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いざなぎ流の呪術
いざなぎ流とは
高知県の物部村(現・香美市物部町)に今も伝わる「いざなぎ流」は、民間の呪術・信仰で、その中世的な姿を今も伝えていることで知られます。
「いざなぎ流」では、「太夫」と呼ばれる宗教者たちが、多様な祭儀、神楽、祈祷などを行っています。
ですが、現在の「太夫」は、普段は普通の仕事をしています。
「物部村」という名は、下流に物部氏が住んでいたため物部川と呼ばれるようになった川の源流が、ここにあるためにつけられました。
ですから、「いざなぎ流」は物部神道とは関係がありません。
また、「いざなぎ」という名がついていますが、記紀神話のイザナギ神とも無関係です。
「いざなぎ流の祭文」によれば、「いざなぎ流」は、はるか昔の日本国王の天中姫宮(占いに長じた巫女的存在)が、天竺(天上)のいざなぎ様から祈念の式法(病気治療の祈祷法)を伝授されたことに始まります。
「いざなぎ流」は、陰陽道、密教、熊野系修験道、三輪流神道、吉田神道、梓神子(弓祈祷)など様々な影響を受けています。
太夫は「巫博士」と自称しますが、「博士」は陰陽師に由来します。
「巫」の方は梓神子などの巫覡に由来しますが、純粋な巫覡(託宣)の部分は途絶えています。
「いざなぎ流」は、地域差があるだけではなく、各太夫の独自の実践によって決定づけられているという多様性がありますが、この点ではシャーマニズムと共通します。
「いざなぎ流」の祭文は、中世の御伽草子などに似た部分を多く、中世的な宗教、神話の古い伝統を今も伝えている点で、全国的にも極めて稀な存在です。
「中世祭文」は、従来の研究者にあまり注目・研究されてきませんでしたが、霊能者が言葉によって神霊・悪霊に強制を行う点に特徴があります。
この特徴は、中国地方の神楽にも残っています。
そのため、「いざなぎ流」の神楽も、音舞よりも、太夫の発する言葉が重視されるのが特徴で、それが呪術的性質を表現しています。
また、「いざなぎ流」には、神霊を称える「祭文」(表)だけではなく、神霊に対して強制する「法文」(裏)や、呪詛返しを行う「法文」(裏の裏)も存在します。
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2種の祭式
いざなぎ流の太夫が神霊に働きかける祭式は、2種類に分けられます。
一つは「神楽」に代表される、神霊を浄化・育成する祭式です。
もう一つは、「取り分け」、「病人祈祷」に代表される、神霊を排除する祭式です。
前者は「禊」、後者は神霊が関わる「祓」と言えるでしょう。
太夫は、「取り分け」は神棚のないところで普段着で行い、「神楽」は正装で行うというように、2種の祭式を分けて考えます。
「神楽」では神霊を称えますが、いざなぎ流は呪術的宗教なので、単に称えるだけではなく、呪術によって神霊を浄化し、育成します。
その方法の核心部分は、天竺(天上)の清めの水を招き降ろして、神霊にかけて洗うことです。
これを「水ぐらえ」と呼びます。
つまり、神霊は、人間から超越した存在ではなく、人間が祭らなければ、穢れにまみれて、位が下がるのです。
これは、人の死霊も同じで、祭ることで祖霊(御子神)になります。
いざなぎ流では、祭られなくなった神霊や、まだ祭られていない死霊の状態を「溺れている」と表現します。
そして、それらを祭り始めることを「取り上げ」と表現します。
もう一つの「取り分け」、「病人祈祷」は、人や家などに取り憑いた神霊類を切り離す祭式です。
位の高い神霊やその眷属は、人間がタブーを破ったりした時に、取り憑いて祟ります。
また、人が人を恨んだり、妬んだりすると、その否定的な感情が生霊のように、取り憑きます。
これら神霊や呪詛が取り憑くことで、人は病気などになります。
いざなぎ流では、この生霊を「呪詛(すそ)」と呼びます。
それに対して、呪いの呪術は「調伏」、「大すそ」と呼んで区別します。
ですが、「調伏」を行うと、返り風によって子孫が絶えるとされるので、太夫が「調伏」を行うことは原則的にありません。
この投稿では、以下で、「取り分け」、「病人祈祷」について紹介します。
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祭文と法文
太夫が唱える言葉は、「祭文」と「法文」に分けられます。
神楽で神霊を称えるのは「祭文」です。
取り分けや病人祈祷で、神霊に人から離れて戻ってもらうようにお願いする時に唱えるのも「祭文」です。
また、後者では、記載された定形の「祭文」を読む以外に、個々に神霊に一々呼びかける言葉は、「りかん」と呼ばれます。
「祭文」の内容は、神霊や祭式の来歴の物語が中心になります。
物語には、最初にその術式をつかった太夫の祖に当たるような人物も登場します。
つまり、これから使おうとしている術式の根拠をしっかり物語ることが必要なのです。
それに対して、言うことをきかない病魔や呪詛を強制的に引き離して、破壊、封印する時に唱えるのは「法文」です。
この術式は、「式王子」と呼ばれる神霊を使役するので、「式(敷)」とも呼ばれます。
これは、「表」の祭式に対する「裏」の祭式です。
また、調伏を受けた時には、それを返さなければいけませんが、これは「裏式」と呼ばれ、この時に唱えるのも「法文」です。
これは、「裏の裏」に当たる祭式です。
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取り分け
「取り分け」は、宅神祭、氏神祭祀、山鎮めなどの本祭を行うに際して、その準備として最初に行う浄化の儀礼です。
その式次第の構造は、後ほど紹介する「病人祈祷」とほぼ同じです。
「病人祈祷」は特定の個人、病気、神霊、呪詛を対象にしますが、「取り分け」は全般を対象にするのが違いです。
これらの祭式の基本は、祟る神霊や、呪詛(人間の否定的感情である生霊)を、人や家などから切り離し、「御幣(幣束)」に集めて排除することです。
呪詛の「取り分け」の部分に対しては、「呪詛祭り」、「呪詛祈り」とも呼ばれます。
「取り分け」の祭式で使う多数の御幣は、2種の祭壇である「法の枕」と「みてぐら」に立てられます。
容器状の「法の枕」には、「高田の王子幣」を中心に、「天神の祓幣」、「山の神幣」、「水神幣」、「荒神幣」、「天下正(天刑星)幣」、「四足幣」、「すそ幣」、「六道幣」を立てます。
また、供物として米や貨幣も入れます。
主要な神霊とその眷属などはこの御幣に集めます。
輪になった藁の台である「みてぐら」には、「だいば人形弊」、「四幣」を立てます。
供物として「ズツ米」と呼ばれるその家の家族の爪、髪の毛、糸くずなど、そして、穴の空いた貨幣、焼いた五穀の実なども入れます。
呪詛はここの御幣に集めます。
「取り分け」では、考えられる限りのありとあらゆる神霊に呼びかけます。
そして、主要な神霊とその眷属などに対しては、人間側の過ちを誤り、本来の住処に返ってもらうように頼みます。
呪詛は、発生源の人に返すと呪詛返しになってしまうので、「すその名所」、「すそ林」と呼ばれる場所に捨てて、封印します。
具体的には、集落の外れの人が行かないような山の斜面の岩陰などの場所です。
「取り分け」では、「山の神の祭文」、「水神の祭文」、「地神の祭文」、「荒神の祭文」、「土公神の祭文」、「いざなぎの祭文」、「恵比寿の祭文」といった祭文が7つほど読まれます。
物部村は山間の村なので、中でも「山の神の祭文」が重視されます。
「山の神の祭文」によれば、天竺(天上)の王の三兄弟の長男・太郎が日本の山を所領に希望して、天下って山の神になりました。
ですが、人が勝手に山の木を伐採したので病気になったので、「天竺星のじゅもんみこ殿」が山の神と交渉をして、山の神の祭りを行うことで、木の伐採を許してもらうとなどの約束をとりつけました。
また、山の神は水神である竜宮の乙女と結婚し、日本各地の山の神や、数多くの病気の神を生みました。
山の神の眷属としては、「道六神(道の神)」、「四足(動物の魂魄)」、「呪詛(人の否定的な感情)」、「山みさき、川みさき(川の合流地点に住む山川の魔物)」、「六道神(死者の魂魄)」などが祭られます。
次に、「呪詛の祭文」が読まれます。
「提婆流」、「月読」、「日読」などの祭文です。
「提婆流」の祭文によれば、提婆の王が、人や牛馬を殺すと叫んでいたので、日月の将軍が巫に憑依させ、祭りをすれば許すと託宣したとされます。
つまり、呪詛(実際は調伏)の元祖的存在が「提婆の王」で、みてぐらに立てられる「だいば人形弊」はこの王の弊です。
「月読」、「日読」は、様々な呪詛を読み上げて、それによって派生した「南無呪詛神祇」を送り返す内容の祭文です。
また、「天神の祭文」も読まれますが、「天神」は呪詛の鎮めの後ろ盾となる神です。
これについては後で述べます。
その後、「釈尊流」の祭文が読まれます。
これは、「唐土拯問(じょもん)」への礼儀として読まれます。
「唐土拯問」は、いざなぎ流で呪詛の祭式の元祖的存在とされる神話的術師です。
「唐土拯問」のモデルは、中臣の祭文の作成者と仮託された董仲舒と推測する人もいます。
その後に、家の神仏に付着している呪詛を切り離す「縁切り」、五方から呪詛を集める「読みみだし」、新旧の村中の日夜の呪詛、悪霊類を集める「集め祓い」を唱え、古釘で欠けた皿をたたきながら、残っている呪詛を幣束に集めます。
そして、みてぐらと法の枕の御幣をまとめて、「不動びゃくの縄」と呼ばれる楮の皮で縛りあげ、数珠の間を三度くぐらせ、5種類の「関」を打って封印します。
「関」というのは、呪文を唱えながら手印をして、剣、岩、金幕、綱、鎌、棒、霞などをイメージで霊的バリアを張る祭式です。
また、呪詛封じの上印の法文である「高田の行い」を読み、「高田の王子」をトップとした式王子たちを召喚します。
これについては後述します。
そして、「呪詛林」に行き、穴を堀り、そこに御幣を埋め、その上に大きな石を乗せ、左右に「呪詛幣(唐土拯問の弊)」と「高田の王子の弊」を立てて押さえにします。
そして、呪詛封じの上印の法文である「高田の行い」を読み、「高田の王子」をトップとした式王子たちを召喚します。
これは、最近では「関」を打つ時に一緒に行っているようです。
「高田の王子」については後で述べます。
こうして、鎮めを終えます。
病人祈祷
「病人祈祷」は、「取り分け」と違って、特定の個人、病気、神霊、呪詛を対象にします。
そのため、占いによってその発生源を確かめて、それにあった祭文が読まれます。
法の枕には「高田の王子」ではなく「五体の王子」の御弊を、みてぐらには「だいば人形弊」ではなく「花べら弊」を立てます。
「五体の王子」については後で述べます。
神霊・眷属はその本来の住処へ返し、死霊の場合は西方九品が浄土へ送り返します。
生霊の呪詛はもとの生体へ、調伏は元の方角へ送り返すこともあるようです。
祭文は「取り分け」と同じ主要な祭文を読みますが、これらに加えて、厄神の祭文として「天刑星の祭文」を読みます。
この祭文の内容は、牛頭天王縁起に近く、祇園大明神の妻である天刑星が、こたん長者に復讐をするという物語です。
厄神は「南南方こたんが里」へ送り返します。
先に書いたように、「病人祈祷」は「取り分け」と似た構造・次第を持っていますが、いくつかの規模の違う祭式があります。
「押しかじ祈り」と呼ばれる3日間かけて行う場合は、祭文の後に下記のような次第を行います。
まず、「中はずし」という次第で、強力な術を使うからその前に立ち退けと病魔を脅します。
次に、「門はずし・霊気はずし」で、病魔を種類ごとにみてぐらに集めます。
そして、「総まくり」で、個々の病魔に、集まったかの確認をします。
次に、「行い」で、「五体の王子」などを召喚、使役して、強制的に病魔を集めます。
この時、「人形祈り」で、「人形弊」を使って、これに病人の体中を探して病魔を取り去らせます。
最後の「鎮め」では、「天神の五印」を打ち、「九体」に当たるその日の方向へ、「天神の五方立て」を唱えて鎮めます。
式王子と天神
いざなぎ流では、呪詛などを排除するための式として使役する神霊を「式王子」と呼びます。
「式王子」には、多数の種類の神霊がいますが、その中に、固有名詞としてのただの「式王子」がいます。
この「式王子」は、「用ゆう姫の裏敷」、「用ゆう姫の敷くじ」とも呼ばれ、天竺のしゃらだ王の娘の用友姫が日本の国王との間に生んだ子だったのですが、異形の姿だったので、式の主、式の太郎権現様として天に上げてもらいました。
彼を使役した最初の術師は天竺金巻童子です。
「取り分け」で召喚される「高田の王子」は、次のような式王子たちです。
高田の国にある大万尺の岩があり、その上に石楠草の木があり、その枝に高田の式の太郎・次郎・三郎・四郎がいて、中央に月日の将軍がいます。
この4人の王子をトップにした式王子らが「高田の王子」で、彼らに大万尺の岩などを引かせて鎮めの上印にします。
「病気祈祷」で召喚される「五体の王子」は、来歴は不明なのですが、東方しめの王子、南方はけの王子、西方大三の王子、北方四社の王子、中央五方社の王子で、昔、金巻童子が使役したとされます。
太夫は、「式王子」以外の神霊も、式として使役する場合があります。
ですから、山の神、水神、荒神、天神などを式として使う法文があります。
神霊が式として使役される場合、別の名で呼ばれます。
例えば、「天神」の式名は「大天神の荒式警護様」、山の神とその眷属の式名は「式の大神様」です。
神霊は、普通、特定の「神格」を持っていますが、それが式として使役される場合は、その神霊の「力」そのものを使うのでしょう。
いざなぎ流では、「天神」は、鍛冶師の始祖神であり、多数の「天神」がいます。
「天神の法文」は、鍛冶神である天神に由来する剣が打ち鎮めの太刀として太夫の呪具になったという物語を内容とします。
いざなぎ流に限らず、鍛冶の道具や鍛冶によって作られた剣は強力な武器になると考えられたため、鍛冶神は呪詛返しの神とされます。
先に書いたように、「天神」は鎮めの後ろ盾として「高田の王子」らと協力します。
*参考資料は、上記の表紙掲載書
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