見出し画像

文学好きの新聞記者が気に食わない

僕は雑誌の編集部で働いている。雑誌と言ってもアンアンとかブルータスとかJJみたいな華やかな一般誌ではなく、業界人だけが読む業界紙だ。

業界紙だろうが編集の仕事は出版社ならどこも同じだ。取材のアポを取り、取材に行き、話を聞き、写真を撮り、執筆し、記事に写真を貼り付ける。書籍の編集は少し違うだろうが、雑誌と新聞なら大方共通だろう。

今日の取材は少し変わっていた。ある作家の個展を取材しに行ったのだが、すでに読売、朝日新聞、またテレビ局にも先を越されていた。その作家は僕らの業界では名の知れた人だけど、普通の新聞にとっては珍しくて面白くてまさに格好のネタという感じで、普段見向きもしない業界を揃って取り上げたわけだ。

その個展は文学をテーマにしていた。作家と話をしていると、「先日来た読売の記者はすごい文学青年で、記事も文学のことばかり取り上げていたよ」と言った。

僕はほとんど反射的に「その人何歳でした?」と聞いた。「確か31歳とか言ってたよ」とのこと。

どうして年齢が気になったか? その記者が自分と同年代の場合、気に食わないからだ。きっとその記者は楽しかっただろう。自分の好きな文学の取材ができて、それを大勢の読者に読んでもらえるのだから。先輩社員にも一目置かれるかも知れない。「ヤツは文学のことになると饒舌だなあ」。

こんなことを書いて馬鹿馬鹿しいけれど、僕はやはり文学好きの若者を厳しい目で見てしまう。つまりこれは小声で言わしていただくが「若者は黙ってTikTokでもやってろ」ということになるのだ。その文学青年記者がただ「人間失格」と「ノルウェイの森」を読んだだけの文学気取りなら気に食わないし、僕が読んだ本は全て読んだ上でさらにプルーストから明治の日本文学まで網羅していて、それでいてジャズ喫茶浸りとかラジオ愛好者とでもいうならもっと気に食わない。

その記者が50歳とかなら、僕は全然構わなかった。しかし31というのは、僕にとってはもうご近所だ。しかもその記者は大学の文学部出身らしい。そういうのをヌケヌケ揚々と喋ってる姿が目に見えて嫌だ。

あとでその記者が書いた記事を読んだが、上手かった。文学好きだということが一目で分かるが、その部分は決して派手でなく、読んでいる側が「この人これを書いている時楽しかったろうなあ」と推測できる程度のものだ。そこは別にいい。悔しかったのが、それ以外の、その作家の人物像の描写がとても上手かったことだ。定型文が使われておらず、情報量は申し分なく、ノリがいい。他の記事もこれくらい書けるんだろうな、というのがわかった。それに比べて僕の記事は稚拙で、僕が思うほどノリも良くないのかもしれない。羨ましいと思った。その記者の技量ではない。大手新聞社は毎日他社の記事と競争できるのか、ということが。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?