限りある資源の無駄遣い




先日、家でスマホをいじって時間を潰している時に見つけた記事だ。書いたのはフィフィ。なんでも最近幻冬舎から本を出したということで、その本の中の一部がこうしてネット上で公開されているわけだ。
「パチンコ業界の闇」と来た。パチンコという業種はとかく叩かれやすい。何かあればすぐに槍玉に上げられ寄ってたかって批判される。そこに論理的思考なんてものはなく、あるものはただ扇動に載せられ感情論だけだ。

コロナが始まったばかりの頃だろうか、私の家の近くにあるパチンコ屋が休業「要請」を無視して営業している! とYouTuberやらワイドショーやらがやって来て大騒ぎしていたことがあったのを鮮明に覚えている。結局そのパチンコ屋はそれからすぐ休業してしまったが、あの騒ぎははっきり言って異常だった。
そんな思い出は置いておいて、暇にあかせてフィフィの書いたものを読んでみた。昔から「パチンコの闇」なんてのはネット上を少し探せばいくらでも転がっている。別に「タブー」でもなんでもない。公然とみんなが声高に話しているものだ。それをあえて今掘るというというのだから何か新しい知見でも発表しているのではないか、と思ったのだ。そうでなければ今さら「タブーに斬り込む」みたいな大上段に構えた姿勢でパチンコの話などするバカはいないはず、そのように考えたのだ。


バカはいた。ごく普通にバカはいた。
新しい知見も何もない、適当なまとめサイトか何かに載ってる情報の羅列がそこにはあった。
三店方式がどうこうで、韓国がどうこうで、政治家が裏でどうこうで…。こんなのは僕が知ってるかぎり20年くらい前からネット上でみんなが言っていた事柄だ。それを今さら読んだところで得るものなど何もない。
だがフィフィは本を出す。幻冬舎から本を出す。幻冬舎って編集の人とかいないのかな、いやいないはずがない、じゃあ死んだのかな、いろいろ考えこんでしまう。1つだけわかっていること、それはこの内容の無さで1冊の本が出版されるということだ。



「パチンコの闇」というテーマで何かを書け。そう言われたら自分ならどうするだろうか、と少し考えた。

闇なんだからまずは依存症という観点からいくと思う。依存症の当事者、その家族、治療に当たっている医療関係者、最低限それくらいは話を聞かなければいけないだろう。パチンコにハマったからといって誰もが依存症になるわけではない。依存症と診断されるまでに至るには、その人が心の何処かに抱えている問題がある。パチンコでしか埋められない心の欠損がある。その欠損を見つめなければいけない。そこから見えてくるものがあるはずだ。

パチンコの経営者にだって話を聞きたい。今はパチンコ人口だって減っている。その中で機種も更新していかないといけないし、更新すればするほど出玉は減っていくし、それに伴って人だって減っていく。そのあたりの話は聞きたい。店舗経営者にもメーカーにもいろいろあるだろう。彼らにだって家族があり生活があり人生がある。その一端は覗き込んで見なくてはいけない。

「パチンコ議連」というものがある、とフィフィは書いていた。あるんだからもちろん話は聞かないといけない。パチンコ議連は俗称でたしか他にちゃんとした正式名称があったと記憶しているがググる気も起きない。三店方式うんぬんも聞きたいが、それよりも聞きたいのはパチンコという遊戯が市民生活の中にどのような財もしくは善を産みだすと考えているのか、そういう根本的なところから聞いていかなければならないだろう。その根っこがきちんと定義されないかぎり、行政としてどう関わっていくのが最適なのか、現状は適正なのかどうかを判断することすらできない。「パチンコ」と一口に言ってしまえばそこには人格はない。でもパチンコをやっている1人1人は人格があり、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいる人間なのだ。

パチンコを取り上げるにしても、そもそも「ギャンブル」という営みが歴史の中でどう位置づけられてきたのかを調べることだって欠かせない。ギャンブルが一切存在していなかった文化など、おそらく有史以来どこにもない。いつでもどこでもギャンブルは存在していた。これは掘りすぎるとなんだか小難しくなりそうだが掘らないわけにはいかない。何人か大学の偉い先生に解説をお願いするなり文献を漁るなりはしておきたい。

他にもパチンコに関わる人たちに話は聞きに行くだろう。パチンコYouTuberだってたくさんいる。余談だが、僕はパチンコYouTuberのあいるんさんのファンだったりする。いつか会ってみたいが、三重や岐阜、静岡あたりのイベントに行っていることが多いのでなかなかその願望は叶えられずにいる。あいるんさん、好き。YouTuberだけじゃない。平日朝に開店待ちしている人にも話は聞きたい。聞きたいのはパチンコの話だけじゃない。なんでも根掘り葉掘り聞きたい。何をしている人なのか、何をしていた人なのか。恋人はいるのか友達はいるのか好きな映画は何なのか初めてパチンコに行ったときの思い出は? その人の素顔が見えてきた時にようやくその人にとってのパチンコは何なのかもおぼろげながら見えてくるかもしれない、そう信じて質問を投げかけ続けるだろう。

あとは自分でもやってみる、というところだろうか。僕は大きな音が苦手なのであまりパチンコ屋には縁がなかったが、それでも学生時代は暇つぶし程度にパチンコ屋には行っていた。最後に行ったのはもう5、6年前だと思う。今のパチンコなど何もわからない。昔と変わった点もあると思う。変わらない点もあると思う。やってみないとわからない。とりあえず1ヶ月くらいは毎日開店から閉店までパチンコを打つ生活を続けたい。それで見えてくるもの、見えなくなったものを観察してみたい。


僕が「パチンコの闇」を書けと言われたならばこうする(したい)、というのを思いつくままにつらつら挙げてみた。ざっと思いついたものを挙げるだけでもけっこうある。実際にやるとなればこの項目はまだまだ膨れあがるだろう。というか、今さら「パチンコの闇」なんて使い古されまくった題材で文章を書くならこんなのじゃ全然足りないだろう。しかもこれで書き上がったものがちゃんと「闇」について書かれているもになるかどうかはわからない。はじめから結論ありきで書くなんてそんなのはあまりにも書き手として不誠実すぎる。そんなものは決して夜に出してはいけない類のものだ。

さて、フィフィさんである。彼女の書いたものからは何の専門知もうかがえない。そして、取材をした痕跡もまったくうかがえない。勉強だってしていないだろう。書いてあるのはまとめサイトに書いてあることばかりなのだ。はじめから「パチンコは闇だ」という結論ありきで、そういう結論が書いてあるサイトをググって自分なりにまとめただけの文章だ。
それでも本を出せる。そしてお金をもらえる。おそらくは買うやつもいる。あろうことかお金を払って。
恐ろしい世界だと思う。そのような経済圏とは無縁で生きていきたい、そう心から願う。こんな限りある資源の無駄遣いに加担なんて絶対にしたくない。

フィフィが幻冬舎が何の苦労もなくアホな本を出してアホな読者から金を巻き上げている一方で、額に汗して働いているのに貧困にあえぐ僕がいる。まあ、端的に言ってすげえムカつく。

ということで、いつものお願いです。お金を恵んでください。とりわけ「フィフィの本、買ったろ」なんて錯乱している方がもしいれば、本の購入など即座に止めてその分のお金を僕にください。僕にくれた方が有効利用できるもん。お菓子買ったりとか。フィフィ本を買う予定のない方も、理由とかなくていいのでどうか貧困な僕を憐れんでお金を恵んでください。下のサポートというところからお金を恵んでください。よろしくお願いいたします。

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