見出し画像

『紫式部日記』にみる「五節の舞」

 寛弘5年(1008年)11月の「五節の舞」については、『紫式部日記』に詳しい。

 ドラマの まひろ(紫式部)は、「五節の舞」の舞姫について十分に理解しておらず、プレッシャーは感じていなかったようで、源倫子の依頼を気軽に引き受けた結果、衝撃の事実(平安版『君の名は』)を知って気絶していましたが、『紫式部日記』では、1人の舞姫(尾張守の童女)が、プレッシャーに押しつぶされたのか、退場したとあります。

・高階業遠朝臣の童女
・藤原中清の童女
・藤宰相・藤原実成の童女:赤色を着せて下仕への唐衣に青色をおしかへし
・丹波守・高階業遠の童女:青い白橡の汗衫
・尾張守の童女

「舞姫どもの、いかに苦しからむ」と見ゆるに、尾張守のぞ、心地悪しがりて往ぬる、夢のやうに見ゆるものかな。

(「舞姫たちが、どんなに苦しいだろうか」と見ていると、尾張守が差し出した舞姫が、気分が悪くなって下がっていくのが、まるで夢のように見えることよ。)

『紫式部日記』

ここから先は

116字

家族になろう!

¥1,000 / 月
このメンバーシップの詳細

記事は日本史関連記事や闘病日記。掲示板は写真中心のメンバーシップを設置しています。家族になって支えて欲しいな。