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諸文献に見る「長徳の変」
■概要
内大臣・藤原伊周は、藤原為光の娘で、藤原忯子の妹、超絶美人として評判の「三の君」(寝殿の上、鷹司殿の上。ドラマでは藤原光子)の元(鷹司小路の邸宅)に通っていた。
長徳2年(996年)頃、花山法皇は、「三の君」と同じ屋敷に住むそれ程美人ではない「四の君」(藤原儼子)の元に通い始めた。
■藤原為光の娘
長女:藤原義懐室(母:正室・藤原敦敏の娘)
次女:藤原忯子(969-985)=花山天皇女御
三女:寝殿の上、鷹司殿の上=源雅信室→藤原伊周妾
四女:藤原儼子(?-1016)=花山法皇妾→藤原道長妾
五女:藤原穠子(979-1025)=源兼資室→藤原道長妾
女子:藤原隆家の妻(母:不詳)
女子:安芸守家平の妻(母:不詳)
藤原伊周は、花山法皇が、自分の妾の「三の君」の元に通っていると誤解し、弟の中納言・藤原隆家に相談した。藤原隆家は、長徳2年(996年)1月16日、従者を率いて花山法皇一行を襲い、花山法皇の衣の袖を弓で射抜いた。(藤原隆家は襲撃対象が花山法皇だと知っていた!)
(注)『愚管抄』では、花山法皇は「二の君」、藤原伊周は「三の君」の元に通っていたが、花山法皇が「三の君」の元にも通い始めたという噂を聞いて藤原隆家に相談したのが事の発端だとする。また、『本朝通鑑』では、矢は花山法皇の左腋に当たったとする。(放たれた矢は花山法皇に当たっていた!)
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