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平山優『新説 家康と三方原合戦』を読んでみた。(1/2)

ネタばらし、感想など。

■ネタばらし「“新説”とは?」


「新説」とは、「徳川家康は、なぜ篭城せずに出陣し、三方ヶ原で戦ったのか」という謎を「補給援軍という観点から解いた」ということである。
 きっかけは『信長公記』に、「武田軍が堀江城を攻めようとしたので、徳川家康は軍勢を出し、(堀江城に向かう)武田軍と戦った」とあったことで、さらに、堀江城主・大沢基胤の「三方ヶ原を封鎖してしまえば、掛川に在陣する敵軍(徳川軍)は難儀することだろう」という書状を読んで、「徳川家康は浜松城を維持するために、武田信玄に戦いを挑まざるをえない状況に追い込まれて出陣した」という仮説をたてたという。

参陣之処に、早、二股之城、攻落し、其の競に、武田信玄、堀江之城へ為打廻相働候。家康も浜松之城より御人数、被出、身方か原にて、足軽共、取合(中略)武田信玄、堀江之城、取り詰め在陣之時候。

(織田信長からの援軍が浜松城に着いた時には、早くも二俣城は陥落しており、その勢いで武田信玄は、堀江城(静岡県浜松市西区舘山寺町堀江)へ回って攻めようとしていた。徳川家康も浜松城から軍勢を出され、三方ヶ原で、足軽たちが戦った。(中略)そこへ「武田信玄が堀江城を攻めて在陣」の報が伝わってきた。)
https://dl.ndl.go.jp/pid/781192/1/38

太田牛一『信長公記』(巻5)

■塚越芳太郎『徳川家康』
而して信玄は、兵を收めて堀江城を襲ふ。中安兵衞、外郭を守りしが、棄てゝ二丸に拠らむとす。太田吉勝、止めて堅く之を守る。家康、糧米及び大豆を賜ふ。

https://dl.ndl.go.jp/pid/781733/1/126

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