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グランマのはなし

私が生まれる前に亡くなったために、父方の祖母とはついに会うことがなかった。
声も好きなものも知らない、仏壇の写真で姿を見るのみの祖母。父や母から聞いた話では、思いやりのある優しい人というイメージを抱いた。
勉強のできた父のことをよく褒め、息子しかいない家に母が嫁いできた時には大変喜んだとのこと。多くは語られてこなかったが、写真からも感じる温かみに出会えなかったことを少し寂しく思わないでもなかった。

その切なさが全て払拭されたのは、半年ほど前のことだった。

実家のリフォームをきっかけに不用品の処分をしていた時、おばあちゃんの写真があるんだよ、と見たことのないアルバムを見せられた。紙の冊子に写真を直接貼り付けた、くすんではいるものの状態は良いものだった。
これは学校に通っていた頃、これは親戚の集まり、と様々な年代の祖母が写っていた。娘時代から目力のはっきりした、ひいき目なしでも美人の部類に入る容姿だった。
初めて触れる祖母の人生を、不思議な気持ちで眺めながら何ページか捲った時。

そこに写っていたのは、白い着物に身を包んで髪を綺麗に結い上げ、サングラスかけて蛇皮線をかき鳴らす祖母だった。

皆さん、「蛇皮線(じゃびせん)」をご存じですか?名前の通り蛇皮を胴に張った弦楽器で、三味線の前身となったものです。沖縄県の伝統楽器・三線(さんしん)と言った方が知っている方は多いかもしれませんね。
ぱっと見でそれとわかる蛇柄と、大きな舞台に堂々と居る姿のインパクトはかなり大きく、しばらく黙り込んでしまった。何か言わねばと、やっとのことで絞り出せた言葉は「ロックだね……」だった。
そういえば、仏壇の写真もサングラスかけてたわ。子供の頃から当たり前のように毎日眺めていたから、あまりにも違和感がなかった。

後で母から聞いた話だが、祖母は沖縄出身で沖縄舞踊も嗜んでいたそう。
また、スナックで働いていたことと一時期ある大きな団体に所属していたことから、大勢いる知り合いには大層慕われていたらしい。聞き上手で愛想が良いだけでは収まらない人間性は、亡くなった時に花輪を送ってくれたり実際に足を運んでくれた著名人がいたほどだったという。
そんな面白い話、よく今まで黙っていられたな。私だったら仲良くなった人全員に喋っちゃう。祖母のこと全然知らなかったのに、今ではめちゃくちゃ誇らしい気分になっている。

実は父方の祖父も私が生まれてすぐに亡くなっており、大阪出身で毎週末たこ焼きを作っていたこと以外はやはり写真でしか知らない人物だ。いつか、ちゃんと話を聞けたらいいなと思う。

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