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藤原賢子の誕生と紫式部の死

 2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、紫式部の娘・藤原賢子は、藤原道長の子との子いう設定でした。藤原賢子は、恋多き女性になった

歌や実生活から、母の紫式部と比べ、恋愛の駆け引き上手というイメージを持たれることがある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

のは、「不義の子だから」という設定なのかなと思いました。(3歳の時に父親が亡くなってるので、「年上好き」「ファザコン」という設定なら理解できるのですが・・・母親の紫式部も年の差婚ですしね。)

 紫式部を藤原道長の妾とする系図もありますが、さすがに一婦多夫は許されないので、藤原道長の妾となったのは、藤原宣孝の死後のことでしょうね。

ネットでは、
・史実をゆがめた。時代考証担当の先生は史実を知らないようだ。
・W不倫。ゲス不倫。
・藤原道長はソウルメイトという設定と聞いていたが思ったがセフレだった。詰まるところ、男女間に友情は成り立たない。
・石山寺は当時のラブホ。
とざわついています。

 石山寺といえば、能「源氏供養」では紫式部は石山観音の生まれ変わりという設定ですので、
・紫式部=石山観音の不倫
・石山寺は紫式部=石山観音にとってのラブホ
と騒がれたらたまりませんね。

 紫式部は『源氏物語』を書いた罪で地獄へ落されたのを、閻魔大王の補佐官の小野篁が救ったという。だから紫式部の墓が小野篁の墓の横にあるのだという。

<紫式部の墓> 


・京都府京都市北区紫野西御所田町:小野篁の墓の横

・兵庫県神戸市北区山田町藍那

・栃木県下野市紫

・千葉県南房総市

・千葉県館山市那古



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