見出し画像

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第4回)「矢のゆくえ」の復習「『吾妻鏡』に見る山木館攻め」

画像3

1.NHK公式サイトより


 脚本の三谷幸喜さんが「これが原作のつもりで書いている」と話されている『吾妻鏡』。この史書には、治承4年(1180)の「以仁王の乱」をはじまりとする鎌倉幕府の歴史が記されています。そこで第3回より、ドラマで描かれた主なエピソードをご紹介していきます。

(1)『吾妻鏡』 ~第3回より~


・治承4年(1180)4月27日条
以仁王の令旨が伊豆の北条館に到着。持ってきたのは源行家。源頼朝は正装の水干に着替え、謹んで令旨を開きました。

・治承4年(1180)5月26日条
源頼政が平家軍2万と宇治で戦い、敗死。以仁王も最期を遂げました。

・治承4年(1180)6月19日条
三善康信の使者が北条へ到着。「以仁王の令旨を受けた源氏はすべて追討せよという命令が出されています。早く奥州へお逃げください」と源頼朝に都の情勢と自身の考えを伝えました。

・治承4年(1180)6月27日条
都で大番役を務めていた三浦義澄が、相模の所領に戻る途中に北条を訪れました。ちなみに、しばらくの間、密談をしたようですが、その内容は不明です。
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/special/history/azumakagami003.html

(2)『吾妻鏡』 ~第4回より~


・治承4年(1180)7月10日条
山内首藤経俊に合流を呼びかけるため、使者として向かった安達盛長ですが、「呼びかけに応じないばかりか、さんざん悪口を言われた」と報告しています。

・治承4年(1180)8月6日条
源頼朝は占いを行わせ、山木兼隆攻めの日時を「17日寅卯の剋(午前3時~7時)」に決めました。

・治承4年(1180)8月6日条
源頼朝は土肥実平、岡崎義実らを一人ずつ人気のない部屋に呼び、「今まで口に出して言わなかったが、お前だけが頼りだ!」と丁寧に声をかけました。ちなみに、工藤茂光、佐々木盛綱も頼朝から声をかけられています。

・治承4年(1180)8月17日条
佐々木定綱・経高・盛綱・高綱の兄弟4人が未の剋(午後1時~3時)に北条に到着。源頼朝は感動の涙を浮かべながら「お前たちが遅れたから、けさ合戦することができなかった」と声をかけました。

・治承4年(1180)8月17日条
祭りでにぎわう牛鍬大路を避け、蛭嶋通りを進むことを進言する北条時政。これに対し、源頼朝は「大事を始めるのに裏道を使うことはできない」と却下し、合戦ではまず火を放つように命じました。

・治承4年(1180)8月17日条
堤館に到着した源頼朝の郎党たち。味方が館の後ろに回り込むと、佐々木秀義の次男・経高が前庭へと進み、矢を放ちました。「是これ、源家の平氏を征する最前の一箭也」と記されています。
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/special/history/azumakagami004.html

ここから先は

9,798字 / 3画像

¥ 500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

記事は日本史関連記事や闘病日記。掲示板は写真中心のメンバーシップを設置しています。家族になって支えて欲しいな。