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古代「鬼」考


1.語源


 「鬼」の語源としては、源順『倭名類聚抄』の記述が採用されることが多い。その記述とは次のようなものである。

https://dl.ndl.go.jp/pid/2544216/1/31

靈 四聲字苑云、郎丁反。日本記云(美太萬)。一云(美加介)。又用魂魄二字。

 四聲字苑云、鬼居偉反(和名、於爾)。
 或説云、隠字(音、於尓訛也)。鬼者隠、而不欲顯形。故俗呼曰隠也。人死魂神也。一云、呉人曰「鬼」、越人曰「畿。音蟣又祈反」。

源順『倭名類聚抄』

【現代語訳】
靈 
『四声字苑』に、「靈」の音(レイ)は「郎丁」の反切(はんせつ)とある。『日本書紀』には「みたま」とある。
 「みかげ(御影)」とも言う。また、「魂魄」の2文字を用いることもある。
 『四声字苑』に、「鬼」の音は「居偉(ヲイ)」の反切(和名は「於爾(おに)」)とある。
 ある説では、「隠(おん/おむ)」という字だという(この字の音が訛って「於爾(おに)」となった)。鬼は隠れ、そして、姿を現したがらない。だから俗に「隠」と呼ぶのである。死んだ人の魂、神である。
 また、呉の人は「鬼」と言い、越の人は「畿」と言い、音の「キ」は「又祈」の反切だと言う。

【意訳】 
「靈」(「魂魄」とも表記)は音読み(中国語)では「レイ」(靈郎丁反)で、訓読み(日本語)では「みたま」であるが、「みかげ(御影)」とも言う。
「鬼」は音読み(中国語)では「キ」(蟣又祈反)であるが、「オニ」とも読む(鬼居偉反)。
 別説では、中国から日本に漢字が入って来た時、訓読み(日本語)の「おに」に「鬼」という漢字をあてたのだという。日本語の「おに」の語源は、書くと「おむ」であるが、実際の読みは「おん(on)」であり、語尾に「i」が加えられて「おに(oni)」になった(転音転義)。「おむ」とは「隠れる」という意味の日本語であり、「隠れる」とは(「死ぬこと」を「鬼籍に入る」と言うように)「死ぬこと」を意味した。つまり、
 鬼=黄泉国へ行けない(成仏できない)故人の霊魂(怨霊、悪霊)
となろう。「神(かみ)」の語源も「隠身」(目に見えない存在)であるので、
 鬼=神の荒魂
と言ってもよかろう。

 中国語の声調には四声(平声、上声、去声、入声)ある。反切(はんせつ)は、1つの漢字の読み方を2つの漢字を用い、一方の声母(最初)と、他方の韻母(最後)及び声調を組み合わせて、その漢字の音を表す方法である。

──桒信長反(桒(「桑」の旧字)の音は「信長」の反切)

 「桒」の訓読み(日本語)は「くわ」であるが、音読み(中国語)は、「信(sin)」の最初と「長(tyou)」の最後で、「ソウ(sou)」である。

 織田信秀が吉法師の元服に際し、沢彦和尚に、諱について意見を聞くと、
「桒の反切の信長がよい」
と答えたという。織田信秀が、
「桒は蚕に食べてもらうように植えるものであり、いい名ではない」
と言うと、沢庵和尚は、
「桒という字を分解すると、十十十十八、つまり縁起の良い四十八になるし、扶桒(ふそう)は日本の別称であるから、日本(天下)をとる名である」(ちなみに、『扶桑略記』は日本史の本である。)
と答えたという。
 こうして織田信長が誕生し、戦国覇者に成長した。

※「鬼」はインドや中国に住み、中国(越)では「キ」と呼ばれる恐ろし存在であった。日本に漢字が入ると、日本語の「おに」に「鬼」が使われたとする。
 ただ、日本語の「おに」は新しい言葉で、音読み(鬼居偉反)説や古語「おむ」の名詞化「おん」→転訛「おに」説がある。古くは「もの」と言ったという。

『倭名抄』二に曰く「四声字苑云、鬼、於爾。或説云、隠字、音於爾訛也。鬼物隠而不欲題形故俗呼曰隠也。人死魂神也」と。是れ支那にて「鬼」といふものゝ釈にて、人の幽礼(倭名抄に「鬼火(於邇比)」とある是れなり。即ち古言に、「みたま」、又は、「もの」といふものなり、然るに『易経』下経睽卦に「載鬼一車」、疏に「鬼魅盈車、怪異之甚也」。『史記』五帝紀『螭魅』註「人面獣身四足好惑人」、論衡訂鬼編に「鬼者、老物之精者」などあるより、恐るべきものゝ意に移したるならむ。「おに」は、中古に出来し語とおぼし、「神代紀」などに鬼と訓したるは追記なり。
(一)恐るべき形をなして隠顕常ならず、人を害し人を食ふと謂ふ怪物の名
(二)物に隠れたる女
(三)後に絵に画く「鬼」と云ふは、人の形にて牛角虎牙あり。裸体にて腰に虎皮を絡ひ、相貌獰悪にして怪力あるものとす。仏経に云ふ「夜叉」なり。

『大言海』

2.容姿


「神」も「鬼」も死んだ人の霊魂で、その姿は見えないはずですが、「鬼」の姿の最初の記述は『出雲国風土記』「大原郡阿用郷」で、目が1つしかなかった(親に捨てられた奇形児?)ので、
・「目一鬼(まひとつおに)」
・「阿用郷の人喰い鬼(あよのさとのひとくいおに)」
・「阿用の一つ目鬼」
あるいは、「鬼」は、古くは「おに」ではなく「もの」と読んだとして、
・「目一鬼(めひとつのもの)」
と呼ばれています。

https://news.goo.ne.jp/article/eventbank/region/eventbank-10497262.html

阿用郷 郡家東南一十三里八十步。
 古老傳云、昔、或人、此処山田佃(烟?)而守之。尓時、目一鬼来而、食佃人之男。
 尓時、男之父母竹原中隱而居。之時竹葉動之。尓時所食男云動々。故云「阿欲」(神亀三年改字「阿用」)。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1186554/1/78

【現代語訳】 阿用郷。大原郡の郡衙から東南に13里80歩の所に位置する。
 古老の言い伝えでは、昔、ある人がここで山田を耕作して(烟を立てて?)山田を守っていた。(Reco注:「山を開墾して田を作り、耕作していた」程度の意味か?)その時、一つ目の鬼が来て、耕作していた(烟を立てていた?)人の男を食べた。
 その時、男の父母は竹原(竹の茂み)の中に隠れていた。この時、竹の葉が動いた。この時、鬼に食われている男は「動、動(あよ、あよ)」(逃げろ、逃げろ)と言った。それで、その地は「阿欲」と名付けられた。神亀3年(726年)、字を「阿用」に改めた。

 阿用郷の鬼については異種族人の身体的特徴を表現したもので、鍛冶の祖神が天目一箇神とされる事との関連を指摘する説があるが、鍛冶に携わる者を異能の民として、その業を畏怖すべき業と認知する風習があり、鍛冶職の職業病として、鍛造する際の炎を見続けることによって、片目を失明してしまう者が多かった事から一つ目を彼等の表象とし、後に天目一箇神に投影させたという研究者もいる(古代出雲国が、金属加工が盛んな地域だったことにもよる)。鬼が農民の男を食らう展開から、この物語に製鉄集団と農耕集団が対立していたという歴史的背景を想定する説がある。
 一方、大原郡は製鉄との関連が近隣の郡に比べて認められないことから、大原郡の伝承は鉄産業とは直結しない山中の農耕に関する記事であるとして、阿用郷の鬼は中国での旱魃の神に似た農耕妨害の神であり、「煙を立てる」という行為を神への警戒を表していると見る説がある。また、『山海経』郭璞注には目が一つの者たちが住むという鬼の国の記事が載っており、漢籍の引用によって潤色されているのではないかと指摘されている。
 さらに、阿用郷の鬼自体に鉄を生産する人々との関連性を見いだせなくとも、『播磨国風土記』託賀郡の記事から、農具の技術を向上させた鉄に関わる神=開墾での豊穣の神と見られる天目一命と、阿用郷の鬼は同系統に連なる神であり、食われた男は農耕儀礼における神への供儀となる子だとする説もある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 現在の鬼の姿は、
①頭に2本の角がある。
②虎柄のパンツを履いている。
です。

 鬼はもと印度、支那に出て、日本に伝わり、普く人に信ぜられたる想像上の一種の生物なり。その面貌極めて獰悪にして、額に双角あり、裸体にして虎の皮を褌とし、多く鉄棒を携ふるを常とす。

『画題辞典』
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』(上之巻/雨)

世に丑寅の方を鬼門といふ。
今、鬼の形を画くには、頭に牛角をいたゞき、腰に虎皮をまとふ。
是、丑と寅との二つを合せてこの形をなせりといへり。

3.定義


『歴史人』(2023年6月号)

 塵輪鬼も阿用郷の鬼も「人鬼系の鬼」の定義を適用していいと思います。
 「土蜘蛛」と言い換えてもいいかと。

4.参考動画



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