮捕されたきっかけは、被害者と並んで2人で歩いているところを被害者の父親に目撃されたことだった。その時、被告人は逃げ出そうとしたため父親が110番通報をしたのだ。被害者の親に知られてはまずいことをしている、という認識を被告人は持っていた。2人の関係が適切なものではないことも認識していた。付け加えて言えば、事件当時被告人は単身赴任中であったため別居状態ではあったが妻と2人の子どももいた。
「真摯な交際ではない、そう言われても仕方がないと思います」
被告人はそう話していた。
そう言われても仕方がない。なんだか含みを持たせた言い回しである。被告人は公判でこの言い回しを多用していた。

「はじめに知り合ったのはSNSがきっかけです。被害者は『死にたい』というようなメッセージをよく書きこんでいて、そのたびにわたしは『そんなこと言わないで』というようなメッセージを送っていました」
ここまではよくあるような話ではある。SNSに「死にたい」と書きこむ、精神的に不安定な少女にありがちな行動に思える。だが、その少女と会ったこともない妻子のある34歳の男性がそんな投稿に返信をすること自体がすでに不穏な何かを感じさせる。
「そうしたやり取りを重ねていると、被害者が『生きていたいと思わせて』と言ってきました。それでわたしは大阪まで彼女に会いに行くことにしたのです」
先ほども書いたが、被告人は放課後等デイサービスで働いている。何かしらの困難を抱えた少年少女にどう対応するべきなのか熟知している。そして彼らの行動を導く術も知っている、いい意味でも悪い意味でも。
「セックスをはじめに持ちかけてきたのは被害者です。寂しさを埋めたい、そういう愛着障害をもってたと思います。わたしは彼女の『生きたい』という気持ちを刺激してあげたかった。彼女の抱いている生きづらさに共感していたからです」
被害者からセックスを持ちかけられたというが、その前に被告人は被害者に50000円の現金を渡している。被告人によればそれは「少しでも助けてあげられるならば」という「善意」から渡しただけで下心はなかったらしいが、14歳の少女にとっての50000円は決して軽いものではない。そして14歳の少女はその軽くないお金に込められた意図を理解できないほどに幼くはない。
これがはじめに会った時の顛末だ。その後、被告人は月に一度、大阪へ通うようになる。
「許されることではなかったと思います。自己の性的欲望を充たすための犯行だと言われても仕方がないと思います」
ここでも被告人は例の奥歯に物が挟まったような例の言い回しを使っていた。


愛着障害があると推定され、そうでないにしても明確に不安定な状態にある本件児童のような少女に対して赤の他人ができること。それは医療機関や児童養護施設に繋げることだけだと思われる。少なくとも34歳の男性がするべきことは決して会いに行くことや性行為ではないはずだ。
「『一緒に性的なことをするのが支えになっている』と言われたことがあります。それで『支えになるならば』と思って関係を続けました」
などという行動は刑法で禁止されているからなどという話ではなく、少女の心身に間違いなく悪影響を及ぼす。そしてそれが「支えになる」こともない。それは常識的な感覚で一般論としてわかるはずだ。ましてや今回の被告人にはプロとして培った知識も経験もある。
「月に一回会いに行って6時間だか7時間一緒にいて、それが支えになると思いましたか?」
という質問に彼は
「支えていると思いました。(自分が被害者の)居場所になれていると思いました」
と即答している。
ここからは検察官とのやり取りをそのまま書いていく。

ーーもし相手が男の子だったら同じことしてましたか?
「金銭的な支援はしたと思います。遊んだりして気晴らしをしてあげたと思います」
ーーセックスはしますか?
「…」
ーー相手が女の子だったからセックスまでしたんですよね?
「そう捉えていただいて大丈夫です」
ーーさっきから…何なんですかその答えは?
「もしその男の子が性的なことが支えになると言ったらしてました。セックスは支えになる手段だと思ってます」
ーーで、あなたとセックスをして被害者が抱えている問題は何か解決したんですか? してないですよね? 何も解決しないの、わかってましたよね?
「はい。でも、当時は互いに好意もありましたし、彼女が悩んでいることを少しでも先延ばしにしてあげられたら、と思っていました」
ーー被害者の身体に卑猥な言葉を落書きして撮影するのも支えるためだったんですか?
「支えになると思ってました」
ーー被害者にコスプレをさせたうえで卑猥なポーズを取らせて撮影するのも支えるためですか?
「支えるためにやってました」
ーー被害者に自慰行為を撮影させてその動画をあなたのスマートフォンに送らせるのも支えるためですか?
「その頃は互いに恋人のような気持ちでいました。お互いにしたいからやってました」

「支えになりたい」、その気持ちがどのようにすれば「相手の陰部に指を挿れて激しく動かしている様を撮影する」という行為に繋がるのか、正直まったく理解はできない。だから検察官も裁判官も「それはただの性慾から出た行為なのではないか」と指摘するわけだが、そのたびに被告人は「そう思われても仕方がないと思います」と半ば開きなおったようなことを言う。
傍聴席から聞いていればわかる。いや、こうして文字に起こしていてもわかる。被告人にだって当然わかっていたはずだ。「支えになりたい」、そんな綺麗に聞こえる言葉がすべて嘘だということぐらいは誰にでもわかる。でも彼はわからない、わかろうとしない、わかりたくない。ずっとその「支えてあげたい」などという綺麗な嘘にすがっている。そうしてまで自分の内面から目を背け、自分を守ろうとしている。
検察官からの質問を終えると、次に裁判官からの質問があった。

ーー14歳の少女が、性行為に対して十分な判断能力があると思いましたか?
「考え方は大人でした。しっかり考えていると思いました」
ーー大人なら少し考えればわかること。本当に、あなたは本当にそう思っていましたか?
「……」
ーー答えない、ということでいいですね。質問を終わります。被告人は席に戻ってください。

最後の裁判官の質問に彼は答えることができなかった。
彼の供述は嘘に嘘を重ねたものだった。それは間違いない。だがその嘘は裁判所を騙そうとしたものとは思えない。刑罰を軽くするためともやはり思えない。ただひたすらに自分自身を騙そうとしているもののように私には見えた。嘘をついているという自覚があったかどうかさえ疑わしい。彼の法廷での主張から類推すると、彼のしたことは彼の中では傷ついた少女を救いたいという「善意」「善行」でしかなかった。しかも法律に反していて捕まる可能性さえあるリスクを承知し理解した上で彼はその「善行」をなした。法廷での発言を聞いていると、そんな自分の行為を英雄的なものとみなし誇りを持っているかのようにも聞こえてくる。だがその上で彼は何度か反省の言葉も述べていた。彼は一体何を反省したというのだろう。その反省の言葉は空虚に法廷に響いていた。

彼は今回の逮捕をきっかけに勤めていた施設を辞めた。今後は妻の監督の下、在宅でできる入力オペレーターなどの仕事を探すと話していた。そしていつか、児童養護施設に保護をされている2人の子どもを引き取り、また家族4人で生活することを目指しているという。今回の失敗を反省し、しっかり前を見て生きていきたい。それが目標だそうだ。
彼は前を向く。それが悪いとは思わない。だが、彼に今必要なのは後ろを振り返り自分のしたことを見つめることなのではないかと思う。「支えになりたい」、そんな軽薄な言葉で覆い隠された暴力に因って傷つけられた少女は今後誰かを信じたりすることができるのだろうか。「あなたを助けたい」と言って近づいてきた男にトイレで排泄しているところを盗撮された経験を持ちながら、前を向いて生きていくことができるのだろうか。
被告人はきっと自分が何を壊したのかわかっていない。自分を守るために、わかることを拒んでいる。自分のしたことが取り返しのつかないことだということ、それをわかってしまうと自分が壊れてしまう。だから美辞麗句で自分のしたことを覆い隠し正当化しようとする。たとえどんなに目をそらしても、その弱さが1人の少女の人生が壊したという事実は消えない。

自分の罪に向き合えない者が誰かを支えることなど絶対にできはしない。そして、自分の罪に向き合えない者がその罪を償う日も決して訪れない。



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