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ジャグリングとは「存在証明」である。

きみの絶滅する前に」という漫画がXで流れてきました。
単話形式で進む漫画の第4話だったんですが、内容が

「ジャグリングがやめられないカワウソの話」

でした。

未読の方は是非、この話だけでも読んでいただきたいです。

この話を読んで、少し、自分の中でが起こりました。
その熱が冷める前に、ここに書き散らしていこうと思います。

※「きみの絶滅する前に」4話のネタバレが含まれます。
未読の方は閲覧後に、記事をお読みください。

ジャグリングと”競技ジャグリング”

我々ジャグラーは、一人一人が全く違う熱量でジャグリングと向き合っています。
それは、1つのサークルから地方、果ては世界に至るまで。
100万のジャグラーがいたとするなら、その向き合い方も100万通りです。

その中で、各地で行われる大会に心血を注ぐジャグラーがいます。

彼らの中にも熱量の差はあれど、僕はこの「大会に出る」という行為が、ジャグラーを大きく分ける一つの基準になるのではないかと思います。
(僕がそう思っているだけです)

そして僕は、大会で行われるジャグリングのことを

「競技ジャグリング」

と、勝手に呼んでいます。
出る人は「競技ジャグラー」って感じですかね。
「ジャグリング競技者」とかでもいいかな。

そんな競技者たちは、
一つの大会に向けて目標を定め、
時間を削って練習をし、
同じ競技者たちをあっと驚かせようと日夜努力するのです。

とにかくルーティンを作り切ろう
一つでも上の順位に入ろう
優勝してやろう

思惑様々に、競技者たちはその日に向けて並々ならぬ努力を重ねます。

僕は、そういう人たちが一堂に会する「大会」という場所が、どうしようもなく好きなのです。

その場所に確かに、を感じることができるのです。

「きみの絶滅する前に」第4話

そんな中、目に留まった漫画の中に、こんな台詞がありました。

楽しいな。
―でも、
こんなの
何の役にも
立たないのにな

「きみの絶滅する前に」第4話

人間に狙われる二ホンカワウソの「うそ朗」と「カワヒコ」が楽しくジャグリングをするシーンでした。

カワウソ的には、絶滅を防ぐためにもジャグリングなんかに興じている暇はないのです。
それに、ジャグリングができたところで、人間から身を守ったり、効率良く子孫を繁栄させることはできません。

本当に、なんの意味もないのです。

それでも楽しくジャグリングを続ける、うそ朗

しかし、月夜の開けた場所で練習をしていたせいで、人間に撃たれてしまいます。
親友であり、ジャグリング仲間を失ったカワヒコは、その日からジャグリングをしなくなりました。

時は流れ、家庭を持ったカワヒコは、後輩から大会の代理出場を頼まれます。
渋々承諾するカワヒコ。しかしその表情は暗いままです。

わざと失敗して、みんなをがっかりさせるのがいいかな…

「きみの絶滅する前に」第4話

舞台に立ち、熱い照明を浴びたあとでも、その気持ちに変化はありません。

「おまえたち、こんなふうに遊んでいてはいけないんだぞ」って言って
雰囲気を最悪にするか…

「きみの絶滅する前に」第4話

そう言って、持っていたボールをぽとりと落としたその時

ボールジャグリングナンバーズの世界記録は14個まで

「きみの絶滅する前に」第4話

カワヒコは、うそ朗の幻を見ます。

うそ朗は、ナンバーズ世界記録の15個目を目指すと言い、カワヒコもどうかと誘います。

カワヒコは、「だめだ、だめだ」と首を振り、役に立たないことをしていちゃダメなんだと、ボールを掴みたい手を必死に抑えます。

そんなカワヒコに、うそ朗は優しくこう言います。

ね、カワヒコくん
きっと楽しいと思うんだよ
だからどうかな
もう一回…
思い出してみるのはさ

「きみの絶滅する前に」第4話

その言葉で、ずっとわかっていたはずの気持ちを思い出したカワヒコは、持っていたボールをすべて宙に放り投げます。

観客は大盛り上がり、司会も興奮しながら実況を行います。
割れるような大歓声の中、カワヒコはその一瞬に思いを馳せます。

―血が上る
頭が白くなっていく
音が遠くなって、何も聞こえなくなる
おれたちの世界のこと
なんの役にも立たないけれども
おれたちだけが見つけた世界のことを―

「きみの絶滅する前に」第4話

思い出せた?カワヒコくん

「きみの絶滅する前に」第4話

ああ…

楽しいよ
うそ朗

「きみの絶滅する前に」第4話

かつて2人が練習した場所には、宙に投げれた14個のボールと、1つの丸い月が浮かんでいました。

無意味なことに必死になるということ

僕はこのお話の、特に最後のカワヒコの大技のシーンにとても感動しました。
マウスを動かす手が止まり、文字を1つずつ丁寧に読み、瞳孔がグッと開きその世界に吸い込まれていくような。
そんな感覚になりました。

いたく感動した後に、僕は今自分自身が向き合っているジャグリングについて考えました。

本当にジャグリングは無意味なのか

まず考えたのは、ジャグリングの意味について。
作中のカワウソたちにとっては、当然無意味なものであったと思います。

では、現実に生きる我々にとってはどうなのか。

個人的な話をしますと、就活の面接や実習を行う上で、ジャグリングは大いに役立っています。
履歴書の受賞歴にも「関西学生ジャグリング大会 ジュニア部門 優勝」と、虚勢を張るには十分な実績を書くことができています。
依頼に行って子供たちにバルーンを配ったことも、経験として語るには十分だと思います。

一芸があると誰かに喜んでもらえる。
「芸は身を助く」
という言葉をひしひしと実感したわけです。

しかし同時に、こうも思うのです。

漢検2級とか、簿記3級とか、そういうもののほうがいいんだろうな

と。

僕が通っているのは、大阪芸術大学の文芸学科です。
学歴としても、学科としても、いかんせんパッとしません。

しかも研究ではなく創作を主にしていたわけですから、言ってしまえば僕は
「作文が得意なFラン文系大学生」
なわけです。

そう考えると、就職はかなり困難です。
ジャグリングに興じている時間を少しでも使って、文系職に役立つ資格を取った方がよほど将来にとって有益だったはずです。

「そう上手くは動けないよ」
と言われるかもしれませんが、そうでなくとも、ジャグリングをやる時間ははっきり言って無駄です。

練習時間をすべて別のことに当てていれば、もっと楽しいキャンパスライフだったかもしれないのです。

バイトをもっとたくさんしてお金を貯めれたかもしれません。
ゲームをもっとたくさんして楽しくダラダラできたかもしれません。
友達をたくさん作って毎日遊んでいたかもしれません。
恋人を作って幸福な時間を過ごすこともできました。

人生にたった1度きりしかない大学生活を、20代を、僕はジャグリングに費やしたわけです。
それで食っていこうと思っているわけでもないのに。

そういう意味では、ジャグリングをするというのは無意味であると言えるでしょう。
カワウソたちほどではないにしろ、です。

それでもジャグリングをする理由

それでも僕は、ジャグリングをしています。
これまでに後悔はありませんし、これからも続けて行くつもりです。
競技者であるジャグラーたちの多くも、同じ気持ちなのではないかと思います。

では、我々が無意味なジャグリングに熱中する理由は何でしょうか。
時間とお金を使って、賞金の出ない大会に挑み続ける理由は何でしょうか。

それは、自分の「存在証明」のためではないかと思います。

少なくとも、僕が挑み続ける理由はこれです。

ジャグリングとは「存在証明」である。

僕は大会に出るとき、いつもワクワクします。
それは、そこにあるすべてが楽しみだから。


会場に着くと、知り合いのジャグラーさんたちがたくさんいます。
久しぶりの再会に、軽く挨拶を交わして受付を済ませます。

開会式が終わり、さっそく大会がスタート。
僕はだいたいジュニア部門か、ジュニアの次の部門ですから、すぐに出番が回ってきます。

「じゃ、行ってくるわ」
と、友人たちに声をかけ、ささやかな応援を背に舞台袖へと向かいます。
袖で照明と音源、コメントの最終確認を行ったら、満を持して舞台に立ちます。

心臓の鼓動が速くなる。手汗がジワリと沁みてきて、まだ始まってもいないのにすでに息は上がっています。

頭上から照り付ける照明でほんのりと暖かい戦場に立ち、道具の準備をしながら、自分のエントリーナンバーとステージネームが読み上げられます。

客席は暗くて誰の顔も見えず、ただそこに観衆の目があることだけを伝えてきます。


―準備を終えて、袖に合図を出す。


いつもよりかなり長く感じられる一瞬が過ぎ去った後、何十回と聞いた曲のイントロが流れ出し、練習したとおりに手が動く。

身体が熱い。

いつの間にか演じていた1番を振り返る間もなく、最初の大技がやってくる。

道具を投げる。

暗い客席を背に、照明を受けた道具がきらりと光る。
0.9倍速に感じられる世界で、吸い込まれるように、正確な位置へと手を伸ばす。

瞬間、いつもとは違う位置に手があることに気が付く。

―まずいッ

そう思う間もなく、脊髄反射で手の位置をずらし、道具をキャッチする。

客席から湧き上がる歓声、安堵で一瞬体の力が抜ける。
思わず笑みがこぼれ、客席に向かって決めポーズ。
フライング気味に拍手が鳴り響き、全身でそれを受け止める。

身体が熱い。

―血が上る
頭が白くなっていく

「きみの絶滅する前に」第4話

無事に難所を超えられたことを喜びながら、一度気を引き締める。

大きく息を吸い、フーッと吐いて次のシーケンスに入る。

順調に進んでいたかに思えたその時、今までミスしたことがない部分で道具が落ちる。

一瞬、血の気が引く。
だが狼狽えている暇はない。

ルーティンは、この瞬間に完璧ではなくなった。
ならば、今度は及第点を割らないようにしようと、気持ちを切り替える。

2度目の難所を超える。

「いけるッ!」
そう心の中で叫ぶ。

そして、一番の大技へ。

音が遠くなって、何も聞こえなくなる

「きみの絶滅する前に」第4話

息を整える。
そんな行為が意味をなさないほどに、心臓はうるさく跳ねる。
練習してきた日々を思い出し、運試しにも似た感情が巡る。

「上手くいってくれ」
どこか他人事のようにそう願いながら、道具を高く投げる。

…本当は、そんなことも思っていないのかもしれない。
ただただ必死に、目の前の技をこなしているだけなのかもしれない。
演技中の事なんて、本当はあまり覚えていないのかもしれない。

でも、最後の技を成功させたとき

おれたちの世界のこと

「きみの絶滅する前に」第4話

大歓声と拍手に包まれたとき

なんの役にも立たないけれども

「きみの絶滅する前に」第4話

自分のすべてを、目一杯見せつけられたときに

おれたちだけが見つけた世界のことを―

「きみの絶滅する前に」第4話

僕は、ここに居ると。

僕は、確かに僕自身であると、証明できた気がするのです。


僕は、誰かにその存在を証明し
そして、誰かの存在の証人になる。
そういう営みの繰り返しが、競技者たちを掴んで離さない魅力なのではないかと思ったのです。

入賞を喜び、祝い、悔しがることも。
自分の演技を誇り、後悔し、反省することも。
その空間に内包されているすべてが、競技者たちを肯定してくれる気がするのです。

無意味なことに、一匙の意味を与えてくれるような気がするのです。

おわりに

「きみの絶滅する前に」第4話に感銘を受け、駄文をしたためさせていただきました。

「じゃあお前、結果はどうでもいいんだな?」
なんて言われそうな内容ですが、それはそれ、これはこれ、ということで。

そんな感じでございました。

では、失礼いたします。


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