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「長徳の変」の基礎・基本

「長徳の変」とは、
1.花山院闘乱事件(「長徳の変」の始まり。狭義の「長徳の変」)
2.呪具で東三条院(藤原詮子)を呪詛
3.私的に大元帥法を使って藤原道長を呪詛
の三罪状(みつのよからぬこと)による藤原伊周&隆家兄弟の中関白家と、中宮定子の母・高階貴子の高階家の人々の左遷(失脚)のこと。


1.花山院闘乱事件(狭義の「長徳の変」)

 『本朝通鑑』によると。藤原伊周は、弟・藤原隆家と10余人の家臣を率いて、微行(びこう。身分の高い人が密かに出歩くこと)中の花山法皇の袖を射らせると、花山法皇の左腋を傷つけたという。
 また、自宅で私的に「太元法」を行ったという。

〇花山法皇、密通故、太政大臣・為光(ためてる)第四女(俗称「四君」)。是時、藤伊周、亦、与其姉(俗称「三君」)私、至是。聞法皇之微行。乃、疑其密通於三君。而大怒。与弟・隆家相謀。欲刧法皇以止其微行。乃遣隆家及家士十余輩、於其第宅辺(其第者、鷹司殿也)。月夜、待法皇之出。而射其衣袖。而傷其左腋。法皇大愕。馳馬逃帰。法皇、雖怒其暴挙。而耻微行之発覚。不忍斥言之。褁創称疾歴日其事遂泄。天皇勃然。
 頃年伊周私行太元法於其家。此法、非朝廷不修之。其事、亦、発覚。於是、下明法博士議、伊周、隆家之罪。

『本朝通鑑』(弟6)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920424/1/90

2.東三条院(藤原詮子)を呪具で呪詛

東三条院(藤原詮子)が寝込んだ。

───呪詛だという。

呪詛を行ったのは、

①藤原伊周
ということであるが、ドラマの藤原伊周は、涙を流しながら否定していたので、違うと信じたい。

②藤原詮子
藤原伊周を排除するための「自作自演」ということであるが、ドラマの藤原詮子は、仮病ではないようであったし、発見された呪具に驚いたのは、演技では無いと信じたい。
 ただ、藤原詮子の見え見えの自作自演であったので、源倫子は、「このままでは自作自演がバレて罪に問われる」と感じ、内々に処理したとも考えられる。(藤原道長のあきれ顔が、藤原詮子の自作自演説を裏付けている。)

③藤原道長
古文書に依れば、呪具の第一発見者は藤原道長であることから、呪具を藤原道長が持ち込み、部屋の中で発見した振りをしたと考える学者がおられる。(現在の犯罪でも、第一発見者は怪しい、)

④源倫子
 ドラマでは、源倫子が「悪しき気が漂っている」と部屋を捜索させ、「見つけてください」と言わんばかりの多くの呪符を見つけている。そして、藤原道長が捜査に乗り出そうとすると、
「私にお預けくださいませ」
と止めた。

 視聴者に多数決をとると「藤原詮子&源倫子共謀説」が優勢になるらしいが、この2人って仲良かったっけ? 源倫子が薬を出しても、藤原詮子は飲んでいないぞ!  このドラマの脚本は「藤原詮子自作自演説」かと。

⑤安倍晴明
 呪符の作成は安倍晴明だろうが、
「そんなことはもうどうでもいい、重要なのは貴方様の世になること」
と話をそらし、自分に飛び火しないように、陰陽道の「反閇(へんばい)」(道教の「禹歩」)を続けた。

「反閇(へんばい)」は、先に出した足の後に後の足を引き寄せて進み、北斗七星の形に歩く歩き方で、能のすり足や相撲の四股に繋がるという。

又云。或人呪詛云々。人之厭物、自寝殿板敷下掘出、云々。

『小右記』長徳2年3月28日条
https://dl.ndl.go.jp/pid/1229248/1/73

3.藤原道長を大元帥法で呪詛

 大元帥法 (だいげんすいほう/だいげんのほう)は、鎮護国家の秘法で、「敵国降伏のため」などに朝廷のみで行うものでした。
 藤原伊周は、祖父・高階成忠に命じて、右大臣・藤原道長と女院・藤原詮子を呪詛させました。高階成忠は、屋敷に法琳寺(ほうりんじ。京都市伏見区小栗栖北谷~丸山町)の僧侶を呼んで「祈祷」させるも、実は「呪詛」であったことがばれてしまいました。しかも、その時、臣下が行ってはいけない「大元帥法」が使われ、「呪詛したこと」よりも、「大元帥法 が行われたこと」の方が問題視されたそうです。

また、太元法とは、ただおほやけのみぞ昔より行はせ給ひける。たゞ人はいみじきとあれど、行ひ給はぬとなりけり。それを、「内大臣殿、しのびて、この年頃行はせ給ふといふ」と、この頃、聞こえて、これ、よからぬことの内に入りたり。

『栄花物語』(巻第四)「見果てぬ夢」
https://dl.ndl.go.jp/pid/877398/1/89

※高階成忠は、「長慶の変」の時は出家していたので、お咎め無し。


 個人的には昨日も書きましたが、狭義の「長慶の変」の黒幕は、第一発見者であり、参議に出世した藤原斉信だと思っています。多くの方が藤原道長が黒幕だと思っておられるようですが、藤原道長は、織田信長がこね、豊臣秀吉がついた「天下餅」を徳川家康が食べたように、長生きしてたら政敵が死亡したり、失脚したりで、「棚からぼた餅」で天下を取った無欲の人だと私は思っています(ちょっと言い過ぎかな?)。ちなみに「日本三大棚ぼた昇進」とは、藤原道長、徳川吉宗、井伊直弼の3人を指します。 

 私が小説家なら、源国盛を黒幕にし、事件後に証拠隠滅のために殺害するな。

★歴史チップスさんの小説『月』(全4回)


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