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僕の大会史‐大会に挑むということ-

どうも、修練です。
久しぶりに演劇垢の方を覗いたら、大会の話題で盛り上がってたんですよね。かくいう僕も大会に全てを捧げてきた民なので、熱くなる気持ちは非常にわかります。
ジャグラーとして関わりのある方はご存知だと思いますが、僕は他に例を見ないくらい大会に出まくっています。目についた出れる大会にはほぼすべて参加していると言って差し支えないレベルです。AJAさん主催の大会には去年全参加なんじゃないかと思います。

では、なぜ僕は大会に出続けるのか。
なぜそんなにも大会にこだわるのか。
そういったところを、書いてまとめようと思います。

noteってそういうもんですが、めちゃくちゃ自分語りになるのはご容赦ください。


初代、2代目演劇ノート

演劇部時代の大会

大会に本気になったきっかけ

時は2017年。僕が高校1年生の頃の話です。
当時の僕は、大会というもののシステムがよくわかっておらず、それにそこまで熱意もなかったので
「ほーん、まぁいつもどおり演じりゃええんやろ」
といった、舐め腐った1年生でした。
学校としてもそこまで大会に力を入れておらず、先輩方も「1年主体でやりゃあいいんじゃない?」とこちらに丸投げ状態。右も左も分からず、台本、音響、演出、役者をほぼ1年生で固め、つぎはぎの状態で初の地区大会に挑みました。

結果は、なんと優秀賞

つまり2位です。

最優秀賞どころか、ノミネートにかすりもしないと思っていたところに優秀賞ですから、部内は大いに沸きました。学校としても久しぶりの賞状だったらしく、OBOGの方に褒められてご機嫌なまま1年目の挑戦を終えました。
地区の2番手とはいえ、全く実績のなかったところに賞をもらったわけですから、当時の僕はそれはもう調子の乗ってました。あー、これは来年最優秀貰っちゃいますわwwなんて気分で大会後の1週間を過ごしていたとき、先輩に「大阪府大会」を見に行こうと誘われたのです。

今思えば、これがすべての始まりでした。


演劇部の大会って?

と、ここで演劇部の大会のシステムをざっくり説明しておきましょう。
大阪府はこんな感じで進んでいきます。

地区大会(A~Jまで10地区)
10校中1校が最優秀賞(都道府県大会進出)

都道府県大会(大阪府大会)
13校中3校が最優秀賞(ブロック大会進出)

ブロック大会(近畿大会)
13校中1校が夏の全国へ、次点の高校が春の全国へ

全国大会(来年度へ持ち越し)

といった感じです。
「え!?全国大会が来年度?どゆこと?」
と思った方も多いでしょう。
ご安心ください。

演劇部員全員同じ気持ちです。

なぜか来年度に持ち越しになってしまうんですよね
なので例えば、2023年の12月にブロック大会を勝ち抜き、全国への切符を手にした3年生4人、1年生1人の演劇部があったとします。
その高校には全国出場権が与えられますが、全国大会が開催されるのは2024年度。主力の3年生達は卒業しています。その場合どうなるのか…。

はい、ご想像の通りです。

残された1年生1人で挑むしかありません。

実際、卒業で大幅な役者変更を余儀なくされた高校は少なくありません。
突貫工事の新入生たちだけで全国に挑み見事ベスト4に残った猛者たちもいました。
なので、ブロック大会と全国大会でどちらの方がレベルが高いか、どちらの方が面白いか、という危険な話題は、しばしば議論を呼んだりします。

こういうシステムの大会に挑むというのは、
それすなわち
2年生が全国に出れるラストチャンス
ということを意味しています。

さぁ、そんなこと毛ほども知らない修練少年。
これからどうなるんでしょうか。

大阪府大会の衝撃と悔しさ

先輩に誘われ、地区大会から1週間後に行われる大阪府大会の会場へと足を運びました。
まず驚いたのは会場の広さです。
我がD地区の地区大会では、市民センターのホールで上演が行われます。
小劇場よりは大きいか…?と思うくらいのハコですが、純朴な1年生達はそれ以上の会場を知りませんでした。ですので、大阪府大会から一気に広がる大会の規模に驚かされたわけです。
具体的にいうと

これが

D地区大会

こうです

大阪府大会

変わり過ぎやろ

ロビー、受付からホワイエに至るまで人でごった返しています。500人以上は入るであろう会場は演劇部関係者たちでいっぱいです。
地区大会のあの閑散とした感じはなんだったんだと思いつつ、大阪府大会の上演が始まりました。

面白いんですよ。これが。

当たり前ですが、全校それぞれの地区から選ばれた代表です。その地区で一番良かった劇が選ばれるわけですから、誰でも出れる地区大会とはレベルが違います。とはいえ、天狗になってた修練くんは
「まぁ、うちの方が面白かったけどな」
と強がっておりました。これ、演劇部あるあるです

さて、何校か上演が終わって昼過ぎ、ついに我がD地区代表校の劇が始まりました。
やっぱり面白い。演劇部にしか分からない身内ネタでも、ここでは大爆笑になる。
自分が過ごした3年間を詰め込んだ、素晴らしい劇だったと記憶しています。
けらけらと笑っていたその時でした。
ふと、思ってしまったんです。

あとひとつ順位が高ければ、あそこに立ってたのは俺なんだよな

と。

優秀賞が取れたなら、もっと努力していれば、最優秀も取れたんじゃないか

と。

そう思ってしまったらもう終わりです。劇になんか集中できません。
何がいけなかったのか、どうすれば逆転できたのか。頭の中は急に始まった反省会でぐるぐる回っています。
いつの間にか劇は終わり、幕間交流で舞台上で楽しく話す彼女たちを見て、心の底から羨ましく、悔しかったのを覚えています。

何かが違えば、俺達があそこに立っていた。

地区大会とは比べ物にならない規模のこの場所で、俺たちの劇を見せることができた。

敗因はなんだ。
審査員との相性か?演技力か?大道具か?

悩んだ末、僕が導き出したのは

良い劇ってのは、脚本が良い。
なら、俺が良い脚本家になれれば、勝てる。

ということでした。
実際、間違ってなかったと思います。
演者がすべて高校生になると、演技で優劣をつけるのは難しい。
強豪校がなぜずっと強豪校でい続けられるのかというと、良い脚本が書ける顧問の先生がいるからです。私立なら転勤もないですから、ずっと君臨し続けることができるんですね。

そして、大会とはどういうシステムで運営されてるのかを調べた修練くんは、あの事実に気が付きます。

来年が、全国に行けるラストチャンス

だということに。


規格外な全国大会

そこからはもう必死でした。
作文が得意だったとはいえ、大阪府大会、それ以上で通用する脚本を書くなんて、並大抵のことではありません。
しかも大阪というのはかなり強豪校が多い都道府県です。
語る人によれば、
「近畿大会よりも大阪府大会の方がレベルが高い」
なんて言葉も出るくらいです。

個人的には、年にもよりますし、13校中3校が近畿に行ける大阪府大会と、13校中1校だけが全国に行ける近畿大会では、また違った楽しさ、面白さ、難しさがあると思ってます。
プレイヤー的には、一番の鬼門は地区大会だと思っていますが…。

さて、劇作のノウハウなんて何もない修練くんはどうしたか。
単純な話です。

劇を片っ端から見まくりました

悔しさをかみしめた大阪府大会のさらに1週間後、1人で箕面で行われていた近畿大会へと足を運びました。

そのあたりからノートを取り始めました。

劇の展開、音響照明の使い方、役者の立ち振る舞い、大道具の配置…
学べるところをすべて紙面に書き殴り、家に帰ってからさらにそれを整理するという生活が続きます。

芸術系のコンクールは、狙って勝つのが難しいと言われています。審査員の好みに左右される部分が大きく、高校生の感性と大人の感性がズレているなんてことはざらです。その点を理解している顧問の脚本の方が、より上に行きやすいのも納得できます。

でも僕は、なんとか、高校生と審査員の両方をも唸らせる劇がしたいと思いました。そして、生徒である僕が書いたその脚本で、顧問創作をぶっ倒したい、と。そう思うようになりました。

なので、2年に上がった夏休み。

1人で長野県に行きました。

そう!
2018年信州総文祭です!

信州総文祭演劇部門

生で見た全国大会は、一言で言うと

”規格外”

会場、観客、劇のクオリティ、すべてが想像の遥か上を行きました。
こんな表現があるのか、こんな笑わせ方があるのか
知らなかったいろんな表現方法に、僕の創作脳がめきめきと成長するのを感じました。
様々な劇を見て、僕はある一つの結論を得ました。

笑える劇が一番強い

その劇が笑えるくらい面白いと、お客さんはその劇の中にいる登場人物に愛着を感じてくれます。愛着を感じさせたあと、その人物が悲運に見舞われるとどうでしょうか。悲しみを乗り越える様を見せるとどうでしょうか。
キャラのことが好きになったお客さんは、より一層物語にのめり込み、感動してくれます。
その年優勝した高校も、やはりどこかで笑いの要素を取り入れていました。
なので僕は、自分にできる一番有効な手段がそれであると確信しました。


2度目の大会―弱小の快進撃―

さて、かっこつけた見出しを付けましたが、言葉負けしないほどの成果は残しました。

長野県から帰った僕は、秋に迫った2度目の大会に向けてさっそく台本を書きはじめました。
夏で学んだことを踏まえて、僕はある考えに至りました。

劇に出して一番面白いキャラは、オカマか老人

であるという考えです。
オカマを演じる勇気はなかったので、僕は老人をベースに話を書きました。


ある学校の用務員室にいる用務員さんとそこによく遊びに来る生徒の話です。その用務員さんには、妻がいました。病気で先の短かった彼女を、用務員さんは愛し続けました。
遊びに来る生徒は、学生らしく、好きな子に対する悩みを吐きます。けらけらと笑って、ふざけながらその相談に乗る用務員さん。

用務員「宇宙人みたいに告白してみろ」
生徒「€%%€€>$#^€>#」
用務員「ふざけとるのか!」
生徒「こっちのセリフじゃー!!」

とあるやりとり

告白の練習もひと段落した頃、ふと疑問に思った生徒は質問します。
子どもも残せず、奥さんも先立ってしまったのに、今、本当に幸せなのか。

次の奥さんは、どんな人がいい?
もっと優しい人?もっと元気な人?もっときれいな人の方が良いかしら。

スターチス

用務員さんの妻は、亡くなる間際
「あなたに幸せになってほしい。私なんか忘れて…。」
と言いました。

出会った頃、女たらしだったあなたが、私と結婚してからは、まるで女の人を避けてるみたいに、関係を作りたがらなかった。食事も、お出かけもせず。ましてや浮気だなんて…。…無理、してたんでしょ?

私なんかのために、本当にごめんね…?夢をあきらめさせて、子供もできなくて、好きなことをめいっぱいさせてあげることもできなかった。あなたの願い、私は何一つかなえてあげられなかった。

スターチス

その奥さんと出会って、用務員さんはたくさんのことを犠牲にしました。
しかし、用務員さんは…

私がいなくなったら、あなたは自由に生きて。
いい奥さんをもらって、元気な子供を持って、好きなことをして生きていって…
私は…ずっと願ってるから。あなたの幸せを。だから…

スターチス

それは…!違うぞ。
…確かに、お前の言うとおり、俺は我慢してた。お前と結婚してから、ずっと。
でもな、全然辛くなかった!

それ以上に、お前を悲しませたくなかった!お前の笑顔が見たかった!たとえ、何を犠牲にしても!自分を殺してでも!お前と一緒にいたかった。
何十人の女性よりも!自分の夢よりも!俺はただ…たった一人のお前を!
お前だけを…愛していたかったんだ!

スターチス

物語の最後は、煙草に関する問いで締められます。

用務員さんって、タバコ吸ってないよね。
でもタバコをやめた理由って、奥さんが病弱だからでしょ?今はもう我慢しなくてもいいんじゃないの?

スターチス

はは。次会った時に、タバコ臭かったらいやだろ?

スターチス


っていう話を書きました。
シリアスな部分だけ切り抜きましたが、その実この劇は全編ほぼギャグです。全国大会を観て気が付いた、笑いを入れることでキャラに愛着を持たせる、というのを実践してみたわけです。
さて、結果はというと

お祝いでいただいたお花

見事!地区大会で最優秀賞を獲得し、大阪府大会へと進出しました!

ワクワクしながら会場入りし、緊張ではち切れそうな中、大阪府大会での上演に挑みました。
地区大会でも割とウケていたので、府大会でもウケるだろう、とは思っていたのですが、なんと…

会場が揺れるほどの大爆笑でした

さっきの画像、実は2年生時の大阪府大会の画像です。

今でも鮮明に覚えています。
僕は生徒役で、用務員さんのボケをいなす、いわゆる”ツッコミ”でした。
用務員さんがボケるたびに、それに僕がツッコむたびに、笑いが起きるんです。自分の一挙手一投足すべてが笑いに繋がるんです。ちょっとアドリブでふざけても、それすらみんな笑ってくれる。
あそこまで楽しい劇はないと、今でも思っています

上演後、ありがたいことにかなり話題になりました
他の高校はシリアス路線を行く中、あのふざけ倒してた高校はなんだ、奴らは何者だ、といった具合に
僕らも、何人かのお客さんも、近畿大会出場を確信していました。

ですが、僕らの高校が呼ばれることはありませんでした。

賞としては、男子個人演技賞にノミネートされたたった3人の中に入ることができたくらいで、話題にはなれど、府大会出場以上の結果が帰って来ることはありませんでした。
(ちなみに用務員役の先輩は個人演技賞を受賞し、意気揚々と役者になるために東京に旅立っていきました。頑張れ先輩。)

大阪府大会出場という、昨年からの目標は叶いました。
その過程で、D地区の他の高校に友達がたくさんできました。
地区大会では彼らと争い、その彼らを倒してこの舞台に来ました。
自分を負かした相手を恨んでもいいのに、彼らは地区大会の後、生まれて初めて嬉し涙を流す僕に笑顔で駆け寄ってきて
「おめでとう!」「すごいじゃん!」「ずっと目標にしてたもんな!」
と、祝いの言葉をくれました。
そんな彼らのためにも、僕は全国大会に行きたかった。
当初の目標はさらに大きく、そして、1人のものじゃなくなっていました。

悔しさに唇を噛みながらミーティングを終え、会場から出ると、聞き慣れた声がたくさん聞こえてきました。

「あ、来た来た!お疲れー!」

D地区の仲間が、大会終了後も帰らずに、入り口でずっと待ってくれてたのです。中には、今年がラストチャンスだった、他校の先輩も含まれていました。
僕が出場権を奪った彼らが、笑顔で迎えてくれたのです。

その瞬間、涙が抑えられなくなりました。
悔しい、申し訳ない、情けない、そして温かい…。
感情がぐちゃぐちゃになり、ただただ
「ごめん…本当に…ごめん…」
としか言えなくなりました。
僕にもらい泣きする奴もいれば、明るい表情を崩さずに肩を叩く奴もいます。

何より一番涙腺を刺激したのは、他校の先輩が背中をさすりながら言ってくれた
「お前には来年があるじゃん、な!来年また見せてくれよ!」
という言葉でした。

違う、違うんですよ先輩。
僕は、先輩を打倒したその年に、勝ちたかったんですよ。
僕を送り出してくれたみんなが、凄いんだって。
俺たちが最強の地区なんだって。
証明したかったんですよ。

今年じゃないと、ダメだったんですよ。

結局、涙は止められないまま、僕は2度目の大会を終えました。


最後の大会と3年間の結末

大会に憧れ、大会に挑み、大会に泣かされた僕の3年間も、いよいよ最後の年。
3年生の大会は、とあるニュースから始まりました。

『地区再編が行われて、ある強豪校がD地区に来たんだって』

3年春の総会でそれを聞いた時、身震いしました。
その強豪校は、2年連続で大阪府大会に出場中、昨年の府大会でも競った高校でした。
それを率いる先生は、過去に2度、自身の脚本で夏の全国へ出場しています。彼らからしてみると、2年間大阪府大会で舐めた辛酸を今度こそ果たそうと、気合いを入れて挑んでくるはず。

仮にそこを超えて大阪府大会に出れたとしても、立ちはだかるは
48年連続地区大会最優秀の化け物校
一昨年、昨年と全国に出た女子高
総部員数40人以上を誇る群像劇の達人集団
ほかの高校にも油断ならない猛者が揃っています。

既に全国に出るチャンスを失った僕にとって、今年の大目標は
近畿大会出場
それを成し得るための障壁は、過去類を見ないほど厚いものになっていました。

僕は悩んでいました。
自分自身を主役にするか、1,2年生の有望株を出すか。

演劇部の大会は秋に行われる都合上、3年生のほとんどは受験勉強のため引退済みです。戻ってくる3年も少数派な中、既に何度も舞台に立った自分が出しゃばって良いものか。

そう悩んでいるとき、1年の後輩からこんなことを言われました。

「せっかく先輩が書くんですから、後悔の無い方にしてください」

そう言われ、僕は3年間の鬱憤をすべてぶつけた、僕のための劇を書こうと決めました。
自分自身が挑んできた大会に、決着をつけるための劇でした。


卒業式当日。
高校3年生の田村は、演劇部室の片づけをしていた。
部員が彼しかいない演劇部は、彼の卒業を持って廃部となる。その片付けを手伝いに来た元生徒会副会長の鴨は、不思議な現象を目の当たりにする。

音響卓、照明卓に誰もいないにもかかわらず、音が勝手に鳴ったり、照明の色が勝手に変わったりするのだ。
田村はそれに何の気なしに順応しており、田村がふざけると音響照明はそれに合わせて動く。田村が笑えば音響からは笑い声が聞こえ、照明は楽しそうに点滅する。

1人になったが、決して孤独ではなかったという田村。
片付けも終わり、寂しくなった部室で、田村は大会を振り返る。
この劇での田村は地区大会で落ちているらしく、それが心残りだと漏らす。

…俺、顧問の先生が書いた脚本に負けるのが一番悔しいんだよな。

田村

大会への心残りは、かなり深かった。
それは、演劇部みんなが思っていて、みんなが言えなかったこと。

お前らのハッピーエンドは、俺のバットエンドだってな。
どれだけ祝福しようと、心のどこかで思っちまうんだ。
忘れんなよって。
お前らが勝って、お前ら以外の誰かの涙が流れたことを。

田村

そして、田村にとって唯一の”観客”だった鴨は、最後に彼の想いを聞きたいと言う。田村は照れながら、最後の公演を行う。
それは4分間、「God knows…」をバックに叫び続けるという、なんともありきたりで、とても激しいものだった。

見ている人に認められなくちゃ意味がない!じゃあ、認められるにはどうすればいい?この場所で!この限りなく自由で!とても狭い世界で生きる俺が!舞台という檻にとらわれ、デフォルメにデフォルメを重ねた限りなく本物に近い偽物の俺が!たった18年しか生きていない俺が、何を描いたらみんな認めてくれるんだ!?完璧な舞台なんて誰も作れねぇ!しかも俺たちは高校生だ!等身大の劇を書けばありがちだと言われ、背伸びしてみれば大人ぶるなといわれる。じゃあどうしろってんだ!

田村

沢山悩んだけれど、最後にたどり着いた答えは

誰も正解がわからなければいい!!だから俺はここで叫ぶんだ!!
俺自身には価値がないけれど、この場所なら俺は!この世界なら俺は!
どんな偉人にも負けねぇから!
野田秀樹にも!
平田オリザにも!
オスカーワイルドにも!
シェイクスピアにも!!

田村

公演を終えて、1人と”それ以外”の拍手が起こる中、田村は舞台を降ります。

カーテンコールをして、劇は終わり。
それすなわち、音響、照明、そして大会と高校演劇への別れを意味します。
全スタッフ自分の役職名を読み上げた後、ありがとうございました、と頭を下げる田村。
どこからか聞こえてくる万雷の拍手、そして、彼はゆっくりと顔をあげ

さよなら

田村

と言い、舞台は終わる。

いろんな別れの感情をこめた言葉。
本当の彼はどこにいるのかわからない。
けれど、少なくとも、舞台にいる彼の世界は…

「世界は音と光でできている」

そんな、最後の舞台でした。

演劇経験者ならわかると思いますが、かなり危ないことを言ってます。
僕自身、出したら怒られるんじゃないかとびくびくしながら、最後の大会に挑みました。

その結果…

近畿大会にまでたどり着きました

地区大会では僅差で、編入してきた強豪校を破り
大阪府大会ではあらゆる強豪ひしめく中、近畿出場枠3枠の一つをつかみ切りました。

ちなみに、大阪から近畿に進んだのは
・全国常連の女子高
・3年連続近畿出場の私立
・我が校
でした。

つまり、出場3校の中で
唯一の公立校
・唯一の生徒単体作(他2校は顧問の先生が脚本に関わっている)
・唯一、昨年大阪府大会で落ちた
・最小部員数(5人)
・最小役者数(2人劇)

という異例の、記録なのかわからないものを達成してしまいました。

最後の近畿大会は、京都の八幡で行われました。
1000人は越えようかというキャパの会場、近畿中から集まるお客さん。
最終日の日曜に上演できたのもあって、とてもたくさんの人に劇を届けることができました。

最後の大会、勝っても負けても最後の上演として挑んだ近畿大会。
その結末…

交野高校、タイムオーバーのため失格

そう、規定タイム60分59秒をオーバーしてしまったのです。
終了直後、先生が計っていたタイマーの数字は61分11秒でした。
12秒、オーバーしたのです。

これは、僕自身が台詞の間を取りすぎたことが原因ですが、大阪府大会まではそれでも何とか規定タイムに収まるように、
「60分10秒になった時点で舞台がどんな状況でも最後の音楽を流してくれ。合わせて終わらせる」
と言っており、そのおかげで大阪府大会大会は60分41秒というギリギリのタイムで突破できました。

近畿でなぜそれをしなかったのか。
舞台上にいる僕は当然タイムなんてわかりません。失格になろうがなにしようが演じ切るのみです。
判断したのは、音響の1年生。「先輩が後悔しない方を」と言ってくれた、あの後輩でした。

「最後の舞台を急ピッチで終わらせたくない。
最後は、しっかりと演じてほしくて、私の判断で流しませんでした。
本当にすみません。」

と、言ってくれました。
その判断を責める人間は部内にいません。
僕自身ですら、今でも感謝しているくらいです。

大会に全てを捧げてきた男が、これ以上上がりようのない頭打ちの大会で、最後はタイムオーバーで失格。

良いオチが付いたと、仲間と笑いあいました。

この後、劇団結成!コロナとの戦い編!に繋がっていくわけですが、大会とは関係ないので、演劇部時代の大会はここで幕引きとなりました。

年に一度の大会に全てを賭けた3年間は、僕にとって最高に充実した、宝物のような日々でした。

ジャグリングを始めてからの大会

さぁ、忘れてるかもしれませんがこれは僕が大会に挑んできた蹄跡を追うnoteです。ここからは2022年以降のジャグリングの大会に挑んだ修練くんのお話です。

高校卒業から2年間、コロナウイルスがはびこる中、僕は必死に劇団活動をしていました。しかし、己の演劇に限界を感じ、コロナが明け始めた2022年4月、それまで通っていた大学から大阪芸術大学に3年次編入生として入学しました。

この時、新入生歓迎会に沸く芸大内で、僕は思います。
「せっかく編入したし、コロナも明けてきて活動もしやすくなったし…
何か、舞台上でできることを増やしたいなぁ」
と、考えていました。

そんな考えの中ふと壁を見ると
「芸大パフォーマンスドール」
のポスターを見つけたのです。

「ジャグリングかぁ…いいかも。」
そう思い、僕はGPDに入ったのです。


そもそもなんでフロウワンドなの?

これ、よく聞かれるので書いておきます。

時は遡り高校時代、2年生に上がる際、演劇に熱中する僕にある友人ができました。
彼はうちの高校にあるジャグリング部に所属しているらしく、今度新歓ショーがあるから見に来てくれと言うのです。

彼とは同じアニメが好きだったことで意気投合し、遠足、修学旅行でも同じ班になりました。放課後にはカラオケに行き、テスト期間にはうちに招いてゲームをし、と、今振り返ると、高校時代にできた一番の友人と言える存在です。

それが、こいつです。

神武

はい、神武さんですね。

僕にとってジャグリングとは
「神武がやってるやつ」という認識でした。
つまりは…

ジャグリング=神武のやつ=フロウワンド!!

となったわけです。

なので僕的には

「ジャグリング?あぁ、よくわからんけどこのフロウワンドってやつやってれば間違いないっしょww」

的なテンションで始めたわけです。
分からなければ友人兼師匠の神武に聞けるしね。

たまたま、うちの高校にジャグリング部があり
たまたま、同じクラスになった神武からフロウワンドを知り
たまたま、転校した先にジャグリングサークルがあり
たまたま、ポスターを見つけたので始めたというわけです。

書き連ねるとわかりますが、奇跡です。

高校2年生、文化祭の写真
残ってるものの中で僕がフロウワンドを持ってる最古の写真

そんなこんなでジャグリングの世界に足を踏み入れた僕は大会の存在を知らないまま、依頼をこなし、ルーティンを量産していきました。

3年生で入っている分、ほかの人よりも進みが遅い。
だけど年齢的には上だから、自分よりジャグリングの上手い2年生達が敬語を使ってくれている。

この環境がどうも歯がゆく、きつかったわけです。

なので僕は、早く先輩になろうと思い、必死に練習しました。
依頼のたびに新しいルーティンを作り、1日に3回ショーをする依頼では3つルーティンを作って持って行ったりしていました。
気が付けば、作ったルーティンは12個を超えていました。

フロウワンドには、手本がありません。
当時外部とのつながりも薄かった僕は、どこから技を仕入れていいか分からず、自分で試行錯誤を繰り返して発展させていきました。
1年目の大会が技難度度外視なのは、そんな概念を学べなかったという側面もあったりするのです。

準優勝、優勝の呪い

僕が初めて挑んだ大会は、2022年のブラボーコンテストでした。
そもそもフロウワンドで出れるのかと不安でしたが、ゆっけくんに確認してもらった結果出れるとのことでしたので、初めて井の中を出て、大海へと飛び込んだわけです。

ジュニアBra棒部門にて、その時の全力を出しました。
その結果…

徳ちゃんさんポーズ

準優勝しました。

ここで変に結果を出せてしまった僕はこう思ったわけです。

「あ、意外といけんじゃん!」

その勢いで出た、新人戦西日本杯、関西学生大会ジュニア部門

新人戦の方は、6位という結果に終わりました。
これにはかなり凹みました。
新人戦は1年目だけが出れる大会ですから、学生大会よりもずっと勝てる可能性があると思ってたのです。
帰りの電車でズ~ンとしていたのを覚えています。

そして、胸を借りるつもりで出た、関西学生大会ジュニア部門…


関西学生大会ジュニア部門

優勝しちゃいました

これには何を隠そう、僕自身が一番驚きました。
優勝どころか、3位で名前を呼ばれなかった時点で諦めていたので、自分のエントリーナンバーを認識していませんでした。

フロウワンドで優勝
という文字列は界隈に少しの衝撃をもたらしました
これまで遊びのマイナー道具でしかなかったフロウワンド、しかも1年目のよくわからん奴が優勝したわけですから、それはもう、ねぇ?

しかし、この優勝での一番の悪影響は僕自身に降りかかりました。

めちゃくちゃ天狗になったのです

そう、まるで演劇部1年生の頃、地区優秀賞ごときで喜んでいたあの頃のように…。

この準優勝と優勝が、長い長いトンネルの入り口になったのです…。


だが鼻はすぐに折れた

天狗にはなりましたが、その鼻は早々に折られることになります。

約1ヶ月後に開催された九州ジャグリング大会で
他ならぬ僕自身の手で折れました。

力を入れた新人戦で負け、緩いルーティンで挑んだ学生大会では優勝した僕は、こう思いました。

フラットな気持ちで出たほうがいいのでは?

今となっては、間違い、大間違い、バカヤロー!となるわけですが、当時は本気でそう思っていました

その結果ルーティンでミス連発、決め技全ドロップとかいう話にならないことをしてしまったのです。
自分で鼻を折ったというより、コケて折れたという方が正しいかもしれません。


九州に向かう新幹線

楽しそうにしていますが、この後全ドロップします


自分でルーティンを全く見返さなかったのは九州大会のみです。
もう、情けなくて仕方なかったのです。舐めてかかって勝てるわけないだろうと、当然のことをもう一度自分に深く刻み込むことになりました。

このあたりで、自分が今トンネルに入っていることを感じ始めました。


4年生の大会ラッシュ

4年に上がった僕は、これまで以上に外部との関わりを強め、積極的に大会に挑むようになりました。

4月にはAFAC(Aichi Flow Artist Competition)

AFAC

観客投票で、入選外でした。


時期が空いて、8月に名古屋ジャグリングコンテストのシングル部門とトリプル部門にダブルエントリー

名古屋ジャグリングコンテスト
神武・ひめちゃんさんと。

シングル部門が16位
トリプル部門が6位でした。

9月に入り、まずは昨年も出たブラボーコンテストに出場

孤独のブラボーコンテスト

結果は4位でした。

同時期にじゃぐりサマーにも出場

東京駅
なぽりたんと。

観客投票で、結果は真ん中あたり

さらにジャグリングオンエアにも動画を提出!

撮影中の自撮り

総合12位世代4位という結果になりました。


そして12月には第二回紅白ジャグリング大会に、抽選落ちの補欠合格で出場!

第二回紅白ジャグリング大会

白組として挑戦し、優勝!

チーム戦とはいえ、かなり久しぶりの賞状獲得で嬉しかったのを覚えています。

賞状をもらってうれしそうな修練くん

そして年は明け、この冬…
また大会に挑み続けます。


未だトンネルの中

お察しの通り、僕はまだトンネルの中にいます
ビギナーズラック、初見殺しで優勝できた去年と違い、みんなフロウワンドに見慣れてきていると感じます。
それは僕にとってとても嬉しいことですが、大会に挑むにあたってはもしかすると不利なのかもしれません。

このトンネルはどうすれば抜けられるのか、そもそも先に出口なんてあるのか。
全くわからないまま、それでももがいています。

演劇部時代、ノウハウが分からなかった僕は、ひたすら劇を見るという戦法を取りました。

ジャグリングを始めて、手本が無い中でどうしようかと迷った僕は、ひたすらルーティンを作り、大会に出るという戦法を取っています。

いつの時代も、僕という人間はトライ&エラーで何とか進んできました。
誰も手を出していなかった劇作、フロウワンドに手を出して戦場に立ち
マイナーを武器に戦い
負けても弾かれても次の武器を考えてしぶとく戻ってきました。

はっきり言って無様に映ると思います。

サークル内からも、そんな声が聞こえてきます。

でも、僕だけはこれを美談だと受け取りたいのです

この、とても楽しい挑戦を続けるために。


大会に挑むということ

僕にとって大会は、自分というものをめいっぱい表現し、それをたくさんの人に見てもらえる最高の舞台です。
演劇部の時は、それが年に1度しかありませんでした
しかしジャグリングには、そんな大会がたくさんあるのです。
こんなに楽しいことがあるでしょうか?

大会とは時に残酷です。
どれだけ練習を重ねても、本番にミスしてしまえばそれまで。

逆に言えば、あまり練習しなくても本番上手くいけば勝てます。

この刹那の輝きが、僕はとても美しく感じるのです
悩む時間、練習する時間、本番当日、大会後の感じ
全てがその時でないと味わえないもので、記録不可能なもの。

吐く息が白いのを写真に残しても意味がないんです
冷たい空気の中で吐いた息が白かったことに意味があるのです。

そんな世界に、自分の大好きな道具と共に挑めていることが、幸せでなりません。

もちろん優勝したい、勝ちたい、負けたくないと思っています。
負ければ悔しいし、結果発表後の拍手はいつも頑張って笑顔を作っています。あの場に自分が立ちたかったと唇を噛み、そこにたどり着けなかった自分に落胆します。
それもすべて自分の力不足なのだという現実がやってきて、嵐が過ぎ去るのを耐えるように、大袈裟に結果に驚いたりしているのです。

そんな環境が、辛いどころか、とても楽しい。

僕にとって、大会に挑むというのは、そういうことです。

最後に

これからも、僕は大会に出続けます。
目ざわりだと思う人がいるかもしれませんが、どうかご容赦ください。

以上、僕の大会史でした。
これを更新することを、楽しみにしたいと思います

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