富雄丸山古墳の蛇行剣、盾形銅鏡と饒速日尊
2023年最大の考古学ニュースといえば、富雄丸山古墳(奈良県奈良市丸山1丁目)の蛇行剣、盾形銅鏡の出土であろう(出土は2022年12月だが、情報公開は2023年1月25日)。
「蛇」と聞くと、張飛の「丈八蛇矛」を思い出すが、「蛇行剣」は、蛇のように曲がりうねる形の「剣」で、西日本を中心に出土している(日本で85本、朝鮮半島南部で4本)。
今のところ、宮崎県での出土本数が最も多いので、宮崎県が発祥地と考えられていたが、今回出土した蛇行剣が最古だという。ただ、富雄丸山古墳の蛇行剣は、他の蛇行剣とは異なり、長さ237㎝という巨大な剣で、手に持って振り回せる剣ではない。また、鏡と言えば円形であるが、富雄丸山古墳の鏡は盾の形をしている。どちらも魔を払う呪具であろう。
このような日本最大の呪具を持つのは天皇(大王)としか考えられないが、学者は、
富雄丸山古墳:生駒山地の直径109mの造出付円墳(帆立貝型古墳)
当時の天皇陵:佐紀(盾列)古墳群の前方後円墳
であるので、富雄丸山古墳は天皇(大王)一族の墓ではなく、王権に従属する有力な氏族の首長の墓だとする。
おいおい、生駒山地といえば、長髄彦や饒速日尊の地だろ? 長髄彦は敗れ去ったので、富雄丸山古墳の被葬者は、饒速日尊の子孫(物部氏)なのでは?
4世紀後半というと、多分、仲哀天皇や応神天皇あたりかと思われるので、神功皇后に仕えた物部五十琴(饒速日尊の10世孫とも11世孫)あたりか?
蛇行剣は宮崎県から多く出土し、盾形銅鏡は「隼人の盾」に似ているので、南九州の国王から奪った物かもしれない。
通説では、
須佐之男
┣天忍穂耳尊(「八王子」の1柱)
天照大神 ┣天火明命(饒速日尊)─天香山命
┣瓊瓊杵尊─彦火火出見尊(山幸彦)─鸕鶿草葺不合尊─神武天皇
栲幡千千姫命(高皇産霊尊の娘)
であり、奈良入りした神武天皇が対面し、天羽々矢を見せ合って同族だと確認しあった饒速日尊は、曾祖父・瓊瓊杵尊(「天孫降臨」した天照大神の孫)の兄になる。
ちなみに、私の考えはこうである。
須佐之男命(出雲国須佐の王)
┣天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊【物部氏の祖】
天照大神(倭国王・卑弥呼) ┣可美真手命
鳥見夜毘売 (三炊屋媛。鳥見長髄彦の妹)
磯光天照宮(福岡県宮若市磯光)では、饒速日尊が第11代垂仁天皇の御世、高天原から笠置山(飯塚市と宮若市の境にある山)に降臨したとするが、饒速日尊は、初代神武天皇の即位前に降臨したのではないか?
石切劔箭神社(大阪府東大阪市東石切町。御祭神の「石切大明神」とは、饒速日尊と可美真手命の総称)によれば、饒速日尊は、天照大神から「日本建国の神勅」を拝し、「十種の瑞宝」(「三種の神器」とは異なる呪具)を授かり、自らも布都御魂劔と日の御子の証である天羽々矢を携えて天磐船に乗り込み、物部八十の大船団を率いて高天原を出航したという。途中、豊国宇佐で船団を2つに分け、御子神・天香具山命に布都御魂劔を授け、紀伊国に向かわせた。饒速日尊自身は天羽々矢を携え、北九州の物部氏族を率いて天磐船に乗り、大和国を支配する鳥見長髄彦に会いに行った。天磐船が鳥見里を見渡す哮ヶ峯(たけるがみね。生駒山)に着くと、饒速日尊は辺りを見渡し「虚空(そら)にみつ日本(やまと)」(「空から見た日本の国」とも、「空に光り輝く日本の国」とも)と賛じ、これが「日本(ひのもと/やまと)」という国号の始まりとなったとする。
この話の奇妙な点は、九州在住時代の饒速日尊の子の名前が天香具山ということである。天香具山は大和国(奈良県橿原市)の山名では?
・伊予国伊予郡の天山と大和国の天香具山はペア(『伊予国風土記』)
・阿波国の天元山が砕け飛んだのが大和国の天香具山(『阿波国風土記』)
九州在住時代の饒速日尊の子の名前が天香具山であるから、天香具山は九州の山名のはずで、福永先生は「香春岳」(かわらだけ。福岡県田川郡香春町にある山。三つの峰で構成されており、地元では「香春岳」と呼ばず、「一ノ岳」「二ノ岳」「三ノ岳」と呼ぶ)を「大和三山」とし、香春三ノ岳が「天香具山」だとする。
福永先生は、田川を邪馬台国の所在地だとするが、私は高良玉垂命の関連地だとしている。(なお、上の動画では「大和国に海は無い」と言っておられるが、当時は巨大な湖(うみ)があったという。)
「高良は加波良(かわら、香春)と訓ずべし」(『神社覈録』)
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