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孤独感があること

もう半年過ぎたんだ...。
なんだかんだとしているうちに今年も半年たった。会社を辞めてから2年半たったのかな。ここんところ日数を数える生活をしてないのでハッキリしない。支障もないのでそのままにしている。このままぼぅ〜と日々を過ごしているのも辛くなってきた。当然、収入もないのでどうするかなぁ、の思考が毎日続く。働きなさいよ!の声が聞こえてきそう。だがダメージを受けて辞めたせいか今ひとつ踏ん切れない。
人と接したい気持ちはある。ひとりで家にいるよりかはサードプレイスがあったほうがいいと思う。近所にそのような場所はあるが、主に高齢者の方々が対象。運営者の方とは懇意にさせていただいており、一時期、孤独感の恐怖に襲われた時にお世話になったことがある。今はたまに呼ばれてパソコン周りの簡単なメンテナンスなどをしている。

収入を得たい、というのもあるが「仕事をしたい!」というのはひとつの「手段」であって目的ではない。
ぼんやりとしているが、「孤独感からの脱却」だろうとおもう。
何かにつけてこの「孤独感」が襲ってくる。なんなんだろうか、全く原因がわからない。「所詮、人間はひとりさ」と嘯いても全然治らない。

思い悩む日々があった。仕事に行けない日々があった。とある医師にかかったことがあった。その医師のことばが心に突き刺さった。
「独りでいることがよくないのよね」
そうかと思い、いろんなところに顔を出した。生涯の伴侶とも出会えた。いろんなことを一緒にやり遂げ、今でも仲良く暮らしている。でもそれが相手に依存しているように感じ、申し訳ないという気持ちを生んでいる。共生なのだから自分の孤独感は依存で解消しては駄目だろう、もし相手がいなくなったらまた振り出しに戻るだけではないかと。独りでいることが多いのでせき立てられるように根を詰めて考えてしまう。

その「根を詰めて考えてしまう」のを止めるためには仕事をするのが手っ取り早いだろうと思った。
事務系の仕事を探した。まぁ無いです。ヘリコプター操縦者で25万、というのがあった。そんな待遇で人が来ると思っているのか、と思った。

仕事は選びたい。またあの思い悩む日々には戻りたくない。今でも後遺症のように苦しむ時がある。

草刈りの仕事をしたことがある。朝8時から昼までの草刈り。期間はは草が繁茂するのだから春から夏いっぱい。刈り払い機で刈るだけならいいのだが、そのあと1立方メーターの手提げ付き袋に詰め込み、所定の場所まで運ばないといけない。これが肉体的に非常にきつかった。汗だくで草刈りをした後、熊手でかき集めて行う。午前中だけで2~3リッターの水を飲み切る。それだけの体内の水分が入れ替わると身体的には健康的な感じはある。現場の方々は温厚な方で働きやすい環境だったが、体力的には限界だった。秋からの仕事の落ち葉払いの仕事を優先して回していただいたが、体が動かなかった。優先して回していただいたのに申し訳なかったが辞退した。

体力勝負、屋外仕事はもう年齢的に厳しいのかなと思った。そう考えると自分は何ができるのだろう、昨今のコロナ禍でIT化され事務職は減ったと伝え聞いた。視点を変え、視覚障がい者の方々の同行支援も探したが、近隣には無かった。市役所の福祉課に問い合わせたが、そのような支援があることも承知していない様子だった、果たして仕事はあるのだろうか。




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