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「山木館攻め」のあとはどうする?

源頼朝は、近く(静岡県伊豆の国市)に住む伊豆国目代とその後見を討った。

━━その後、どうする?

当時、伊豆国の大豪族は、狩野(工藤)茂光と伊東祐親で、共に兵士300人の徴兵能力があったという。私なら、工藤茂光を味方に付けて伊東祐親と戦わせ、すきをみて国衙(静岡県三島市)を襲撃して、伊豆国を掌握する。

※伊豆国の国府:国府(国衙)は静岡県三島市の三嶋大社の横にあったが、武家政権の行政庁は北条氏の本貫地・北条がある田方平野に置かれた。
・鎌倉幕府の守護所(北条館横? 一説に国衙跡):歴代守護は全員北条氏
・足利幕府堀越公方の堀越御所(伊豆の国市寺家):北条館の北
・江戸時代の代官所(伊豆の国市韮山の江川邸内):歴代代官はほぼ江川氏
源頼朝は、北条から鎌倉へ移る必要は無かったと思われるが・・・。

※守山中世史跡群

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 2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第4回)「矢のゆくえ」では、参陣を求められた相模国足下郡(現在の神奈川県足柄下郡湯河原町~真鶴町)土肥郷の土肥実平が、執拗に「領地を安堵してくれるか?」と確認していた。(今で言えば、金融商品を勧められて、元本確保を求めるようなものか。)

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