古代「鬼」考
1.語源
「鬼」の語源としては、源順『倭名類聚抄』の記述が採用されることが多い。その記述とは次のようなものである。
【現代語訳】
靈 『四声字苑』に、「靈」の音(レイ)は「郎丁」の反切(はんせつ)とある。『日本書紀』には「みたま」とある。
「みかげ(御影)」とも言う。また、「魂魄」の2文字を用いることもある。
鬼 『四声字苑』に、「鬼」の音は「居偉(ヲイ)」の反切(和名は「於爾(おに)」)とある。
ある説では、「隠(おん/おむ)」という字だという(この字の音が訛って「於爾(おに)」となった)。鬼は隠れ、そして、姿を現したがらない。だから俗に「隠」と呼ぶのである。死んだ人の魂、神である。
また、呉の人は「鬼」と言い、越の人は「畿」と言い、音の「キ」は「又祈」の反切だと言う。
【意訳】
「靈」(「魂魄」とも表記)は音読み(中国語)では「レイ」(靈郎丁反)で、訓読み(日本語)では「みたま」であるが、「みかげ(御影)」とも言う。
「鬼」は音読み(中国語)では「キ」(蟣又祈反)であるが、「オニ」とも読む(鬼居偉反)。
別説では、中国から日本に漢字が入って来た時、訓読み(日本語)の「おに」に「鬼」という漢字をあてたのだという。日本語の「おに」の語源は、書くと「おむ」であるが、実際の読みは「おん(on)」であり、語尾に「i」が加えられて「おに(oni)」になった(転音転義)。「おむ」とは「隠れる」という意味の日本語であり、「隠れる」とは(「死ぬこと」を「鬼籍に入る」と言うように)「死ぬこと」を意味した。つまり、
鬼=黄泉国へ行けない(成仏できない)故人の霊魂(怨霊、悪霊)
となろう。「神(かみ)」の語源も「隠身」(目に見えない存在)であるので、
鬼=神の荒魂
と言ってもよかろう。
中国語の声調には四声(平声、上声、去声、入声)ある。反切(はんせつ)は、1つの漢字の読み方を2つの漢字を用い、一方の声母(最初)と、他方の韻母(最後)及び声調を組み合わせて、その漢字の音を表す方法である。
──桒信長反(桒(「桑」の旧字)の音は「信長」の反切)
「桒」の訓読み(日本語)は「くわ」であるが、音読み(中国語)は、「信(sin)」の最初と「長(tyou)」の最後で、「ソウ(sou)」である。
織田信秀が吉法師の元服に際し、沢彦和尚に、諱について意見を聞くと、
「桒の反切の信長がよい」
と答えたという。織田信秀が、
「桒は蚕に食べてもらうように植えるものであり、いい名ではない」
と言うと、沢庵和尚は、
「桒という字を分解すると、十十十十八、つまり縁起の良い四十八になるし、扶桒(ふそう)は日本の別称であるから、日本(天下)をとる名である」(ちなみに、『扶桑略記』は日本史の本である。)
と答えたという。
こうして織田信長が誕生し、戦国覇者に成長した。
※「鬼」はインドや中国に住み、中国(越)では「キ」と呼ばれる恐ろし存在であった。日本に漢字が入ると、日本語の「おに」に「鬼」が使われたとする。
ただ、日本語の「おに」は新しい言葉で、音読み(鬼居偉反)説や古語「おむ」の名詞化「おん」→転訛「おに」説がある。古くは「もの」と言ったという。
2.容姿
「神」も「鬼」も死んだ人の霊魂で、その姿は見えないはずですが、「鬼」の姿の最初の記述は『出雲国風土記』「大原郡阿用郷」で、目が1つしかなかった(親に捨てられた奇形児?)ので、
・「目一鬼(まひとつおに)」
・「阿用郷の人喰い鬼(あよのさとのひとくいおに)」
・「阿用の一つ目鬼」
あるいは、「鬼」は、古くは「おに」ではなく「もの」と読んだとして、
・「目一鬼(めひとつのもの)」
と呼ばれています。
【現代語訳】 阿用郷。大原郡の郡衙から東南に13里80歩の所に位置する。
古老の言い伝えでは、昔、ある人がここで山田を耕作して(烟を立てて?)山田を守っていた。(Reco注:「山を開墾して田を作り、耕作していた」程度の意味か?)その時、一つ目の鬼が来て、耕作していた(烟を立てていた?)人の男を食べた。
その時、男の父母は竹原(竹の茂み)の中に隠れていた。この時、竹の葉が動いた。この時、鬼に食われている男は「動、動(あよ、あよ)」(逃げろ、逃げろ)と言った。それで、その地は「阿欲」と名付けられた。神亀3年(726年)、字を「阿用」に改めた。
現在の鬼の姿は、
①頭に2本の角がある。
②虎柄のパンツを履いている。
です。
世に丑寅の方を鬼門といふ。
今、鬼の形を画くには、頭に牛角をいたゞき、腰に虎皮をまとふ。
是、丑と寅との二つを合せてこの形をなせりといへり。
3.定義
塵輪鬼も阿用郷の鬼も「人鬼系の鬼」の定義を適用していいと思います。
「土蜘蛛」と言い換えてもいいかと。
4.参考動画
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