武田信玄がいつ、どこで亡くなったのかは不明ですが、
・4月12日、田口(愛知県北設楽郡設楽町田口)で没
・4月12日、根羽(長野県下伊那郡根羽村)で没
・4月12日、駒場(長野県下伊那郡阿智村駒場)で没
など諸説あり、「4月12日、駒場で没」とするのが有力説です。
大ていは地に任せて肌骨好し 紅粉を塗らず自ら風流
さて、武田信玄の子孫といえば、
・次男・海野信親流(信親と側室との間に生まれた信道(伊豆大島で没)の子孫。現在、武田邦信氏が第16代当主)
・五男・仁科盛信流(盛信には4人の男子がいたという。それぞれの子孫)
・七男・武田信清流(米沢武田氏。武田昌信氏)
の3系統である。
■禰󠄀津御寮人
田口の「福田寺(ふくでんじ)」で武田信玄を看取った側室・禰󠄀津御寮人(禰津の方)は、武田信玄の2人の子を連れ、遺髪、守り刀、常備薬(富永藤兵衛が調合?)を持って静岡県袋井市堀越に隠れ住み、遺髪を埋めて「福田寺(ふくでんじ)」を建てたという。