武重謙 ヒグマ猟記8「自分が帰らなかったときのために」
鉄砲撃ちとして何年かを生きてきた。毎年猟期を迎えるに当たって思うことはただ1つだった。
「ああー楽しみだ!」
今年はどういう猟期にしようか。新しい鉄砲はうまく使いこなせるだろうか。そういえば靴が壊れたから新しく買わないとな。夏のうちに開拓したあの猟場に、冬も獲物はいるだろうか? 今年も獲るぞ――なんて具合にとにかく楽しみで、興奮し、ソワソワと猟期を迎える。猟期が近くなると、妻も「生き生きしてるわ」と笑うほどだ。そして、それは自分なりに精一杯押し殺している表情を見て言っているのであって、心の中が覗き見られたなら、たぶん表情の百倍はソワソワとしているだろう……。
しかし、この年、その感情の中に確かな重りが忍び込んでいた。
ハンターの中でも意見が割れる話題の1つとして、「狩猟は命がけか?」というテーマがある。
命を奪う立場ではあるが、はたして奪われる立場に立っていると言えるのか、という点で意見が割れる。山に入れば滑落・落石・道迷いといった事故はつきまとうし、狩猟となれば獲物の反撃もあるのだが、反撃の余地などほとんどない猟法もある。わたしが普段取り組んでいるシカの忍び猟はそのひとつだ。撃つのは数十メートル以上離れているし、もし1発目で死に絶えず、暴れているならもう1発撃てば良い。ムリして刃物で止め刺ししようとして角で反撃されるようなことにならなければ、安全はかなり担保されている。
車に乗るとき、(たとえ事故のリスクはあれど)それを命がけだと語る人がいないのと同じ理屈で、こういった狩猟を命がけだとは思わない。
わたし自身、一定の“山のリスク”としての、命がけ感はあっても、それ以上のものではなかった。そういう考えなので、家族もわたしの出猟に際し、過度に心配する必要もなかった。
ところが狙う獲物がヒグマとなって、その考えが通用しなくなった。妻にも「死ぬかもしれないね」とはっきり言われており、当人の自分だけが「命がけじゃないもん。安全だもん。気楽にやるんだもん」と高をくくるわけにはいかない。それはあまりに不誠実だ。
そこで、いまできる最大限の対策をしようと決めた。「帰らなかったら死んだと思ってくれ」で済ますのは現代の猟師としては足りないと思う。いや、本当はそういう姿に格好良さを感じる。冒険家のようにGPSを持たず、通信手段を持たず——という行為に憧れはある。しかし、わたしはあえて胸を張って言う。自分は猟師だ。猟師とは日常だ。今日も山に行き、明日も山に行く。1度獲ったら満足して終わりではないし、ゴールがある行為じゃない。毎日歯を磨くように、毎日米を炊くように、山に行く。生活そのものだ。現代の猟師として、家族や周囲の人間と折り合いを付けながら続けていくことに価値がある。
まず通信手段として、GARMIN社のInReachを導入した。これは衛星を利用した通信ができるので、理論上は世界中のどこにいても、家族にメッセージを送ることができる。谷間など、衛星が見えない場所に入り込むと通信に時間がかかったり、通じないこともあるが、そこそこ開けた場所に出られれば通じる。実際に使用してみた感じでは、狭い谷の中からでも十分に使えた。また、費用も安く、十分に一般の個人が使える料金に収まる。
トラブルがあったら使うというよりも、平常時から「いまここにいるよ」「帰りが遅くなるけど、問題は起きてないよ」と家族に短いメッセージを送るために活用している。家族に不安を与えないことは、続けていく上で重要だと感じている。そうすることで、遠慮なく取り組むことができるだろう、と考えた。
また、道具だけではなく、本業の整理も進めた。
本業として宿泊施設を経営しているが、これまでは自分がいないと回らないという不安があった。小さな施設なので、自分に依存している部分が多かった。そこで、主要な業務を整理し、マニュアルを作り、妻やスタッフに託した。数日や数週間なら自分がいなくても営業できる体制を作った。宿を立ち上げるときの次くらいに “仕事をした” という実感がある。
最後に、自分に何かがあった時のために、遺書的なものを用意した。猟銃の処分の仕方であったり、相談すべき人の連絡先を入れておいた。
これで安心だ。安心して取り組める。
楽しいソワソワ感よりも、気の重い作業の方が多い猟期前となった。それでも淡々と準備は進み、狩猟に関わる書類も揃い、弾も買うことができた。
独特の緊張感を持って10月1日の解禁日を待った。