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お家に帰りたい

幸福の科学さんがまた劇場映画を公開するらしい。今回の映画のタイトルは『二十歳に還りたい』、いつものように製作総指揮・原作は地球神エル・カンターレだ。エルカンはつい半年ほど前に二十歳ではなく土に還ったわけだが、葬式をしたり総指揮をしたりと死後も忙しい人である。

さて、映画公開の情報を聞きつけて私は幸福の科学の施設へと向かった。向かった、というか仕事先の近くにたまたまあったから寄っただけなのだが、そこでたくさんの小冊子やチラシを掻っ攫ってきた。施設の前にはだいたいラックみたいなのが置いてあってご自由にお取りください方式でそれらの物が置いてあるのだ。
お目当ては小冊子に付いている往復ハガキである。これを送ると映画のタダ券が送られてくるのだ。「先着100名様」なんて生意気にも書いてあるが、こんなハガキを送るやつなんて100人もいるわけがないし、タダ券なんて余りまくっている(たまに映画館で普通に配ってる信者までいる)からハガキを送れば高確率でタダ券を送ってくる。
僕は一応は幸福の科学の会員なので、わざわざハガキなんて送らなくてもそっちから「どうぞお納めください」かなんか言って送ってこいよどうせ余ってんだから、と思わないでもないがタダ券を貰ってばかりの僕がそこまで言うのもひどい話なので思うだけに留めておく。
タダ券を送ってくれば観に行く、送ってこなければ観に行かない、そんな万全の構えで『二十歳に還りたい』の公開を待っていた。そして僕がハガキを送ってから2週間後、「厳正な抽選の結果」だとかもったいぶった言い回しでようやくチケットを送ってきた。


こうしてタダ券をばら撒いてもほとんど人が入らない、というのが幸福の科学映画の現状である。
なんでなのか。端的につまらないからだ。
僕はある時期まで幸福の科学映画は公開されるたびに映画館に行っていたが、そのあまりのつまらなさにここ2年ほどは遠慮させてもらっている。先ほど紹介した方法でタダ券を入手すると幸福の科学から電話がかかってきたりなんでか信者さんと観に行くことになったり、とめんどくさいことになったりしがちなのでタダ券入手もやめてしまっていた。それにいくら映画料金がタダでも、映画館に行くまでの交通費もあるし外に出たらなんだかんだコーヒーくらい飲みたくなっちゃうし…ということで行かないのが一番経済的なのだ。今回は久しぶりにタダ券入手を試みてはいるがなんてことはない、単なる気まぐれでやっているだけにすぎない。


『二十歳に還りたい』、どんな映画なのかというとおじいちゃんがなんか二十歳になっていた、という内容だそうだ。うん、もうつまんない。観に行けばきっとさらにつまらないのだろう。
世の中にはつまんないサメ映画とかを無理やりに持ち上げて「あえてつまんないのを持ち上げてる俺って面白いでしょ」みたいな主張をするつまんない人たちが一定数いると聞く。そういうつまんない人たちからさえもつまんなさすぎてもはや相手にされない、それが幸福の科学映画である。時間というものは二度と戻らない。そんな貴重な時間をドブに捨てる結果になるのは目に見えている。タダ券どうこうという話はしたが、本来なら「お金払うんで観てください」と言われて「しょーがねーなー」と舌打ち混じりに観るような物ばかりなのだ。


言うまでもなく幸福の科学は宗教団体である。だから『二十歳に還りたい』も幸福の科学の教義を伝道する、という目的をもって製作されている。だからつまんないつまんなくないということではなく本当は幸福の科学という宗教の教えが伝わるかどうかという視点で観るのが正しい鑑賞の姿勢なのかもしれない。いくら伝道目的だろうとあそこまでつまんねえと誰も観ねえしそれじゃ目的達成できねえじゃん、という意見もあるだろう。それは全面的に正しいわけだが、「つまんねえよバカが死ね。ああ、もう死んでんのか」と切り捨てる前に、宗教映画としてどうなのかという視点はやはり持っていなくてはならない。
となると映画を観る前に幸福の科学の教えってそもそも何なん? というところを知っておく必要がある。


私は幸福の科学の会員である。エルカンが死ぬ前にはエル・カンターレ祭にも行ったし隆法生誕祭なんてのも行った。物販コーナーで幸福の科学映画に出てた女優さんを発見、「あ、あの…ファンなんです!」とデレデレしながら握手してもらったりもした。その方はいろいろあってもう幸福の科学から抜けてしまったそうだ。いろいろというのはエルカンの息子と結婚して離婚したとかそういうやつだが、もうご本人のためにもこれ以上は深く触れない。幸福の科学の経典を200冊以上読み込んだし、その関連で生長の家やGLAについても調べたりした。
そうして必死に学んできた。しかしその結果「幸福の科学の教義は…よくわかりませんでした」というゴミトレンドブログみたいな結論しか出すことができないでいる。
もちろん表面的な教義はわかる。教義自体もほとんどエルカンの思いつきみたいなもんだからいろいろしっちゃかめっちゃかで、その教義を体系的に学ぶなんてことはできないしそもそも神学として成立してるものでもないからわかると言うのも無理があるが、霊界がどうたら天上界がどうたらだから三帰誓願してエル・カンターレ・ファイトでわっしょいわっしょい、みたいなことである。それはわかる。じゃあ何がわからないかと言うと「これの何をどう信じろと?」という根本的な部分である。

キリスト教だったりイスラム教だったりといった「宗教」とは異質なものなのだ。幸福の科学は一応は仏教っぽいガワを被ってはいるが、じゃあ仏教を学ぶ感覚でいけばいいかというとそれもまた違う。とにもかくにも、薄っぺらいのだ。深く考察したり、それこそ祈って考えてみるみたいなこともできない。幸福の科学の話はすべてめちゃくちゃわかりやすい。ものすごく単純な世界である。すべての事柄をあまりにも簡単に考えるからすべてが簡単にわかる。だがもちろん世界は単純には出来ていないわけで、幸福の科学のようにすべてを簡単に理解するなんてことはできない。できないはずのことをできる風に装って「俺たちは真理を知っている」みたいな雰囲気を出すからこちらの脳はハレーションを起こすばかりである。何を言ってんのこいつ? となってしまう。わかりやすすぎて逆にわからないのである。
物事を深く考えたくない。そういう欲求にはきっちり応えてくれる宗教ではある。雰囲気の宗教っぽさ、なんか救ってくれそう感、そういう部分に関しては幸福の科学はなかなかいい線を行っていると思う。考えるな感じろ、そう言われて考えずに感じるだけの信仰を持って生きていきたいなら悪くはない宗教なのかもしれない。それにしたって考えなさすぎだとは思うが。彼らのわかりやすさ、それは僕にはわからない。こんな薄っぺらい「信仰」を抱いて生きるということがどういうことなのか、それもわからない。


幸福の科学映画を観たことがある人ならわかるはずだ。ストーリーがどうとかそんなのは関係ないのだ。ラストシーンに近くなれば荘厳な感じの音楽が流れまくり、過剰なほどの光の演出でスクリーンはやたらとピカピカ光りまくる。意味はわからないもののとにかく派手で「なんかすげえ」と感心はする。
だが、それだけだ。
ただピカピカしてなんかすげえ感を出しているだけ。何がすげえのかは結局分からないし、あとになって考えれば別に何もすごくなかったりする。要はハッタリなのだ。今まで僕が観た幸福の科学作品はすべてがそうだった。とにかくハッタリでごまかす。それだけ。観たあとに何の感想も出てこない。出てくるとしても「つまんなかった」「派手だった」「金返せ」とかそんなのばかりだ。
とはいえ幸福の科学映画では数々の「奇跡」とやらが起きたとされている。たしかあれは『ファイナル・ジャッジメント』の時だった気がするが、その試写会に多くの車椅子利用者の方々が招かれていた。やがて映画が上映され2時間近くの時間を人々から奪いエンドロールが流れはじめた。ようやくのことでそれも終わり会場の灯りが灯されたとき、会場に招かれていた観客が全員、なんと車椅子ユーザーの方々まで立ち上がりスタンディングオベーションでの拍手が沸き起こったというのだ。これぞまさに「奇跡」である。馬鹿だとしか言いようがない。
他にもツイッターで検索してみると出るわ出るわ、「奇跡」の報告がわらわらと出てくる「映画を丸々1本、トイレに行かずに観られたのは初めてだ。これぞ奇跡で神のご加護だ」みたいなツイートを見て笑い転げた記憶もある。幸福の科学の神だか仏(こないだ死んだやつ)は私たち衆生のおしっこ事情まで気を配ってくださるのだ。「奇跡」もここまで安っぽくなるとありがたみも何もあったもんじゃない。なんという余計なお世話だろう。お願いだから仏様よ、そこはほっとけ。

映画の話ではなくなるが幸福の奇跡報告というのは全体的にチープなものばかりだ。
やれ、エルカンの講演会のときに上空にUFOがあらわれただの、大雨の予報だったのにエルカンが来たら晴れただの。「奇跡」の物語の話者が真面目であればあるほど聞き手は鼻白むばかりである。どうせ捏造するんだからもっと独創的なストーリーにしたらいいのに、先ほど述べた通り幸福の科学というのは極度に単純化された世界を良しとしている。何かしらの物語を構築する、という作業には不向きすぎる特性を有しているのだ。もちろん独創的なストーリーなどを求めても詮無いことである。

そんな人たちが創る映画。もちろん面白いわけがない。観るまでもなくゴミだとわかっている。
だが僕は観に行くのだ。タダ券があるから。それだけの理由で僕は池袋にまで足を運ぶのだ。今のところは10月1日に行くことと決めている。どの時間に行くのかは決めてないし、その日の気分で取りやめにする可能性さえある。雨なんか降れば確実に取りやめる。
僕の持っているタダ券はペアチケットである。1人は無料で観せてあげることが可能だ。もし「幸福映画をタダで観たい。時間をドブに捨てたい」という奇特な方がいたら池袋で張り込んでいればいい。そしてノコノコと池袋に現れた僕に声をかけてくれれば、1人までならタダで映画を観られる。途中退席ももちろん自由だ。可能、というか途中退席を強くおすすめする。ペアチケットだからどうこうなんてそんなのは関係ない。一刻も早く僕を置き去りにして帰宅してほしいくらいだ。僕だって本音を言えば帰りたい。こんなゴミ映画なんか観ないで、お家に帰りたい。貴重な時間はもっと有意義に使うべきだ。

ようやく暑さもやわらぎ、秋の訪れを感じさせる気候になってきた。1つの季節が過ぎ去り、月も変わったところで気持ちも新たに頑張っていきたいところである。だが僕はその初日から幸福の科学映画という失敗をおかす。とてもとても良くないことだと思う。でもタダ券を手に入れてしまった以上、失敗だとわかっていても行かなくてはいけない。
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