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ガルトゥング平和学と築山殿

『どうする家康』で語られた「築山の謀」とは、「東国連合国化構想」であった。

「平和な国」=「戦(奪い合い)の無い国」→「与え合う慈愛の国」

①欲しい物を買い(貨幣経済)、特産物を売る(殖産興業)。
②大きな国を作り、同じ銭を使い、人々の往来を自由に。

①はリカードの「比較生産費説」、②はEU構想に似ている。

1.ガルトゥング平和学

※平和学:社会における正義を追求し、平等な権利を獲得し、環境の中における生存などの問題に積極的な形で関わっていく学問。

 1968年、インドの平和研究者のスガタ・ダスグプタは、「平和(peace)の対義語は戦争(war)ではない。グローバルサウスでは、戦争が行われていなくても、医療システムの不備により、多くの死者が出ている」と指摘し、「平和」の対義語を「非平和(peacelessness)」と呼んだ。

 ダスグプタのこの指摘に感化されたノルウェーのヨハン・ガルトゥングは、翌1969 年、「平和=戦争のない状態」と捉えることを「消極的平和(negative peace)」と呼び、「平和の対義語は暴力(violence)である」とし、平和と暴力を、
①消極的平和(negative peace)⇔直接的暴力(direct violence)
②積極的平和(positive peace)⇔構造的暴力(structural violence)
と分類し、さらに1990年代に、
③文化的暴力(cultural violence)
を加えた。

①直接的暴力:実際に目に見える暴力。物理的に暴力を加えたり、言葉によって他者を傷つけたりするようなこと。
 戦争がないこと、つまり、直接的暴力がない(だけの状態である)ことを「消極的平和」と呼んだ。

※武田信玄は隣国へ侵攻した。これは「直接的暴力(目に見える氷山)」である。

②構造的暴力:社会構造の中に組み込まれている不平等な力関係、経済的搾取、貧困、格差、政治的抑圧、差別、植民地主義など。
 「構造的暴力」のない状態を「積極的平和」 と呼ぶ。社会正義があること、医療システムの恩恵を受けられること、経済的・政治的安定、基本的人権の尊重、公正な法の執行、政治的自由と政治プロセスへの参加、快適で安全な環境、社会的な調和と秩序、民主的な人間関係、福祉の充実、個人における幸福の存在など。

※武田信玄はなぜ隣国へ侵攻したのか? 直接的暴力に至った原因「構造的暴力(目に見えない海面下の氷山)」は何か?
『どうする家康』の武田信玄は「この山々に囲まれた国になぜわしは生まれついたのかと、よう恨んだ。もっと田畑があれば、海が、港があれば、もっと富があれば」と語っていた。これは、構造的暴力(国民の不平感、不満感)というより、個人的な感情に近い?

③文化的暴力:直接的暴力と構造的暴力を正当化、合法化し、支えているもの。風土、文化(自らの思想や行動の意味)から生まれて支えられる暴力。選民意識やナショナリズムのような宗教やイデオロギーが生み出している諸問題が文化的暴力となる可能性がある。

※家臣は、「主君・武田信玄に命じられた」という大義名分で戦う。

 以上、ガルトゥングが言いたいのは、「平和⇔暴力の概念を知り、その知識を考える道具として、社会状況、人間関係の中で、どういうことが起こっているのか状況を整理(分析)し、動機をその深部から理解しよう」ということです。

※友達に殴られた(直接的暴力)。「やめろ」と言ったら、やめたが、また次の日に殴られた。こういう時は、諌めるのではなく、友達として相談にのり、なぜ殴るのか、その動機(構造的暴力)を聞くことが大切である。不用意な発言で傷つけていたのか、両親の不和でむしゃくしゃしているのか。

 そしてガルトゥングは平和に至るには、調停役と超越案が必要だとした。

※武田信玄が生きていたら、調停役は何と言う? 「不平不満を隣県にぶつけないで、漫画を描きなさい」(超越案)かな? 諫山創氏は、周囲を山に囲まれた大分県日田郡大山町(現・日田市大山町)に生まれた。その地勢が彼に周囲を壁に囲まれた土地を舞台とする『進撃の巨人』を描かせた。

2.「仲裁は時の氏神」築山殿は調停役・羽川翼になれるか?

“現代のジャンヌ・ダルク”“導きの聖母”“紛争地域の国境を消す極悪国際テロリスト”“翼の生えた調停者”。このわずか数年後、羽川は数々の異名と共に「世界は100年後“”ハネカワ以前とハネカワ以後”で語られるだろう」と言われる程の歴史上の人物となっていくのだ。

 西尾維新の<物語>シリーズは、超大作である。(最新刊は阿良々木暦と戦場ヶ原ひたぎの新婚旅行を描いた『戦物語』である。)
 <物語>シリーズに羽川翼という超天才女子高生が登場する。「高校卒業後は、世界中を旅して回る」と言っているが、どうも行った先々で、各国が抱える問題に超越案を提示する調停役を務め、世界史上、最も有名な人物になるらしい。
 築山殿も築山御前屋敷にいないで、諸国を回ればいいのにと思う。

 ちなみに築山殿役の有村架純さんは、築山殿を「最前列に立つ勇敢なジャンヌ・ダルクではなく、最後尾でみんなの背中を押す“静かなジャンヌ・ダルク”」のイメージで演じられたそうです。


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