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斉藤道三と織田信長の聖徳寺での会見内容(『麒麟がくる』第14回 「聖徳寺の会見」より)

聖徳寺の会見については、会見をしたことは分かっていても、その内容までは分かりません。ふたりにとって、この会見には、

織田信長:このまま同盟を続けてもらえるか? 帰蝶とは離婚か?
斉藤利政:織田信長がどのような人物か知りたい。うつけなら殺す。

という意義があったと推測されます。

『麒麟がくる』の全会話を載せておきますね。

斉藤利政「遅~い! 信長は着いたと申したな。何をぐずぐずしておる」
近習「はっ」
斉藤利政「さては臆したか」
近習「織田上総介様、只今こちらへ」

織田信長「お初にお目にかかりまする。織田上総介でございます。着替えに手間取り、お待たせ致しました。お許し下さいませ」
斉藤利政「斎藤山城守じゃ。いつも斯様に着替えに手間をおかけになるのか?」
織田信長「斯様に立派な装束は慣れておりませぬ故、往生致しました」
斉藤利政「着慣れぬ装束は、身につかぬものじゃ」
織田信長「仰せの通りでござりますが、何分、帰蝶が『着てゆけ』と申して譲りませぬ故、止む無くこの始末で御座います」
斉藤利政「帰蝶が?」
織田信長「『この色は、お父上の好みの色故、これにせよ』と。まことにお好みの色で御座りますか?」
斉藤利政「・・・」
・今回、織田信長は異質でした。皆、武装して長槍や鉄砲を持っているのに、織田信長だけが普段着でした。これは「普段の織田信長を見てもらおう」「織田信長が目立つようにしよう」という意図かもしれませんが、「鎧を着てると、会見ではなく、合戦しに行くように(敵対心があるように)見えるから」「普段着なら早く脱げるから」という意図もあるでしょう。「鎧を脱いで、正装する」では時間がかかります。では、なぜ着替えに時間がかかったかといえば、佐々成政と前田利家が鎧を着ていて、この2人の着替えに時間がかかったからでは? 「斯様に立派な装束は慣れておりませぬ故、往生致しました」というのは、この2人をかばっているのでは?
・斉藤利政は「金色」が好きなのではなく、「金」が好き。金色が好きなのは豊臣秀吉くらいでしょうね。

織田信長「兎にも角にも、今日、私が、山城守様に目通り致すのに最も喜んだのは帰蝶で御座います。また、最も困り果てたのも帰蝶で御座います」
斉藤利政「困り果てた? 帰蝶が何を困り果てたのじゃ?」
織田信長「私が山城守様に討ち取られてしまうのではと」
斉藤利政「わしが、信長殿を討ち取る? 今日、率いて参られた鉄砲の数は如何程じゃ? 300は下るまい。それだけの備えをされた信長殿を、どうやって討ち取れよう」
織田信長「あれはただの寄せ集めで御座います。いざという時、どれ程役に立ちますか」
斉藤利政「寄せ集め?」
織田信長「あれも帰蝶が、山城守様に侮られぬよう仕組んだもの。今日の私は、帰蝶の手の上で踊る『尾張一のたわけ』で御座います」
斉藤利政「成程。それならば、『たわけ』じゃ(笑)」
・斉藤利政の娘・帰蝶のよいしょの仕方が上手い。

斉藤利政「それにしても、この大事な席に、御家老の林佐渡守殿の姿が無いように見受けられるが」
織田信長「佐渡守だけではありませぬ。父・信秀以来の古き重臣達は皆、参っておりませぬ」
斉藤利政「何故?」
織田信長「『たわけの信長』には不要でござります故」
・父・信秀以来の古き重臣達は末盛城にいる。(織田家内の不和を上手くごまかした。)私だったら、結婚披露宴じゃないけれど、重臣よりも家族を紹介しておきたい。弟・織田信勝の紹介をしておくよ。ところが、織田信長が紹介したかったのは、身内ではなく、織田軍であった。30人の鉄砲隊を作ろうとしていた斉藤利政は、鉄砲の数にのみ目を奪われていたが、長槍隊、鉄砲隊、馬廻衆が織田軍の特徴である。(数が多くても、「ただの寄せ集め」は役に立たない。後に桶狭間で今川軍が敗れたのも、今川軍が国衆の寄せ集めだからであろう。)
・もし、重臣達を連れてこなかったのは、この場で織田信長が斉藤利政に討たれても、重臣が生き残っていれば、織田信勝が家督をついで、織田家を守ればいいという危機管理も含めているのかな。

斉藤利政「『たわけ』なら尚の事、重臣たちに守ってもらわねば、事が立ち行くまい」
織田信長「両名、これへ」
佐々成政&前田利家「はっ」
織田信長「山城守様に名乗るが良い」
佐々成政「佐々成政に御座ります」
前田利家「前田利家に御座ります」
織田信長「この両名、尾張の小さき村から出て参った土豪の三男坊、四男坊。すなわち、家を継げぬ『食いはぐれ者』に御座います。されど、戦となれば、無類の働きを致し、一騎当千の強者で御座います。『食いはぐれ者』は、失う物が御座りませぬ。戦うて、家を作り、国を作り、新しき世を作る。その気概だけで戦いまする」
斉藤利政「・・・」
・戦では、年取った重臣達には頭を使ってもらって、実戦では若き一騎当千の強者を重視する。佐々成政は鉄砲、前田利家は長槍の達人ですが、この2人のボディガードだけで斉藤の警固の者たちを全員、倒してしまいそう。

織田信長「父・信秀はよう申しておりました。『織田家は、さしたる家柄ではない。元は越前の片田舎で神主をやっていたとか。斯波家の家来であったとか。それか、尾張へ出てきてのし上がった、成り上がり者じゃ』と。『万(よろず)、己で新たに作るほかない。それをやった男が美濃にもおる。そういう男は手強いぞ』と。家柄も血筋もない。鉄砲は百姓でも撃てる。その鉄砲は、金で買える。これからは、戦も世の中もどんどん変わりましょう。我らも変わらねば。そう思われませんか?」
・織田氏は、越前国二宮・剣神社の神主で、織田荘の荘司もしていた。越前国守護・斯波氏が尾張国の守護にもなった時、尾張国に来たという。
・会見では「自分を知ってもらいたい」と思い、ついつい自己アピール、自慢話に走りがちだが、自分は「たわけ」だとして、まずは帰蝶をよいしょ。次に斉藤利政をよいしょ。やるじゃん、織田信長。
・明智光秀は父・光綱の話「将軍とは・・・」を三淵藤英に話し、お返しにと、足利義輝は明智光秀に父・義晴の話「麒麟を・・・」を話した。そして今回、織田信長が父・信秀の話「成り上がり者が新世界を作る」(と持論の「社会の変化に対応して、己を変えられる者が新世界を作る」)を斉藤利政にした。明智光秀にしても、足利義輝にしても、織田信長にしても、父親の話が出来るのは、父親を尊敬しているからでしょうね。「父親がいつもしてくれた話」について語れないのは、斉藤高政くらいだろうな。「物事の是非を損得勘定で考える吝嗇で下劣な男」という人物評価は言えるだろうけど。
・美濃国は室町時代、ずっと土岐氏が守護で、その分家は120家以上ある。(土岐頼芸は美濃国11代守護である。)分家の1つである明智家は、足利尊氏の時に土岐家と分かれ、分家は9家で、明智光秀は11代宗主である。美濃国の国衆や土豪は、土岐家や土岐家の分家と血縁関係で結ばれている。「美濃源氏」は、まとまりはあるが、変革を好まない武士団である。意識改革は難しい。

斉藤利政「なる程のう。帰蝶は、わしを見て育った。わしと同じと思うておるのであろうな。信長殿、信長殿は『たわけ』じゃ。『見事なたわけ』じゃ」
・帰蝶は「織田信長と斉藤利政は似ている」と思って親近感を抱いているのであろうが、斉藤利政に似ているのは、帰蝶さん、あなたですよ!
・「たわけ」なら殺そうと思ったけど「見事なたわけ」だったので殺すのはやめ。
織田信長「それは褒め言葉で御座りますか?」
・実父・織田信秀に褒められたことのない織田信長であったが、義父・斉藤利政には褒められた。よかったね。(よくないのは、実父・斉藤利政に褒められたことのない斉藤高政。「わし(実の子)は褒めないのに、『たわけ』の義理の弟(娘婿)を褒めるのか」と頭にきただろうな。斉藤高政が斉藤利政に褒められないのは、出来が悪いから、優れたビジョンを持たないからではなく、斉藤藤利政を尊敬してないからだと斉藤高政は気づいてない。)
斉藤利政「褒め言葉かどうか、帰って誰ぞにお聞きなされ」
・「帰って」ということは、「この場では殺さぬ」ということですね。
織田信長「そういたしましょう」
斉藤利政「うむ。それが良い」
斉藤利政&織田信長 (笑)

会見は大成功だったようですね。
私が斉藤利政だったら、「お主を戦国武将として認めた」だけではなく、「お主を婿として認めた」とも言っておきたいですね。

斉藤利政「なる程のう。帰蝶は、わしを見て育った。わしと同じと思うておるのであろうな。信長殿、信長殿はたわけじゃ。見事なたわけじゃ。そしてその見事なたわけは、わしの娘の婿殿である。早く孫の顔が見たいものよ」
織田信長「では帰ったら、早速、畑に種を蒔くことにいたしましょう」
斉藤利政「うむ。それが良い」
斉藤利政&織田信長 (笑)

【参考】NHK関西ブログ「もっと知りたい!麒麟がくる」
(2020年12月まで公開)
https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/omi630/motto-kirin/

・小和田哲男「信長と道三の世紀の会見の思惑」(2020年4月20日放送)
https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/omi630/motto-kirin/427881.html

・小和田哲男「斎藤家の親子の秘密」(2020年4月13日放送)
https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/omi630/motto-kirin/427390.html

・小和田哲男「イケメン武将 左馬助の素顔」(2020年4月6日放送)
https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/omi630/motto-kirin/426954.html

・小和田哲男「将軍の涙 その意外な理由」(2020年3月30日放送)
https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/omi630/motto-kirin/426367.html

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