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200.描く、伝える、かたちにする

ごきげんよう。
早いもので、このnoteも書き始めてとうとう200記事に達しました。

記事名にナンバリングしてると、そういうのがわかって便利ですね。

確か100記事めのときも、節目とかは特に関係ない内容の投稿をしましたが、今回も特に関係ないこと書きます。

↑100記事めの投稿。このときは100記事目と気づいてなかった。

同じ景色、同じ炎

 そんな葛藤なんて想像でつくりあげてるだけの話じゃないか。じゃあそこの部分をどうクリアするのかって話なんだよ。それはきっちり話あわなきゃいけないし、やっぱり自分が見せていかなければいけないし、自分がどう思うかを言い続けていかなければいけない。

 それは極めて情緒的な部分に対して忠実でなければいけないわけですよ。それはマーケティングとは違うものになっていくと思う。

 でもその情緒的なものが強ければ強いほど人はついてくるんじゃないかな。

 これはね、信仰に近いものがあると思う。宗教的なものがあると思う。それはどっかの宗教とかそういうことじゃないよ。自分の作品。自分の衝動。それに対して、どれだけ忠義を尽くすのかみたいな話なんじゃねえのかな。

 俺がいいたいのは、俺がつくったものがいいと言ってくれる。それに対して、リアクションが起こっている。ということは、きみのなかにも同じ景色が見えてないと、そもそも合致しないんだよ。

(中略)

 それを一つの炎としよう。
みんな同じような炎を持ってるんだよ。それを必死になって具現化するのか、しないのか?

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1709/22/news040_2.html

いきなり引用から始まってどうしたという話ですが、本日とある仕事で、人のスピーチを聞く機会がありまして。

色々な思いを抱きながら聴いていて、終了後会場を出て、夕暮れの空を見上げて、またエモ・モードに入り。

「俺は本当はどうなりたいのか」
「何を求めているのか」
「そのために何を差し出すのか」
「どこまで、そしてどれくらいやるのか」

そんなことをグルグルと考えていました。

そうして、ふと思い出したのが上に引用した一節です。

共有したものを一緒に形にしたい

今日のあの人やあの人のスピーチ。
心沸いたあのライブ。
いつかのあの日涙した本の一節。
繰り返し聴いたあの歌。

いまだにうまく言語化できませんが、僕が人生において大事だと感じるもの、具現化したいと思うもの。

それは、自分だけのものではなくて。

同じ景色を見た人、同じ炎を持つ人が必ずいるんだと。

それなら、僕は「それ」を一緒に分かち合いたいし、そして何かのかたちで具現化したい。
できれば、多くの人と。

そのためには、自分が「それ」を見せる努力や伝える努力、描く努力、そしてもちろん叶える努力をする必要がある。

簡単じゃない。

でも、できたら面白い。

自己啓発書とかビジネス書によく出てくる「ビジョン」って、そういうものなのかな、と思いました。

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なんか、今回は随分とりとめのない記事になっちゃいました。
次回からはもうちょっと分かりやすいこと書くよう心がけますね。
(でもまた時々やるかも…)

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