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三河国の式内社(しきだいしゃ)

 『延喜式(えんぎしき)(延喜5年(905年)に編纂が開始され、延長5年(927年)に完成)の巻9&10の「神名式」がいわゆる『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)(上(巻9)下(巻10)2巻)で、これは当時の官社(国家的待遇を受ける神社)のリストであることから『官社帳』とも呼ばれ、掲載社を「式内社(しきだいしゃ)」、延喜年間(901-923)に存在したが、中央政府と結びついていないために『延喜式』に掲載されていない神社を「式外社(しきげしゃ)」といい、式内社であることは「古代からある官社」である、式外社であることは「古代からある神社」であるという「社格」のような肩書(ステータス)になっています。

式内社の中には、
・廃社になった神社
・新興の神社に境内社として取り込まれた神社(廃社に近い遷座)
・御祭神を替えて社名を(八幡社、神明社などに)変えた神社
もあり、延喜年間のままの神社は数少ないです。
 明治時代入り、神仏分離により、牛頭天王を祀る「牛頭天王社」は、スサノオ尊を祀る「津島神社」等に変わりました。この社名変更を迫られた時期、「我が神社は、実は式内社であり、『延喜式』に掲載されている社名に戻す」と主張する神社が現れました。これに対し、周囲の神社が、「いや、我が神社こそ式内社だ」と名乗り出ました。「式内社である」と主張する神社が1社の場合、その神社を「論社」、複数ある場合、各神社を「比定社」といいます。古記録が残っていない場合、論社が本当に式内社なのか、比定社の中のどの神社が式内社であるかを定めることは難しいです。式内・糟目神社については、犬頭神社と春日神社が「我が神社こそ式内・糟目神社である」と主張して一歩も譲らず、結局、決定的な証拠(古記録)が見つからず、「それぞれ「式内・糟目犬頭神社」「式内・糟目春日神社」と名乗る」ということで決着しました。
 古記録が残っていても難しいことがあります。たとえば、式内・謁播神社は、戦火を避け、御神体を川原宮に疎開させたままです。式内・謁播神社は、延喜時代の所在地にある「謁播神社」(愛知県岡崎市東阿知和町北山)なのか、延喜時代の謁播神を祀る「川原宮」(愛知県豊田市御蔵町粟下)なのか。この問題を解決させるには(謁播神社を式内社にするには)、
・川原宮を独立させず、謁播神社の境外摂社にする。
・川原宮の御祭神を謁播神社に返し、川原宮には謁播神社で祀っている御分霊を祀っていただいて存続していただく、あるいは、川原宮を廃社にする。
しかない?

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 三河国(愛知県東部地方)の式内社とは、『延喜式』(巻9)「神名帳(上)」に掲載されている26座で、尾張国(愛知県西部地方)の式内社121座の1/5弱しかありません。少ない理由は、三河国に神社はあったものの
・中央政府と結びついている神社(大きな神社)が少なかった。
 ※国衙所在地である寶飫郡の官社数が極端に少ない。
 ※『延喜式』では「大社」が0社で、全て「小社」である。
・伊勢神宮と結びつき、伊勢神宮の分社・神明宮が非常に多い。
などの理由が考えられます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/185

【三河国の官社数】 ※式内社数/『参河國內神明名帳』掲載社数
 ・碧海(あをみ)郡 6/23
 ・賀茂(かも)郡 7/9
 ・額田(ぬかだ)郡 2/7
 ・幡豆(はづ)郡 2(2所3座)/8
 ・寶飫(ほお)郡 6/61
 ・設樂(したら)郡 0/11
 ・渥美(あつみ)郡 1/15
 ・八名(やな)郡 1/26

※三河国の式内社数25/『三河国内神名帳』掲載社数166→式内社は約1/6
※尾張国の式内社数121/『尾張国内神名帳』掲載社数202→半数強が式内社
※『参河國內神明名帳』
https://note.com/sz2020/n/nebfd5f34d17a

■三河国内式内社一覧

・社格は「大社」「小社」で、三河国には「大社」が1社もありません。
・神社の数は25所(25社)ですが、神の数は、久麻久神社に2座(2柱)祀られているので、26座(26柱)になります。

三河国 26座(並小)
 賀茂郡 7座(並小)

  ①野見(ノミノ)神社
  ②野(ノ)神社
  ③兵主神社
  ④射穂(イホノ)神社
  ⑤狭投(サナケ)神社 ※現在の表記は「猿投」
  ⑥広沢(ヒロサハノ)神社
  ⑦灰宝(ハヒホ)神社
 額田郡 2座(並小)
  ⑧稲前(イナサキノ/イナクマ)神社
  ⑨謁播(アチハノ/エハタ)神社
 碧海郡 6座(並小)
  ⑩和志取(ワシトリノ)神社
  ⑪酒人(サカムトノ)神社 ※現在の読み方は「さかと」
  ⑫日長(ヒナカノ)神社
  ⑬知立(チリウノ)神社
  ⑭比蘇(ヒソノ)神社
  ⑮糟目(カスメノ)神社
 播豆郡 3座(並小)
  ⑯久麻久(クマクノ)神社 二座
  ⑰羽豆(ハツノ)神社 ※現在の表記は「幡頭」で、読み方は「はず」
 宝飫郡 6座(並小)
  ⑱形原(カタハラノ)神社
  ⑲御津(ミツノ)神社 ※現在の読み方は「みと」
  ⑳菟足(ウタリノ)神社
  ㉑砥鹿(トカノ)神社
  ㉒赤日子(アカヒコノ)神社
  ㉓石座(イハクラノ)神社
 八名郡 1座(小)
  ㉔石巻(イシマキノ)神社
 渥美郡 1座(小)
  ㉕阿志(アシノ)神社

※参考サイト:『神社と古事記』「延喜式神名帳 三河国の式内社 26座」
https://www.buccyake-kojiki.com/archives/1070590803.html

■三河国内式内社巡拝写真記録


25社ですので、タクシーかレンタカーを使えば1日で回れそうですが、
そう簡単では無かったです (;_;) 


①野見神社 ※まだ参拝していません(;_;)
②野神社
  ※まだ参拝していません(;_;)
③兵主神社
 ※まだ参拝していません(;_;)
④射穂神社
 ※まだ参拝していません(;_;)

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⑤「三河国三宮」狭投神社 ※現在の表記は「猿投神社」。

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⑥広沢神社 ※写真は、参道。

⑦灰宝神社 ※まだ参拝していません(;_;)
⑧稲前神社 ※まだ参拝していません(;_;)

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⑨謁播神社

⑩和志取神社 ※まだ参拝していません(;_;)

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⑪酒人神社

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⑫日長神社

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⑬「三河国二宮」知立神社

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⑭比蘇神社 ※現在は「比蘇天神社」。

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⑮糟目神社 ※現在は「糟目春日神社」。

⑯久麻久神社 ※まだ参拝していません(;_;)

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⑰羽豆神社 ※写真は、御祭神・建稲種命の水死体が漂着した湾岸の亀岩。

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⑱形原神社 ※写真は、旧鎮座地の石碑。
 形原は形原松平氏の本拠地である。ちなみに、明智光秀ゆかりの丹波亀山城跡の「形原神社」は、亀山藩主・形原松平信岑を主祭神とし、歴代藩侯を祀る社として明治13年(1880年)に創建された神社である。

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⑲御津神社 ※写真は、旧鎮座地の磐座(いわくら)。

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⑳「手筒花火&仕掛花火発祥之地」菟足神社 ※写真は、風祭。

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㉑「三河国一宮」砥鹿神社 ※写真は、旧鎮座地の石碑。

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㉒赤日子神社 ※写真は、旧鎮座地の赤彦神社(古赤日子神社)。

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㉓石座神社 ※写真は、社号の由来の石座石(の大きい方)。

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㉔石巻神社 ※写真は、一之鳥居から見た石巻山。

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㉕阿志神社 ※写真は、伊良湖神社&阿志神社参道終始発点の石標。


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