見出し画像

紫式部にとっての越前下向の意義

──紫式部はなぜ父について越前国へ下向したのか?

『紫式部集』を読むと、紫式部は、都を恋しがっていたことが分かる。
歴史学者は「父親の世話をするために同行した」とする。仕方なく同行するも田舎暮らしに馴染めず、結婚を理由に1年で帰京したと。

 藤原為時┳長女:早世。(母は前妻・藤原為信の娘)
     ┣次女:藤原宣孝妾。紫式部。(母は前妻・藤原為信の娘)
     ┗三女:藤原信経室。(母は後妻・高倉の方の娘)

 越前国下向時、紫式部の実母は亡くなっていたが、藤原為時は再婚して三女が生まれており、『紫式部集』によれば、紫式部は「筑紫の君」から「中の君」と呼ばれていたとある。
 そもそも、妻も三女もいる藤原為時の世話をするのは紫式部ではなく、侍女では?(ドラマの藤原為時の後妻は病弱で亡くなっているし、紫式部の姉も妹も登場しない。)

──紫式部にとって越前国下向は逃避行か?

「紫式部との仲がばれそうになった藤原道長は、紫式部を近くの淡路に、考え直して遠くの越前に行くよう命じたが、藤原宣孝との偽装結婚という案を使って都へ戻した」とする説もあるが、多くの学者は、「この頃、紫式部と藤原道長は面識がなかった(会ったことが無かった)」と否定する。

──越前国で少女から大人に成長した紫式部。

 国司というのは今で言うと“県知事”みたいなもので、つまりその国(県)のトップになるということですよね。まひろとしては、最初はきっと「道長から離れて気持ちをリセットしたい」と思ってお父さんについて行ったけれども、人の上に立つタイプではない為時が苦労する姿を見て、「越前を治めるだけでも父親はこんなに大変なのだから、国家のトップに立つ道長の苦労は計り知れない」と、まひろは思ったでしょう。結局道長のことを思い出して、彼の偉大さを再確認する場所が越前なのかなと思っています。

大石静

 私の理解は、「越前国は、紫式部が『いつまでも夢見る少女じゃいられない』と少女から大人に変わった国、決意した国」であり、その契機は、筑紫も君の死だと思っています。


記事は日本史関連記事や闘病日記。掲示板は写真中心のメンバーシップを設置しています。家族になって支えて欲しいな。