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吟行「清洲城」

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清洲城へ行くと、
「この天守閣に織田信長が住んでいたのかぁ」
「この天守閣で『敦盛』を舞ってから桶狭間に向かったのかぁ」
と感無量ですが、「天守閣」は俗語で、正しい建築学用語は「天守」です。
「天守」には種類があります。

 
 天守┬現存12天守(十二現存天守)┬国宝五城
   │             └重文七城(重文七天守)
   ├再建天守┬復元天守(復原天守)┬木造復元天守
   │    └復興天守      └外観復元天守
   ├模擬天守
   └天守閣風建造物

※「復元」か「復原」か
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2017/01/tanken156.html

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 清洲城天守は、平成元年(1989年)4月に清洲町の町制100周年を記念して「清洲のふれあい郷土館」として建設されたRC(鉄筋コンクリート)造の「模擬天守」(モデルは「現存12天守」の犬山城天守)です。(岐阜城天守は「復興天守」、名古屋城天守は「外観復元天守」です。また、清洲町は、平成17年(2005年)7月に、西枇杷島町、新川町と合併して「清須市」となりました。)

 なんと、なんと、織田信長の時代、天守はなかったのです!!!

※「清洲」か「清須」か
https://www.city.kiyosu.aichi.jp/shisei_joho/shi_shokai/shi_profile.html

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 さらに驚くのは、清洲城天守が建てられた場所は、清須市清洲地域文化広場であり、清洲城があった場所ではありません! 清洲城は五条川の対岸にありました!

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 現在、城跡は、東海道本線と東海道新幹線で分断されていて、線路以南の城跡(清洲公園)には桶狭間を見る織田信長と、織田信長を見る濃姫(帰蝶)の銅像が、線路以北の城跡(清洲古城跡公園)には清洲城跡顕彰碑があります。

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「天守は城の守り」
「いや、天守は殿の守りで、城の守りは堀だろ」
「清洲城の場合は五条川が天然の堀だね」
上のマップは、右上が北。
つまり、五条川は城の東を流れている。
四神相応で東と言えば「東方青龍」。
「五条川という清流は青龍だね」
そこで一句

  清流は青龍なりけり 清洲城

ちょっと意味が分かりにくいので、

  せいりゅう(清流/青龍)は城の守りか 清洲城

としてみました。無季だけど。それに、清洲は総構えだから、町の守りは壁ですね。そして、突然ですが、

  一緒に吟行に行こうよ!

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