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源頼朝暗殺の黒幕は北条氏!?


正月早々、殺人の話をするのはどうかと思うが、明日の番組の予習である。
(本当は記事を書く前に、年賀状の返事を書かないといけないんだけどね。年賀状って出した人と同じ人から届けばいいのだけど、出していない人から届いて返事を書かなきゃいけなかったり、出した人から届かなくて悲しかったりするね。)

北条氏は平氏の嫡流であり、庶流の平清盛を倒すために源氏を利用した。
「打倒
平清盛」を達成すると、源氏の力は邪魔になって殺した。

というのが、「平氏内部抗争説」「北条氏暗殺説」である。

1.平氏や源氏の内部抗争


「治承・寿永の乱」(俗称「源平合戦」)は、「源氏と平家の戦い」であるが、詳しくみると、平氏の内部抗争や、源氏の内部抗争も絡んでおり、平信兼が源義経軍に加わったように、北条氏(平氏)が源氏の味方をしても不思議ではない。

2.北条氏暗殺説


 「北条氏暗殺説」には2つのポイントがある。
 第1は、「北条氏は平氏の嫡流であるかどうか」という問題である。

<北条氏の出自>
北条時家時方(または時兼)━時政(源頼朝の舅。初代執権)━義時
①桓武平氏の宗主・平直方の子孫=従来説
②伊豆国田方郡北条(静岡県伊豆の国市)を本貫地とする在地豪族=新説
<その他>
・伊勢平氏の祖・平維衡の子孫(『源平闘諍録』)
・大和大神氏の一族(家紋が一致)
・伊豆国造・伊豆氏→日下部氏の一族(本拠地は賀茂郡ではなく田方郡)

 第2は、「殺人の結果、得をするのは誰か?」「殺害の動機は?」という視点での考察である。
 源頼朝が暗殺されて源頼家が跡を継いだ。源頼家はまだ幼かったので、13人の合議制となった。つまり、源頼朝暗殺の動機が政治的なものであるのであれば、源頼朝から政治的主導権を奪うための暗殺というよりも、源頼朝が平清盛のような独裁者になったので排除されたのであろう。源頼朝に味方した豪族は、「俺たちが将軍にしてやったのに、将軍になったらワンマン」という憤りがあったように思われる。

<鎌倉殿の13人>

①大江広元(栗原英雄) :(戦国大名・毛利元就、毛利輝元らの先祖)
②中原親能(?)    :(大江広元の兄)
③二階堂行政(?)  :(工藤行遠と熱田大宮司・藤原季範の妹との子)
④三善康信(小林隆)  :(母は、源頼朝の乳母の妹)
⑤梶原景時(中村獅童) :正治元年(1199年)失脚(梶原景時の変)
⑥足立遠元(大野泰広) :(武蔵国足立郡を本拠とした在地豪族)
安達盛長(?)    :正治2年(1200年)病死
⑧八田知家(?)    :(八田宗綱の子であるが、源義朝の落胤?)
比企能員(佐藤二朗) : 建仁3年(1203年)謀殺(比企能員の変)
⑩北条時政(坂東彌十郎):元久2年(1205年)追放(牧氏事件)
⑪北条義時(小栗旬)  :主人公(ダークヒーロー)
⑫三浦義澄(佐藤B作)   :正治2年(1200年)病死
⑬和田義盛(横田栄司) :建暦3年(1213年)滅亡(和田合戦)

★『鎌倉殿の13人』
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/

とはいえ、13人のメンバーは、2人はすぐに病死して11人となり、排除されたメンバーも出て、北条氏の当主「得宗」が執権政治を行うようになるわけで、当初(源頼朝と北条政子を結婚させた時)からの北条氏の壮大な計画なのか、結果論なのか分からないが、北条氏(平氏)が源氏から(実質的に)政権を奪ったことになった。

<鎌倉将軍一覧>

①【源氏将軍】源 頼朝:父・源義朝←落馬。実は北条氏が暗殺?
②【源氏将軍】源 頼家:父・源頼朝←北条氏が殺害?
③【源氏将軍】源 実朝:父・源頼朝←公暁が殺害。
(平政子『吾妻鏡』)
④【摂家将軍】藤原頼経:父・藤原道家(九条家)←北条氏が追放。
⑤【摂家将軍】藤原頼嗣:父・藤原頼経(九条家)←追放され、病死。
⑥【親王将軍】宗尊親王:父・後嵯峨天皇←「二月騒動」で出家。
⑦【親王将軍】惟康親王:父・宗尊親王←将軍職を解任され出家。
⑧【親王将軍】久明親王:父・後深草天皇←将軍職を解任され出家。
⑨【親王将軍】守邦親王:父・久明親王←将軍職を辞任して出家。

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