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東京奇譚集

出版社のアルバイトで一番僕が良いと思ったこと。それは「文芸誌を読んでいるだけなのに、あたかも仕事をしているように見える」ということだ。
仕事内容の一つに文芸誌や週刊誌の書評を切り抜くという業務があった。何のためかは知らないが、「これ別になくても良い業務ですよね」とか言って購読の停止をされても困るので口出ししなかった。

急な仕事が無い時はずっと文芸誌を読んでいた。周りからは当然切り抜き作業をしていると思われている(ただ単に読書していると知っていた社員もいただろう)。ある時、文學界のとある号で村上春樹の「品川猿」が載っていた。急な仕事が無かったので僕は時給をもらってそれを読んだのだが、「品川猿」はあまりハマらなかった。

その後、幼稚園時代の友人(だいぶ前の記事「幼稚園の頃の・・・」の人)の彼女が「東京奇譚集が一番好き」というのを聞いた。友人いわく彼女はかなりの春樹ファンらしい。僕も好きだと友人に言うと、それだけで友達になりたいと、彼女から友人経由でLINEの友達追加をお願いされたほどだ。

そんなことがあり、僕は東京奇譚集はできるだけ後回しにしようと努めてきた。みんなが読んでいるものを同じように読んでいてはダメだ、という僕なりの抵抗である。それでも結局買った。「何も読みたいものがないが、何かは読んでいたい」という時期がちょっと前に来て、頭に浮かんだのがこれだった。そしていつものようにすぐ読み終えた。

良かった短編は「日々移動する腎臓の形をした石」だ。理由は、村上春樹が小説家を主人公にするのが珍しかったから。多分本人もできるだけこれをしたくないんだろう。まあ、短編だしいいやと思って、見切り発車で書き始めたに違いない。小説という形式を取って、村上春樹自身の小説の書き方が地の文で説明されていた。そこが一番買って良かったと思えた部分。あとは、文章の流れが自然だったこと。無理のない設定ということだ。まだ書いている途中の小説のアイデアが、恋人と喋っている時に浮かび上がるというのは、本人も何度か経験しているのだろう。「この辺はスラスラと書き上げたんだろうな」という親しみを持ってこの短編を読むことができた。そして「人生で出会う意味のある女性は3人しかいない」という冒頭のセリフ。暴論ではあるが、そういう言われればそうなのかもしれない、という妙な納得感もある。これがこの話の1ページ目にあったので、まんまと引き込まれてしまった。

他にも「ハナレイ・ベイ」、「偶然の旅人」は面白かったが、全体的に「最近の村上春樹感」は否めない。だが、その「最近」と「昔」って具体的に何が違うの?と言われるとわからない。フォントと表紙が違うだけかも。

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