東京国立博物館所蔵「石田正宗」
豊臣秀吉の死後、石田三成ら五奉行が政治を担当していたが、石田三成を恨む者もいた。その者たちをなだめていた五大老の前田利家が亡くなると、早速、7人の武将たちが石田三成を襲った(「七将襲撃」)。五大老の徳川家康が仲介し、「石田三成の佐和山蟄居」で事を収めた(石田三成の失脚)。
徳川家康は、たまたまいた次男・結城秀康(旧・羽柴秀康)を、佐和山までの護衛につけた。瀬田に至ると、石田三成の家臣3000名が迎えに来ており、石田三成は、「ここからは我が領内であるので心配ご無用」として、結城秀康に「石田正宗」を贈り、帰したという。(「石田正宗」は、豊臣秀吉が石田三成に贈った名刀だというが、『享保名物帳』には、宇喜多秀家が毛利若狭守から400貫で買い求め、石田三成に贈った名刀だとある。)
以後、津山松平家に代々伝えられた。
現在は、重要文化財「刀無銘正宗(名物石田正宗)」として東京国立博物館に所蔵されている。
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