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いざなぎ流陰陽道

 土佐物部(高知県香美市)の民間信仰「いざなぎ流陰陽道」は、民俗学者によれば、大陸的な信仰形態に、平安末期になって日本の陰陽道が加わって成立したというが、伝承には、2つある。
①源平合戦の際に逃れてきた占い上手の「魔法巫女」(小松盛門の姫)が霊感を得て、指霊神である「天之神」の教えによって「神楽舞」や「法式(祈祷)」を編み出し、教祖となったのが、「いざなぎ流」。
②人を救うための祈祷(呪術)を求めて「天中姫宮(てんちゅうひめみや)」が天竺に渡り、「いざなぎ大神」から人形祈祷や弓祈祷などの24種の方術を習い、「博士」の称号を得て帰国し、伝えたのが「いざなぎ流」。
 「いざなぎ流陰陽道」と呼ばれていたが、土御門安倍家が禁じた神霊的な祈祷を行っていたので「陰陽道ではない」と考えられたことや、「いざなぎ流御祈祷」よりも「いざなぎ流舞神楽」が有名になったので、現在は「陰陽道」を取って「いざなぎ流」と呼んでいる。(だが、上の動画にあるように、先祖が太夫だった家から土御門家の許可状が見つかり、陰陽師がいたことが判明した。とはいえ、「道教」「密教」「陰陽道」「修験道」という型にはまらない民間信仰である。いざなぎ流の使い手である太夫は、道士、僧侶、陰陽師、修験者ではない。徐福のような方士(方術使い)に近いと思われる。)

https://www.city.kami.lg.jp/uploaded/attachment/12542.pdf



https://lab.kuas.ac.jp/~jinbungakkai/pdf/2021/h2021_02.pdf


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