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感情に振り回されない

子ども時代の事です。
保護者懇談で、先生がこうおしゃいました。

 授業態度が悪い児童です。注意散漫で、
 注意されたことを理解していない子どもさんです。

おしいなぁ「好奇心が旺盛で、機転が利く」と言って欲しい。
懇談から帰ってきた祖母に、言い訳をしました。
こんな悪態を付く子どもでした。
ただ、祖母の悲しい顔を見た時に、どうして良いか解りませんでした。
途方に暮れたことを、今でも覚えています。

人が悲しむのは切ないです

私は、かなり集中持続力がありました。
私だけじゃない。みんなそうです。
人は好きな事には、時間を忘れて集中できる生き物です。

「自分らしく生きる」、それは各自のささやかな願いです。
ここに、立ちはだかるのは
「こうあるべき」
と言う一般的な価値観の声。
世間でしょう。
「世間さん」という個人はいないので、この声に従えば、
また別の声、違和感のある声が押し寄せます。
次から次へと。

声は他人からだけではなく、
厄介な事に、自分自身のココロからも。
不安に成れば成るほど、自分じゃない価値観が押し寄せる。

「こんなことをしていたらダメじゃないか」

「このままでは、また同じ事に成りはしないか」

「どうしたら認められるんだろう」

「楽に成りたい」

私は自分らしくいるために、耳を貸しません。
人の価値観に合わせる努力、時間の無駄だと思うのです。
あえて無視します。世間の声を代弁する自分の声、スルーします。
だって、人生はホントに短いのですから。

お釈迦様は
「人間は5つの穴があいた舟だ」
と表現なさいました。
5つの穴
眼と耳と鼻と舌と身です。

外界に向かって開け放たれた5つの穴。
その穴から脳に流れ込むのは、情報と言う水。
さざ波程度の波で、舟に水が入ることもあります。
波風にあおられ、舟自体が大揺れする嵐の日もあります。

この舟が揺れ動く状態を「苦」とおっしゃる。
苦の反対は、楽です。
苦から解放されたい。
楽になりたい。
こんな時、
「穴をふさぎなさい」
とお釈迦さまは、おっしゃらない。

相性が悪い人と出会う。
心地よい音を聴く。
この香りは臭い。
塩辛い。
ムシムシ暑い、底冷えして寒い。

外からの刺激・情報に対する反応は、
その時々の状況によって変わります。
サウナが寒いのでは、サウナじゃない。
真冬の室内、暑いのは幸せです。
反応は、その舟の個性です。
刺激や情報が同じでも、
受け取る私の状況が違えば、
反応は変わります。

水はかき出すのではなく、放置が大事です。
だって、水は集めても集めても、勝手に穴から入って来ます。
そして、時間の経過で、私の状況が変われば、
水に対する感情も、自然に変化します。

日々刻々
色んなことが起こります。
生きているから、時間は経過します。
亡くなったら、時間はそこで途切れます。
人生は大海原の船旅です。
眼耳鼻舌身の穴から入る水集めず、
流れ込む水を関連付けず。

舟は前に進み、
風景が変わる。
旅をゆっくり楽しもうじゃないですか。
穏やかに。


時には凹んで、つまづいて。それでも、苦にせず歩いています。 < 自分らしく > そんな動きしかできませんが、ご一緒に楽しんで頂けると嬉しいです。