見出し画像

[番外編]まとめることのむずかしさ


noteを書き始めて、数日。
あらためて文章を書くことの難しさを痛感しています。

というのも、いくつかの投稿をしてみましたが
どれも納得していない。

たまたま、Twitterでバズってるnoteを数件読んだんですが
どれも書き方はそれぞれ異なっていたのに非常に読みやすく
すぐに続きを読みたくなり、長文でもあっさり読み切ってしまいました。

それに引き換え、私のnoteは別に読みたいと思わない。

振り返り趣味を活かして、その中で読みやすい文章の訓練も
ついでにできればいいと思って初めているので
最初から出来るとは思ってなかったけど・・・

こんなに下手なんだと、改めて実感しています。

自分に無いものをどうしたら吸収できるのか
違ったアプローチの仕方はあるのか、振り返ってみたいと思います。


文章作りで意識していること

○順番を入れ替える
 つながりのある話題が次に続いたほうが読みやすい。
 書き散らかして一旦頭を整理してから読み返し、順番を入れ替えた方が
 話が地続きでわかりやすいのでは?と入れ替えることがある。
 noteにおいては文章量が多くなりがちなのでサボり気味。

○投稿前に読み返す
 読み返してはいるが、読み返しているだけ。
 「ちょっと鍋見ててね」って言われてそのまま鍋見てる奴と一緒。

○区切りを明確にしたい
 「ここまではAの話」「ここからはBの話」と
 区切りがハッキリしていないと個人的には気持ちが悪い
 読みやすさを意識した段落は1つ下げる、違う話は2つ下げる等

○表現を連続させない
 同じ言葉を繰り返して使わない、似たような言葉で代替する。

 →例)めっちゃ、すごく、とても 
   このお菓子めっちゃ美味しかった!すごく混んでたけど
   今度一緒に行こうよ!とても楽しみ!

出来ていないけどやりたいこと

○投稿前に読み返して調整
 自分が書いて気持ちよくなってしまっているので
 読み返しても誤字に気付くことや段落分けを忘れてることに
 気づいたり気づかなかったり。
 現状、見栄えを整える効力は少しあるが、文章の整合性や
 読みやすさ、表現の調整などには意識が向いていない。

○句読点の位置
 過剰にしすぎているかも、と最近気になってきた。
 文末の「。」は意識して付けていないときと付け忘れている時と
 ごっちゃになっている。校正された場合はアウトだろう。

○文体を揃えたい
 揃っていないので、非常に読みづらい!
 表現を変えるには理由があるべき。
 今回は「文章」と「振り返り」で書き方を変えているが
 敢えてではある。

自分のクセ

○表現を重複させて繰り返す
 文章量を増やしたい気持ちがあるわけではなく、純粋にクセ。
 くどいので辞めた方が良い。
 「この言葉はキーポイントだ」と意味を持つ場合もあるので
 使い分けることが出来れば良いのだと思う。
 言葉を操る能力が低い。

○何を書きたかったか忘れやすい
 本筋から外れやすい。自分が伝えたいことを優先しがち。
 思いついた順番で書くし、関係ないことが次から次に溢れてくる。
 一旦走り書きで書いておけば、後に整理する時に役立つのだが
 今書いている文章の方向性が見えていない状態で走り書きを残すと
 書いている文章について見失うし、走り書きに関しても
 なんのことだったか分からなくなるしで本末転倒。

○攻撃的な表現をする
 誰かを貶めたいという気持ちはないつもりだが
 なにか、「分からせてやりたい」は根底にある気がする。
 薄っぺらくてキッショい正義感だと思う。

○1センテンスが長すぎる
 「けれど、だが」が続き、くどい
 よく話してて「で、何が言いたいの」って言われるけど文章にも出てる。
 早く辞めたほうが良い。

●総合すると
 おそらく書きたいことを優先していて、伝えようという気持ちが薄い。
 文章であっても、双方向コミュニケーションであるという概念を
 失っているため、一方通行。相手に理解コストを割かせている。
 
 誰かに読ませるための文章を書くことは非常に苦痛で、疲れる。
 そもそもコストが高い作業なのだと思う。

 これは私が下手なのもあって
 他の人が10疲れるところを、私は30疲れているのだと思うが
 そもそも疲れる作業ではあると認識している。

 なぜなら単純作業ではなく、必ず思考しながら行う作業であり
 疲れずに「出来ている」と思っている人は自分の書き出す表現が
 「正しい」と思って押し切っているのではないだろうか。
 少なくとも過去の私はそうだった。

自分について

私は元々他人に関心が薄く、自分のことが好きなので
自分以外へ興味が薄く、気持ちへの配慮が下手だと思う。

ただ、これは性質の問題でもあるだろうから
「もっと関心を持とう!」で解決する話ではない。

しかし、自分は「よく気が付く」「気配りが上手い」とは言われる。
言葉としては近い表現だと思うが、逆を返せば、関心や興味がなくても
気付くことは出来るし、気配りも出来るのではないだろうか。

====================
気が付くの例でいうと
例えば、のどが渇いているとする。

自分だけ飲み物を買ったり、コップを用意するのは
「空気が読めない」と感じる。
必ずその場に居る人間に、何かいるか確認を取るし
確認が取れない状況ならば一応用意をする。

暑い日であれば、冷たい飲み物
寒い日であれば、温かい飲み物

コーヒーや炭酸などは好き嫌いがあるので
水やお茶が無難だろう、とりあえず、それを用意しよう
そんな考えである。

自分からすると
「配慮」ではなく「空気が読めない行動を取りたくない」だが
他人からすると「気を使ってくれている」になる。
====================

この例以外でも恐らく、
自分だけ得をしたと思われたくないという
外面を気にしている部分から発生している考え方であり
基本は自分軸で考えている事象だと思う。

他人に「よく思われたい」のではなく「悪く思われたくない」のだ。

よく思われたい人が配慮が上手いんだと思うし
他人軸へのアンテナ感度も高いので、人間的好感度も高い。

私は自己評価の低さから他人軸ベースではあると感じているが
根本的には常に自分都合が優先されている。

自分都合で考えているから、文章にも影響が出ていることが
分かったところで、どうすれば良いだろうか。

出来ること

以前から話すことは好きだが傾聴力がないと感じていた。
しかし、聞いているのは非常に退屈で
「これ口を挟みたい」と思ったら止まりにくいのだ。

できる限り、口を挟まず聞くが、「これを言いたい」と思ったが最後
それ以降は話があまり頭に入ってこず。

リアクションを取ることが「良し」と考えているのかもしれない。
こういったところから他人に関心が薄いと感じている。

では、
リアクションを取ることを「良し」としなければいい。


何か返さなければと考えているから
どこで口を挟むか常に考えてしまっている。
最初から「何か言う」ことを前提に話を聞いているのが良くない。

すぐさま何か自分の言葉で返さず、ただ最後まで話を聞けば良い。
リアクションはうなづくだけで十分。
聞いた後にオウム返しをすることでなんの話だったか自分の頭に
インプットする。
「そっかー、○○なんだねー」
ここから意見を言おうと考え始めればいい。
最初から何か物を申そうとするからよくない。

「人の話を最後まで聞こう」
本当にコレに尽きる。


退屈で、他人に興味が持てないから遮りたくなるが
外面を気にする性質ではあるので
リアクションを後回しにすることはできそうだ。


文章でも同様だ。
自分の感情を優先するから話が狂ってくる。
物事には優先順位が必ず存在する。

リアクションを取る=自分の感情を優先する なのだから
一旦置いておくべき事項なんだと思う。

感情を伝えるのは悪ではないので、伝えて良い。
ただ、順番は後。それだけの話なのかもしれない。

読書感想文を思い出そう。
最後に「こう思いました」で締めくくることが多かったように思う。
記事もそうすれば少しはマシになるかもしれない?

私の記事においては
事実→感情→締めくくり が読みやすさを上げられそうかもしれない。

実践で上手くいくかは分からないけれど
少なくとも、今日の記事は今までよりはマシだと思いたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?