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愛知県新城市の古城&古戦場巡りの旅

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★岡本美紗希「徳川家康公と新城とのつながりから学ぶこと」
http://www.tokugawa.ne.jp/sinsiro/2014/02.htm


《 設楽原古戦場いろはかるた(設楽原をまもる会)》

い 家康が本陣ここに八剱山     (竹広の徳川家康本陣跡)
ろ 老将の言勝頼は封じたり     (須長)
は はたぼこと秀吉陣地の名を伝う  (牛倉の羽柴秀吉陣地跡)
に 日本の戦史かえたる設楽原    (設楽原古戦場内の連吾橋)
ほ 掘りあてし弾丸は鉄玉鉛玉    (竹広の火縄銃弾丸採集地)
へ 平然と首を渡す美濃守      (出沢の馬場美濃守の碑)
と 樋田にて退路をたちし設楽貞通  (日吉の設楽越中守陣地)
ち 治水にもつくせし昌胤ここに死す (竹広の原隼人佐昌胤の墓)
り 律義にも塩瀬が残す五味の首塚  (八束穂の五味与三兵衛貞氏の墓)
ぬ ぬかるみに馬もしりごむ連吾川  (設楽原古戦場内の柳田前激戦地)
る 留守の役高坂弾正は海津城    (川路の高坂昌澄の墓)
を 雄々しくも立ち腹さばく甘利信康 (八束穂の甘利信康の墓)
わ わが主君の身がわりとげし笠井肥後(出沢の橋詰桟橋跡)
か 勘蔵はこの地に死して名を残す  (川路の山本勘蔵信供の墓)
よ 吉川より豊田藤助先に立ち    (吉川の鳶ヶ巣奇襲隊進路松山越)
た たぐいなき騎馬隊倒す三千挺   (設楽原古戦場内の大宮前激戦地)
れ 連吾より浜田に続く馬防柵    (須長の馬防柵の左端)
そ そこかしこ顕彰碑たてし牧野文斎 (八束穂の牧野文斎碑)
つ 土屋昌次柵にとりつき大音声   (竹広の土屋昌次戦死の地)
ね ねんごろにまつり絶やさぬ勝楽寺 (川路の勝楽寺戦没者慰霊場)
な 内藤の陣地も墓も天王山     (八束穂の内藤昌豊の墓)
ら 来援を見届け金七郎帰農する   (富永)
む 村人はいくさをさけて小屋久保  (出沢)
う 鵜の首をわたりて押し出す武田勢 (出沢の橋詰桟橋跡)
ゐ 井戸がわり大宮川で渇いやす   (大宮の一重柵建設地跡)
の 信長の陣茶臼山に歌碑もあり   (牛倉の織田信長戦地本陣跡)
お 大松小松信玄塚の供養塔     (信玄原の信玄塚)
く 首洗い池は血色に水濁る     (信玄原の首洗池)
や 山県の最期胴切りの松に秘め   (竹広の山県昌景の墓)
ま 守りぬく城主の貞昌二十一    (コロミツ坂)
け 訣盃の跡清井田に清水わく    (清水ヶ入の清井田訣盃跡)
ふ ふしぎにも蜂の大群姿けす    (信玄原の信玄塚)
こ 甲田の地名あわれに言い伝う   (甲田)
え えんえんと柵木岐阜よりかつぎくる(竹広の馬防柵)
て 手振りよくおどる酒井のえびす舞 (上平井の織田信長本陣地跡)
あ 赤禿に勝頼本陣進めたり     (八束穂)
さ 佐久間と馬場丸山とりでの攻防戦 (須長の丸山砦跡)
き 奇襲隊広瀬を渡りて鳶ヶ巣へ   (川路の広瀬の渡し)
ゆ 故ありて昌純の墓は小川路に   (小川路の高坂昌澄の墓)
め 冥福を祈る武将の慰霊牌     (八束穂の信玄祖師堂跡)
み 三子山に真田兄弟の墓ならぶ   (八束穂の真田信綱の墓)
し 信玄のゆかりつくせぬこの地名  (信玄原)
ゑ 絵図ひらき軍議かさねし極楽寺  (上平井の織田信長本陣地跡)
ひ 日は悲し一五七五ぞと武田七九  (竹広の長篠役設楽原決戦場碑)
も モッセモッセヤーレモッセの火踊り(信玄原)
せ 先陣の大久保兄弟うって出る   (川路の大久保兄弟布陣地跡)
す 強右衛門のろしをあげし雁峰山  (鴈峰山登り口)
京 京めざす武田の雄図今悲し    (川路の勝楽寺前激戦地)

★長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り 看板設置箇所
https://ja-aichihigashi.com/irohakaruta/


■新城市戦国語り&撮影会オフ写真集


野田館(野田入畑)
千郷神社(野田上市場)
旗頭山(八名井反林)
大野田城(野田幹徳)
野田城(豊島本城)
法性寺(豊島竜谷)
設楽原古戦場(大宮清水)
石座神社(大宮狐塚)
泉龍院(豊栄大洞山)
「野田城周辺巡り」写真集

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